*18
息が切れるまで、駆けに駆けた。街はまだ遠目に見えていたが、さすがに戦いはほど遠くなっていた。ガダックもローディも座りこんで、肩で呼吸をした。ローディの膝は震えている。ガダックも剣と荷物を置いて胸に手を当て、激しくせき込んだ。リズは慌てて二人の間を行ったり来たりし、言葉にならない心配の声をかけた。
やがてローディが、ふ、と低く声を立てて笑いだした。
「勘弁してくれよ」
リズがきょとんと小首を傾げる。ローディはリズの肩を掴み、抱き寄せてあぐらの上に座らせた。
「パパってのはどうなんだ、ええ? 生みの親父に悪いだろうが」
リズは首をすくめた。ローディの言葉に、かなり本気で悩んでいるようだ。その問題に、ガダックが答えを与えた。
「親など何人いようと構わんだろう。親は欲しいだけ子を作れるのだ。子も欲しいだけ親を持てねば、不公平だろうよ」
暴論だ、とローディは思ったが、妙に納得もできる。そのちぐはぐな心境に、思わず大きな笑い声が出た。リズの頭を撫でる。リズも嬉しそうに、ローディに体重を預けた。
あ、とリズが気付き、肩から遺骨の箱の包みを外そうとした。しかし、ガダックが気づいて、それを止めた。
「そのまま持っていてくれ。そうすれば、大切な妻を放ってしまう心配もなくなる」
ガダックはリズの背中にある結び目を観察し、それが子どもの手によるものでないことをすぐに見抜いたようだった。
「ローディか……かたじけない」
頭を下げる。ローディは視線を逸らせ、頭を掻いた。
「いや、その」
咄嗟に言い訳ができなかった。リズがじっと自分を見つめている。その聡い瞳には、全てのごまかしが薄っぺらなように映るのだろう。ローディは片手で目を覆った。覚悟を決め、言う。
「だってよ、そんな物とリズを置いてったってことは、俺のそばに置いといたってことは、つまり、そういうことだろ?」
舌打ちする。
「くそっ、こんな青臭いこと言っていい歳じゃねえぞ、俺は」
ガダックは目を細めた。
「誤魔化しをするのが成熟した者なのではないぞ。それがおまえの本心から出た言葉ならば、それを行動として貫いた事実があるのだから、男として胸を張っていればよい」
諭すように言う。ローディはいたたまれなくなってリズの肩を引き寄せ、背中を丸めてガダックから顔を隠すようにした。盾にされたリズは、その状況を面白がって、きゃあとはしゃいだ声を上げた。ガダックもまた、声を立てて笑った。
「それに、わしから見ればな、ローディ、おまえなど息子とそう変わらん。青かろうがなんだろうが、気にすることでもない」
「へいへい、どうせ若造ですよ」
べろりと舌を出しておどけてみせてから、また笑う。リズも嬉しそうに声を上げた。
「パパ、じいじ、なかよし!」
ガダックは手を伸ばして、愛おしげにリズの頭を撫でた。
ローディは腹がむず痒いのに耐えることができず、リズを立たせて自分も立ち上がった。
「さて、まだ日暮れまでには時間があるんだ、もうちょい南まで歩こうや」
リズもガダックもそれに賛成し、三人は横に並んで歩き出した。
日暮れとともに、歩くのをやめる。辺りには柔らかい草が生えていて、細く頼りない木が茂みをつくっている個所もあった。大きな岩が転がっている場所を見つけると、その陰で火を焚く。茂みから枯れ枝を調達してきたが、とても夜は越せそうにない。リズを岩に寄せて寝かせ、冷えないよう上着をかけてやってから、ローディはガダックに声をかけた。
「あんたも寝ろよ、昼間は派手に立ち回って疲れたろ」
ガダックは、かたじけない、と頷いた。やはり歳は歳なのである。腰を下ろす動作も、なかなか大義そうだった。
ガダックは焚火を見やった。
「夜半も待たずに消えそうだな。リズに上着を貸したが、寒くはないか?」
「北は元々寒い風が吹く地域だ。これくらいなんでもねえよ」
ローディは強がってみせた。ガダックは目を細め、そうか、と答えたが、その表情に含むところを見ると、どうやら見透かされているらしい。それでも追及してこないところを見ると、ローディの張った意地も、彼は尊重してくれるようだった。
ローディは息を吸い、ひとつ吐いた。空を仰ぐ。月が出ていて、明かりは十分だ。火が消えても視界には困らないだろう。ちらりと横目でガダックを見やると、彼は座ったまま、見るともなく火を眺めていた。刻まれた深いしわが影となって浮き出る。初めて会った時に漂っていた虚無感は薄れていた。人生を満たした老人にふさわしい、どこか哀愁のある穏やかな横顔だった。
ローディは視線を炎に移した。
「あのさあ」
「どうかしたか?」
ガダックの返す声は、徐々に睡魔が迫っていることを知らせていた。ローディはそれを解って、言葉を続けた。
「親父、って呼んだら、なんて返ってくるもんかな?」
なんでもないふうを装ったが、ガダックはそれを耳にして、目を見開いた。問うような眼差しをローディに向ける。ローディは何も言えず、炎から目を動かさなかった。
ガダックの声は、その眼と同じに穏やかだった。
「親と呼ぶなら、子の役割を受け入れる覚悟をするのだな」
「老後の世話か?」
「尻を拭かなかった子に尻を拭かす気はない。ただ、時には子として扱われるがいい。年寄りの説教にも、役立つものがないではないぞ」
なんだそりゃ、とローディは言葉を返した。口の端が、自然とほころんだ。
ガダックが座ったまま、寝息を立て始める。剣は腕に抱えたままである。ローディはそこに熟練の戦士の姿を見て、低く唸った。親は子に越えられることを望むというが、ガダックもそうだとすれば、それは途方もなく難しいことだろうと思わずにはいられない。
夜明けが近づいた。ローディはガダックを揺さぶり起こした。さすがに疲労感があったので、ガダックに頼んで眠らせてもらうことにし、ローディも横になった。
夜が明けてからリズの手で起こされ、ローディは大きく伸びをした。少しの乾パンと干し肉を胃に入れ、水を飲んで歩きだす。目指すは南だ。
「なあ……親父、南の領地ったって広いぞ」
「そうだな、しらみつぶしに探していくしかなかろう」
他愛のない会話。リズはその中で、何かを敏感に察したらしい。右にローディの手、左にガダックの手を握って、楽しげにする。
「パパとじいじ、パパとじいじ」
ローディは、リズの手を握る手に、少しだけ力を入れた。
「住んでた場所の手掛かりになりそうなもの、何かねえのか?」
リズは視線をさまよわせ、自信のなさそうな声を出した。ローディは空を仰いだ。
「そうか。まあ、なんとかするっきゃねえか」
そう言って、リズの手とつながった手を、大きく前後に振る。リズもいっしょに手を振りながら、彼を見上げた。
「たいへん?」
ローディは軽い調子で答えた。
「時間はかかっちまうだろうな。頑張れるか?」
リズは大きな声で、うん、と答えた。それを聞き、ローディも、よし、と気合を声に出した。