*15
夜が近づいてきた。三人は空腹を覚え、階段を下りて食堂へと向かった。人でごった返している。なんとか空いた席を見つけて腰掛けるが、店員が注文を取りに来る気配もない。仕方がないので、ローディはリズを使いにやって、厨房に直接注文をつけさせた。小さなリズは人と人の隙間をうまくくぐりぬけて役割を果たし、戻ってくるなり、どうだ、と言いたげな顔でローディを見上げた。嬉しそうにほころぶその頬を、ローディは軽くつまんで引っ張った。リズはきゃあきゃあと声を立てて笑った。
大きなパンの塊と、大鉢に盛られた煮込み料理と取り皿が運ばれてきた。それから、ワインの小ぶりな瓶が二本。ローディはコルク栓を歯で咥えて引き抜くと、瓶をガダックに渡した。ガダックは最初こそ遠慮するようなしぐさをしたものの、すぐに負けて、瓶を受け取った。ローディはもう一本の栓を抜くと、瓶を掲げて振った。ガダックも同じように瓶を掲げた。そうして瓶と瓶を打ち合わせ、乱暴な乾杯をしてから、二人は瓶ごとワインをあおった。
ローディは大鉢から、豆と鳥肉の煮込みを皿に取り分け、リズの前に置いてやった。パンも、リズの手に合う大きさに裂いてやる。リズは満面の笑顔を浮かべ、うん、と言った。お礼のつもりらしい。ローディは口角を上げた。
「食えよ、メスガキは太ってたほうがいい」
リズは唇を尖らせて反抗的な表情を作ったものの、人懐っこい眼差しでローディを見上げた。歪んだ金属のスプーンとフォークで、煮込まれた肉の塊にとりかかりはじめる。ローディも自分の分を取って食べた。薄味だが、悪くはない。ガダックも満足そうにしている。
ローディはさっさと自分の分を腹に収めてしまった。リズもガダックも、久々のまともな料理をゆっくりと楽しんでいる。ローディは目を閉じた。聴覚に神経を集中させる。すると、周囲の人々の話が耳に届いてくる。情報収集をするのに、食事処や酒場以上の場所はない。薄眼を開けると、リズがこちらを伺っている。が、黙って食事を続けているところを見ると、邪魔をしてくることはないらしい。ガダックはローディが何をしているのかすっかり了解しているらしく、目配せをしてきた。ローディはゆっくりと瞬きをして頷きの代わりにし、目を閉じた。
なんでもない噂話から、領主や〈狩人〉団の動きまで、人の口先に登らないことはない。その中でも、ローディの耳に、ひときわ鮮明に届いた言葉があった。
「〈白鳥の嘴〉がこっちのほうに拠点を作るってよ」
「あのイリーナってぇ新しい幹部は、なかなかやり手だね」
ぴくりと頬が引きつる。目を開くと、ガダックが怪訝そうな顔で自分を見ていた。ローディは歪んだ笑みを浮かべた。それとわかるようにリズを見やり、視線をガダックに戻す。老人は察してくれたらしく、厳しい表情を返してきた。リズは二人の様子が変わったのを敏感に察したようで、食べる手を止めた。ローディは低く言った。
「こっち見るな。何も知らんって顔で食い続けろ」
リズは目を瞬かせたが、言われたとおりに食事を続行した。ガダックは唇をほとんど動かさず、訊ねた。
「〈白鳥の嘴〉か?」
「らしいな」
答えた声は、ローディ自身も戸惑うほどに低く、とげが混ざっていた。ガダックは眉根を寄せた。しばし迷うような沈黙のあと、口をゆっくりと開く。
「因縁があるのか?」
「そのガキだってあいつらに殺されかけてたろうが。別に、特別なもんでもねえだろう」
ローディは目を細め、聞こえるかどうかという声量で返した。ガダックはしかし一言一句漏らさず聞き届けたようで、ゆっくりと頷いた。が、眉根にはまだ疑問を示すしわが刻まれている。今は追及してくるつもりはないらしいが、部屋に戻った時には、誤魔化すことは難しいかもしれない。
〈白鳥の嘴〉は、〈狩人〉に抵抗する最大の勢力であり、また、ほぼ唯一の対抗勢力だ。四方の大領主たちのどれにも属さない、有志の組織である。いずれは中央の地方で独立運動でも起こすのではないかと目されている。その時には、庇護を求めて人々が殺到するに違いない。有能な幹部が精鋭を引き連れて、〈狩人〉の仕事の邪魔をして、人々を救い、仲間に加えて回っているのだ。〈狩人〉と同じように、その本拠地の場所は定かでないが、その志に賛同する村々が拠点として、彼らの活動を支援している。耳に入る噂を拾うと、だいたいそのような現状を探りだすことができた。
リズが食事を終えた。ガダックが布の切れ端で顔を拭いてやる。それを見届け、ローディは席を立った。リズがぴょこんと跳ねるようにして続き、ガダックがゆっくりとした動作で続く。
ローディが先頭に立って人々を押しのけ、部屋に戻るための道を開ける。ガダックは自分が通るのに精いっぱいのようで、今はリズにまで気を配っている余裕はないらしい。が、リズはローディのすぐ後ろにはりついて、小さな体を生かし、器用に人ごみをよけていた。
廊下に出ると、人はすっかりいなくなった。部屋へ続く階段は薄暗く、油断すると踏み外しそうだ。明かりはないらしい。ローディが立ち止まると、リズがその尻にぶつかって小さな声を上げた。ローディが振り返ると、リズはきょとんとした顔でこちらを見上げていた。両手を伸ばしてぱたぱたと背中を叩いてくる。ローディは、はいはい、と言いつつ階段を上がった。リズがすぐ後ろに続き、ガダックは後ろから、リズの足元を心配そうに見守っていた。
部屋に戻ると、リズは上着を脱いでベッドに腰掛けた。月明かりが入るので、部屋の様子はなんとかわかる。ローディは荷物につまずかないよう歩いて、自分もベッドに仰向けで転がった。
ガダックがリズの隣に腰を落とし、ローディに問いかけた。
「話す気にはならんか?」
「ならんね」
即答する。目は大きく開き、天井を睨みつける。遠く、過去のことへと思いを馳せる。女のことは、今もまだはっきりと思い出すことができる。
扉を叩く音。上品で思わせぶりな音だ。ローディは片眉を上げた。ガダックが出ようとするのを遮り、扉を細く開ける。
「用があるのは俺にだろ?」
「ふふ、話が早いね。三つ隣、花の鍵の部屋で待ってるから」
艶のある声で返したのは、若い娼婦だ。ローディは口角を上げて頷いた。扉を閉める。リズが小首を傾げた。
「おきゃくさん?」
「招待されたんだよ、俺だけな。じいさんと留守番してな」
手をひらひらと振る。リズは不満げな表情をした。ガダックが、呆れたとも安心したともつかない息を吐いた。
「若者には必要なことだろうな」
リズに手招きする。リズは顔を歪め、反抗心を丸出しにしてローディとガダックを交互に見やった。が、大人たちの態度が変わらないと見るや、ローディが寝ていたベッドに飛び込んだ。うつむいたまま足で靴を蹴飛ばすように脱ぎ、四肢をばたつかせる。
「むーむー」
「行くなら行っちまえ、ってか」
ローディは苦笑した。ガダックに向け、芝居がかった自虐的な笑みを浮かべる。
「まあそんなに時間はかけねえよ」
言って、彼は娼婦の待つ部屋に足を向けた。