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帰郷の風  作者: 宮音 詩織
19/29

*19

 平原が広がっていて、見通しはよい。青々と伸びる草が、風に撫ぜられてさざ波をつくっている。リズは奔放に遊んでいる。遺骨の箱へ片手を添えながら、空を見上げて鳥を見つけ、地面にしゃがみこんでは虫を見つけ、遠目に獣を見つけては、ローディとガダックに指差して報告してくる。そのたび、ガダックは愛おしげに微笑みながら、リズを褒めてやる。ローディは視線をつねに巡らせつつも、リズの思うようにさせていた。リズが駆けてきて、ローディの腰に抱きつく。

「パパ、見て、お花」

 言いながら、小さな青い花を差しだしてきた。ローディは口元がゆるむのを押さえながら花を受けとり、茎を曲げてリズの髪に結びつけた。頭を撫でてやると、リズは無邪気な笑顔でローディに頬をすりよせ、甘えてきた。

「疲れたか?」

「だいじょうぶ!」

 リズはローディから離れると、踊るような足取りで先へと進む。髪や衣服が風になびいた。自由だ、とローディは感じた。目の前の少女の存在が眩しかった。胸に湧き上がる、懐かしい感情を、ローディはぞんぶんに味わった。

 ガダックがローディの背を軽く叩いた。視線は、リズに向いている。

「夜は早く休むことになりそうだ。野営場所を探しつつ、としよう」

「へばってんのか、親父?」

「そう見えるか?」

 いいや、とローディは苦笑した。実際、ガダックは今までになく活力に満ちて見える。老いの底力なのか、それともありし日を取り戻しつつあるのか、ローディにはわからない。ただ、不安な気持ちは湧いてこなかった。

 遠目に、石壁が見えた。ローディは目を凝らし、そちらを観察する。人の気配はない。集落ではなさそうだ。ガダックに問う。老人はまだ見えていないのか、足を止める。

「ひとまず、おまえの勘に任せよう」

 大人たちの会話はしっかりと聞いているのか、リズがローディのそばへ戻ってきて、じっと彼を見上げた。判断が下るまでは、大人しく待っているだろう。ローディは壁を見、リズとガダックとを交互に見、また壁に目を戻した。ふと、重い、と感じた。判断を誤れば、幼子と老人を危険にさらす。そのことが、迷いを生んでいた。自嘲的に口の端を歪める。一人のときには感じたことのない、心身のこわばる感覚。決して快いものではないが、その感覚から逃げたいという思いはない。

 ローディはリズの頭を軽く叩きながら、言った。

「近付いてみるか……いちおう、ひっついてろよ」

 言いつつ、銃を抜く。リズは言われたとおり、ローディの服を掴んだ。ガダックも剣を抜き、先に立って歩き出した。

 近付いてみると、それは遥か昔に放棄されたものであるらしいことがわかった。ほとんど崩れており、なにがあったのか定かではないが、四方を壁に囲まれた部屋であったらしいことがわかった。部屋の一辺がそのまま左右に伸びて壁として続いていることから、ガダックはそれを、かつての防衛拠点だと推測した。壁以外のものはあらかた持ち去られているらしく、ほかに手掛かりとなりそうなものはない。壁にはところどころに穴が開き、崩れかたもまちまちだ。かつて激しい攻防があったところに風雨があたり、すっかり風化している。いくつか火を焚いたあとがある。おそらく、同じように旅をする者たちが野営地として使っていたようだ。確かに、ほとんど崩れているとはいえ、壁は人の肩の高さほどは残っている。風はしのげるし、扉にあたるところさえ塞げば、獣くらいからは身を守ることができそうだ。今は誰もいない。

 ローディは銃を肩にかつぐようにして、ふう、と息をついた。

「なんだ、気ぃ張って損したな」

「油断しているよりはよかろう。ここで休むか?」

 言いつつ、ガダックも剣を鞘へ収める。ローディは陽の高さと、辺りのようすと、リズと、ガダックとと視線を巡らせ、考えこんだ。まだ陽は高い。もう少し南へ向かっておきたい気もするが、ほどよい野営場所というものがそう簡単に見つかるとは限らない。

 と、リズがローディに抱きついた。パパ、と不安げな声が出る。ローディは銃を構えつつ、リズの背を押した。

「とりあえず壁ん中に。親父」

「わかっている」

 ガダックは剣を抜き、自分も壁の内側へと隠れた。ローディも続き、壁の穴から辺りをうかがう。リズは、遺骨の箱をしっかりと抱きしめ、唇をきゅっと引き締めていた。ローディのそばで、じっとしている。

「よく気づいたな、リズ」

 褒めるが、リズはちらりとローディを見上げただけで、緊張したようすを変えなかった。それでいい、とローディはリズの背を撫でた。

 馬の足音と人の声が、はっきりと聞こえるようになってきた。〈狩人〉たちの合図ではない。明確に言語を発している。脅威となるか、話のできる相手であるのか、まだわからない。ローディの覗いている穴からは、相手の姿が見えなかった。が、ガダックが、む、と低い声を漏らしたのが聞こえた。ローディが視線を向けると、ガダックは声を出さず、唇を動かした。〈白鳥の嘴〉、と。ローディは、背筋にざわりと悪寒が走ったのを感じた。

 言葉が聞き分けられるほどの距離にまで、相手が近付いてきた。人数はそれほど多くない。十人もいないだろう。なかに混ざる、聞き覚えのある女の声。イリーナが少数の手勢だけを引き連れているらしい。

「イリーナ様、やはり、戻りましょう」

「戻りたいのなら、あなたたちだけで戻ってくれて構わないわ」

 相手をひどく見下した口調だった。

「あたしは、あの男を殺すまで追うわよ」

「イリーナ様、なにもあなたがご自身でやらずとも」

「なにが言いたいの、あなた?」

 ローディは、自分の手が震えるのを誤魔化すことができなかった。リズが不安げに、ローディの頬に触れる。ローディはその小さな手を握った。幼子の瞳に映る自分が、情けない顔を晒している。わかってはいても、耐えられない。

 確かに、昔から強い女ではあった。けれどそれは、不毛な北の奥地で生き抜くために必要なものであった。ローディとともに、年下の子供たちの世話を焼いていた娘、よい母になりたいとローディに夢を語っていた女の影は、もはや失われている。ローディは奥歯を噛みしめた。自分が奪った、とは思いたくなかった。

 イリーナの攻撃的な声が、こちらへ飛んできた。

「誰か、そこに隠れているでしょう?」

 リズが喉の奥で悲鳴を殺し、両手で口を塞いだ。ローディは全身を強張らせた。ここで見つかれば、確実に殺されることはわかっている。ガダックは二人の顔色でなにかを察したのだろうが、どうしたものかと考えている。葛藤の間にも、イリーナの声。

「あたしたちは〈白鳥の嘴〉よ。襲撃を考えているゴロツキならば、やめておきなさい」

 イリーナの手勢が下馬し、近付いてくる足音が聞こえた。ローディはまだ覚悟が決まらず、とっさにリズを抱きしめた。

 ガダックが荷を置き、剣も外して、その場で立ちあがった。両手を上げ、敵意のないことを示す。

「わしは西方の民ガダックという。あなたがたが〈狩人〉でなくて安心した」

「あと二人、いるわね?」

「息子と孫だ。三人で旅をしている」

 ふうん、とイリーナは言うが、ガダックの言うことを信用してはいないらしい。かちり、と銃を構える音が、ローディに聞こえた。イリーナが何か言おうとしたが、それを遮るように、ガダックがやや強い声で言った。

「話を聞くと、どうやら誰かを探している様子。〈白鳥の嘴〉の方が探しているとすれば、もしや、〈狩人〉のギムベインでは?」

 え、とイリーナの戸惑う声。ガダックは畳みかけるように、しかしあくまでも落ちついた口調で続けた。

「先の街で巻き込まれかけたところ、おかげで助けられた。礼を言わず出立したのは申し訳ないと思っている」

 老人は頭を軽く下げた。

「お噂にたがわぬ、慈悲深くも勇猛果敢な御方だ。逃げた〈狩人〉を殲滅するまで追おうとは、誰にできることでもない」

 しかし、とガダックは言葉を切らず、ゆっくりとした確かな口調で続けた。

「このあたりには、探している男はいないようだ。この視野のなかで、隠れられる場所はここ以外に見当たらん。〈狩人〉の馬車があれば、すぐにそれと知れよう。西か東か、いずれにせよ、かの男は、まだ南の領に戻るつもりはないらしい。新たな犠牲が出るやもしれぬ。どうぞ、我らには構わず、貴き御役目を果たされるがよい」

 しばしの沈黙。ローディの心臓が痛いほど鳴る。ガダックの言葉は、ともすれば挑発にも聞こえるものだ。だが、今のローディには、ガダック以上にできることなどない。どうしても、イリーナに姿をさらすわけにはいかない。壁の穴を抜ける風の音が、妙に耳にうるさい。

 イリーナの、少しばかり棘の抜けた声が聞こえた。

「そう、そうね、このあたりにはいないようだわ……情報、感謝します」

 わずかに、老人の腹を探るような色が含まれている。ガダックはそれに気づいただろうが、あえて無視しているようだ。

「いや、互いに、旅の無事と戦いの勝利を祈ろう」

「ええ、お互いに」

 人が馬にまたがる音。蹄といななき。操る声。遠ざかる蹄の音。ガダックはそれを見送っている。ローディは壁の穴から、ちらりと外を覗いた。イリーナの背。撃てば当たる距離だ。銃を握る手に、力が入る。だが、動かなかった。

 ガダックが、ふう、と息をついた。

「もうよかろう。リズ、よく堪えたな」

 安心させるように笑む。リズはローディを心配するように見つめ、ガダックに訴えた。

「じいじ、パパが……」

 それを聞くと、ガダックはローディの横にしゃがみ、肩を叩いた。

「しっかりせんか、もう脅威は去った」

 ローディは迷ったが、素直にガダックのほうへ向いた。今ばかりは、この老人を相手に強がっても、あまり意味はないように思えた。

「悪いな、親父」

 力を抜いて壁にもたれて座り、銃を置く。大きく深呼吸し、落ち着きを取り戻そうとする。視線は自然とリズのほうへ向いた。不安げな幼子へ、口角を上げながら頷く。幼子は表情こそ変えないが、小さく頷きを返してきた。

 ガダックもまた腰を下ろした。今夜はここで休む気であるようだ。ローディも、それがいいだろうと思った。今の落ちつかない状態で進むのは危険だ。

「しかし親父、よくもまあ、ぺらぺらと舌が回るな」

「そういうおまえは、喋るわりには、嘘が苦手だな?」

 ガダックは面白がっている。ローディは肩をすくめ、とくに否定はしなかった。ガダックはそのままの調子で続けた。

「して、あの女か、ブローチを渡しそびれた女は?」

 ブローチ、とローディは呟き、それを街道巡視兵にやってしまったことを思い出した。

「渡しそびれたんじゃねえ、揃いのを捨てそびれたんだ」

 自分があまりにも女々しいことに愕然としつつ、ローディは吐き捨てるように言った。

「笑いたきゃ笑えよ」

「笑わんよ、おまえの痛みだ」

 老人の言葉に、ローディは渋面を浮かべた。

「同情されるのも、あんまりありがたくはねえな」

 その言い草に、ガダックが低く笑った。ローディもまた、つられて笑った。リズがやっと、ほっと安心したように、ローディに抱きついてきた。

 ガダックが笑いをおさめ、低い声で、訊ねてくる。

「しかし、終わりではなかろう?」

 その表情には、洒落も冗談もない。ローディの表情が強張る。ガダックは厳しい声で言った。

「こればかりは覚悟を決めねばならん。次は誤魔化せんぞ」

 ローディは言いかえすことができなかった。一体、自分がイリーナの何に怯えているのか、自分でもさっぱり理解ができないのだ。ガダックはローディの肩を、強く叩いた。ローディが顔を上げると、ガダックは言葉なく、しかし雄弁な眼差しを、ローディへ据えていた。ローディはその目のなかに、自分の表情を見た。リズの目にあったそれよりも、さらに弱々しく情けない男の姿が、そこにあった。こんなに弱かったろうか、と自分で戸惑う。なぜ、ここまで。その疑問を察したかのように、ガダックが穏やかに笑んだ。

「責を負ったな。重いか?」

「ああ、重い」

 考える前に、答えは出ていた。だが、同時に理解した。親なのだ、と。


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