*14
天の星を見れば、進んでいる方向が正確にわかる。一行は南へと確かに歩いているはずだが、やはり幼いリズの足に合わせているせいか、旅路はちっともはかどらない。だが、ローディは彼女を無用に急がせるようなことは言わなかった。
ある時、ガダックがローディの歩みに対して、疑問を口にした。
「リズの歩みに合わせるようになったが、なぜだ?」
ローディは返答に困った。酸っぱいものでも食べたように口をすぼめる。老人の問いは真っ直ぐで、決して疑った見方をしているのではなかった。ローディは観念して呟いた。
「そりゃ、自分の足で歩いた方が、いいだろうよ」
それを聞くと、老人はゆっくりと頷いた。
「なるほど、確かに」
それきりだった。その間、二人の顔を賢げな目で見上げていたリズは、二人の問答が終わるや、ローディに近付いて、彼の服を掴んだ。ローディはリズの頭に手を置いて軽く叩き、言った。
「元気があるなら歩け。それでも余ってたら、後で構ってやるから」
「はあい」
リズは素直に返事をして歩く。ローディの真横に、ぴたりと身を寄せている。その斜め後ろを守るように老人が続く。三人の立ち位置は、だいたいそれで定まるようになっていた。
いくつかの昼が過ぎ、夜が過ぎた。
一行がさしかかったのは、大きな街の跡だった。一度は廃墟になったその場所に、少しずつではあるが、人が戻っているのだ。石や粘土のレンガを組んで作られた建物は半数以上が残っており、それを利用して人々が暮らしているらしい。煮炊きの煙が上がり、大通りには露店が連なっている。貧民街の様相だが、人がいることには違いない。そもそも、大半が生活の困窮した者ばかりなのだから、富を蓄えた者たちが放棄したこの街でも、十分だと考える人は多いだろう。
建物が比較的無事なあたりに、宿屋の看板を見つけた。本来の宿屋から引きはがして無理やり取りつけた、といった風である。リズは物珍しげにそれを見つめていた。看板には、字が読めないものにもわかるように、食器とベッドの絵が描かれていた。それでも、おそらく生まれた村から出たことのないリズには、知らない存在だろう。ローディはリズの頭を手のひらで軽く叩いた。
「ここはな、俺たちみたいなのに部屋を一晩貸してくれる店だ。飯も頼めば出てくる。まあ、金があれば、だが」
「お金?」
リズが問う。さすがに金の概念を知らないはずはない。言葉の意図するところは、持っているのか、ということだろう。ローディは上着の内側に手を突っ込んで、革袋を取り出した。口を開けて中身を確かめる。見つけた死体を漁って、あるいは殺した相手から手に入れた硬貨だ。それも、価値の高いものばかり選別してある。
「泊まるか。たまにゃあベッドで寝たい」
そう言って、木の扉を開いた。この扉も、別のところから無理やり引きはがして取りつけたものであるらしく、寸法がずれていた。
中は薄暗く、埃っぽい。片付いていないのか片付ける気がないのか、石の破片が転がっていたりする。リズが不安げに顔をしかめた。ガダックがなだめるように彼女の頭を撫でる。ローディはそれを横目で見つつ、帳場に立つ小柄な男に声をかけた。
「三人だ。部屋は一つでいい」
「へえ、毎度。ベッドは二つまでしかありませんが」
猫なで声で、男は答える。声ばかりは、男というより老婆のようだ。ローディはちらりとガダックを見やってから答えた。
「それでいい。飯は?」
「へえ、隣の食堂までどうぞ」
店主の口癖に、ローディは少しばかり苛立って、言われた金額の硬貨をカウンターに放った。主人は素早い動きで硬貨を集め、一つとして床に落としたりはしなかった。
「へえ、毎度。二階です」
部屋の鍵を渡される。木片が紐でくくりつけられていて、そこにはいびつな鳥の絵が描かれていた。これが、指定された部屋の印なのだろう。ローディはリズに鍵を渡した。
「おら、これとおんなじ絵のついた部屋だ」
リズは鍵を受け取ると、楽しげな笑顔を浮かべた。奥の階段に走っていく。ローディは肩をすくめた。
「なにが楽しいのかね」
「まったく、いじらしいものだ」
ガダックは低く笑って答えた。ローディの肩を、平手で叩く。
「さあ、食事がうまいことを祈ろうじゃないか」
どうだかなあ、とローディは言って、リズについていった。
階段を上がると、突き当たりの部屋の扉でリズが何やら格闘していた。鍵を穴に突っ込んだはいいものの、ひねることができないようだ。右へ左へとガチャガチャ動かしている。
「おいおい、壊すなよ」
ローディは小走りに近づいて、リズの手を取って鍵から放した。リズは頬を膨らませて彼を振り仰いだ。ローディは大げさな息を吐いて、鍵を握った。確かに、固い。ふん、と気合を入れると、ガチリと大きな音を響かせて、鍵が開いた。
扉のたてつけも想像通りに最悪だったが、部屋の中は案外きれいに整えられていた。ベッドの用意もされている。素人の経営ではないらしい。ほお、とガダックが声を上げた。
「これは安らげそうだ」
ガダックは奥のベッドに歩み寄って、荷物を慎重に降ろした。ローディは自分も荷物を降ろして、ガダックを観察した。彼は荷物の上にしゃがみこみ、何やら確認している。そこへリズが近づいて、荷物の中を指差した。
「じいじ、これ、きれい」
ガダックは荷物の中へ手を入れ、リズが示したものを取り出した。
「これはじいじの大切なものだ。落とさないように」
そう言って彼女の手に渡したのは、木の小箱だった。色とりどりの美しい模様が描かれている。継ぎ目がわからないようにされており、一見して開きそうには思えない。リズは目を輝かせてその模様に見入っていた。ローディはその箱が何であるのか、なんとなく察しがついていた。ガダックに初めて会ったときに、それは気付いていたことだった。
「それ、骨か?」
リズがきょとんとする。ガダックは頷いて、リズの手から箱を取り戻した。
「妻だ」
妻、とローディが問い返す。ガダックは箱を荷物の中へ戻した。ごく慎重な手つきだ。
「この老いぼれは、妻と共に眠る場所を探しているのだよ」
その告白は、まるで散歩に行ってきたことを報告するかのような、ごくさりげない調子であった。ローディはぽかんと口を開けた。リズが心配するようにガダックを見上げる。
「じいじ、リズのおうち」
ガダックは目を細めて彼女を撫でた。
「わかっておるよ、きっとおまえを送り届けてやるから。それまでは死なん」
リズはもどかしそうに足を踏み鳴らした。
「んー、んー!」
リズは、うまく言葉にできない自分に苛立っているらしい。ローディは表情を歪めた。
「死に場所を探してたにしちゃ、ずいぶんな旅支度だったな」
声にとげが混ざる。ガダックは苦笑した。
「死は恐れぬが、飢えと渇きの苦しみは、この歳になってさえ、どうしても恐ろしいものだ」
はあ、とローディは呆れたような声をぶつけたが、ガダックはそれで十分に答えたと思ったらしい。リズに向き直る。
「おまえは聡い子だ。この老いぼれを案じてくれる優しい子でもある……良い子だ」
リズは今にも泣き出しそうに顔を赤くして、ガダックにしがみついた。
ローディは老人と幼子とを、じっと見つめていた。死に場所を求めるガダックと、故郷に帰りたいリズを。