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帰郷の風  作者: 宮音 詩織
13/29

*13

 荒野が少しずつ、緑の景色へと変わりつつあった。まだ草原とは呼べないが、まばらに生えた草木が、風の匂いに色を添えている。荒野の乾いた風よりも、いくらか澄んで感じられた。

 石や草がよけられて、道がつくられているところに行きあたった。ガダックが厳しい表情を浮かべて立ち止まった。ローディは彼の顔色を伺う。

「どうした、じいさん?」

「これは街道だ。関所が近い」

 関所、とローディはげんなりした表情を見せた。ガダックは道から数歩離れて、その先へ目を向けた。

「ああ、小領主の納める街が近くにあるのだろう。北の出口を守るものだ」

「北がこんな真ん中近くにまで領地を広げてるとは思わなかった。お偉いさんってのは意外に勤勉なんだなぁ」

 皮肉めいた大袈裟な声を上げ、ローディは笑った。ガダックは苦笑している。道を進めば迷うことはない。街に行けば、人の暮らしがある。ガダックは懐を探り、財布にしている革袋を取り出した。

「路銀も足りん。仕事を求めたいところだが」

「やめとけよ、あんな連中のよこすもんなんか、ろくなもんじゃねえぞ」

「死体漁りよりは、わしに向いているものでな」

 自虐ともあてこすりともつかない言葉を、ローディへ投げてくる。特に反論もせず、ローディは肩をすくめる。リズを見下ろすと、彼女は少しばかり機嫌の悪そうな顔をしていた。ローディは手を近付けて、彼女の頬を軽くつねった。少女は、あう、と声を上げたが、逃げたりはしなかった。

「こいつ、じいさんに何か言いたそうだぞ」

 その言葉に、ガダックがリズを見る。幼子は抗議するような目を老人へ向けていた。口を開き、なにか言いたげだが、うまく形にならないようだ。うう、ああ、と声だけがこぼれる。街道の先を指差し、手をぱたぱたと動かし、首を横に振って、訴える。意図を察したのか、老人は困ったように眉を下げた。

「しかしなリズ、そろそろ食料も道具も少なくなってきたのだ。歩き続けるためには、どうしても街に立ち寄らねば」

 だが、リズは聞き分けなく地団太を踏んだ。ガダックが驚いたように目を見開く。その顔に、ローディはつい、ぶっと吹き出した。

「傑作だわ、あんたのその顔」

 ガダックは、ローディへは容赦のない苛立ちの表情を向けた。ローディはリズの肩をぽんと軽く叩いた。目と言葉はガダックへ向けている。

「まあ近付きたかぁねえだろうよ、街にゃ〈狩人〉も出入りしてるんだ。あんたのところは、街に近付くな、ってガキどもに教えなかったのか?」

「いや、それは……」

 ガダックは口ごもる。ローディはガダックをいじめるように、ねっとりした声音で続けた。

「ああ、やだねえ。じいさんは、領主どものママゴトをこのガキに見せようってんだ」

「ままごと、だと?」

 ガダックが声に怒気を含ませる。ローディは怯まない。

「実際、そうだろうが。気に入った人間を集めて、自分たちの思うとおりに生活させて、悦にひたってんだから」

 と思わせぶりな視線をリズに向け、ガダックへ向け、街のあるほうへ滑らせてから、またリズを見、ガダックへ戻す。

「そうやって暮らしてる連中が、生きてるってのか、俺には疑問だね」

 ガダックはローディの言葉に、まさに冷や水を浴びせられたようだ。表情から激しい感情が消え、鎮火した灰のような顔色になった。老人はゆるゆると首を振った。

「確かに、おまえの言うとおりだ……リズを街へは近付けられんな」

 リズは目に涙を溜めている。わがままを言っているのは承知しているのだろう。罪悪感に満ちた顔をしている。ローディが少女の頭に手を置くと、そのひょうしに、大粒のものが目からぽろぽろと落ちた。ガダックはリズの前にしゃがみ、彼女の頬を撫でた。

「すまぬ。おまえが気丈ゆえに、つい忘れてしまいそうになるが、どうしても耐えられぬ恐怖というのは、誰にでもあるものだな……わしでも怖いものはある」

「ほお、そりゃ気になるね」

 ローディが横から茶々を入れた。ガダックはしゃがんだまま、渋い顔で彼を見上げた。ローディは歯を見せてにかりと笑う。老人は、ふと表情を緩めた。

「街に近付かぬのであれば、街道からも離れたほうがよかろう」

「あー、それなんだがな、ガダック」

 ローディの瞳に、剣呑な影が揺れる。

「ちっと遅かった、それ」

 馬の馳せる音が聞こえた。ガダックが立ち上がり、音の方向からリズを隠すようにして立つ。ローディはガダックと目配せし、その場で相手がくるのを待った。ローディが低く呟く。

「まったく、次から次へと、色んなもんが向こうからやってくるね」

「そういうものだ」

 ガダックの声音には、投げやりで軽い響きと同時に、深く重い色が含まれていた。ローディは片眉を上げたが、それ以上は口を閉ざした。余計な詮索はしないに限る。

 馬が近付いてくると、それが街道巡視兵であることがわかった。二人だ。一人は街の印章旗を掲げ、もう一人は銃剣の備えられた長銃を手に、いつでも撃てるよう構えている。上等の織物で仕立てられた制服を着ている。被っている帽子から、銃を構えているほうが上官らしいということがわかった。制服や帽子には飾りボタンや飾り帯がぜいたくにあしらわれており、街の豊かさを知らしめているようだった。馬具にさえ、贅沢な装飾がほどこされている。それだけの野盗の餌をぶら下げているということは、撃退できるだけの腕がある、ということも表す。ローディは冷や汗がこめかみに浮かぶのを感じた。

 巡視兵の二人はローディらの前で立ち止まった。どちらも馬上のまま、誰何してくる。

「どこへ行く、何者か?」

 迷いなくガダックが前に進み出、右手を左の手で包んで敵意のないことを示し、軽く頭を下げた。

「西の地より参りました、しがない旅人でございます」

「それは南の娘と……北の男か?」

「流石。そのとおりでございます」

 ガダックはとりあえず、嘘をつかなかった。繕うのは悪手であるとわかっているのだ。ローディはリズに視線をやった。あまり不自然な動きをしてほしくはない。大人しくしていろ、と念じる。幸い、リズは人見知りの子供がするように、ローディの後ろに隠れている。尋問は続く。

「貴様らの間に、どのような関わりがある? その子供、かどわかしてきたのではあるまいな?」

 相手の言葉に、ローディは喉まで声が出かかった。かろうじて耐える。ガダックの背も一瞬震えたように見えたが、相手はそのことに気づかなかったようだ。ガダックは努めて冷静な声で答える。

「この子供は、これの娘でございます。とはいえ、離れて暮らしておりましたので、あまり親子の自覚はないようですが」

 さすがにここは偽らざるをえない。リズに関わる真実は、相手を刺激するだけだ。それにしても、とローディは思う。なぜ自分が、リズの親にされなければならないのか。挙句の果て、ガダックは続けた。

「これは、我が後添いの息子でございます。それも失いましたので、世話をしてくれる女を探しに、旅をしておりました」

 よどみなく偽りの背景を語りながら、ガダックが同意を求めるようにローディへ向く。

「そうそう、こいつの母親が死んだんで、俺も後添いってやつを探しに」

 ローディは巡視兵たちへ愛想よく笑って見せたが、内心、複雑なものが渦を巻いていた。ガダックの言葉が嘘であることに違いはないのだが、それとは関係なく、強く訴える違和感が、ローディの胸をうごめいている。思わずリズを見下ろす。視線に気づいたのか、リズがこちらを見上げてきた。きょとんと不思議そうな顔をしている。その瞳にきらめくものを見た気がして、ローディは思わず息をのんだ。

 二人の巡視兵は視線を交わすと、互いに頷きあった。上官のほうが銃の狙いをガダックの右目に据えて、言う。

「その話が真実か嘘かはどうでもよい。問題は、貴様らが悪意をもって街へ近付いてきたかどうかだ。不逞の輩は、常に絶えぬ」

 ガダックの顔から、わずかに色が失せる。そこに表れるているのは、恐怖ではない。言葉を失う老人に代わり、ローディが答える。

「まさか、立ち寄るつもりもございません」

「それはなにゆえか?」

「それは……それは」

 ローディは口ごもる。たしかに、ただの旅人が街を避ける理由はない。いや、心情的には近付きたい者などいないだろうが、それでも立ち寄らざるをえない。水や食料、新しい衣服に武器や道具類、傷の治療。街でしか手に入らないものが多すぎるのだ。ローディは視線を泳がせまいと意識しつつ、考えた。だが、思考は支離滅裂でまとまらず、言葉にならない。横から髪を乱してくる風にさえ、意識を妨げられるありさまだ。あまりの余裕のなさに、ローディは自嘲的に口角を上げた。相手の銃口が、ローディへ向く。その瞬間、幼子の手がローディの服を強く引いた。

「リズ、いやっ、街きらいっ」

 巡視兵が気色ばむ。ガダックが驚きと焦りを浮かべてリズの名を呼んだ。が、リズはまるで、わがままな子供がするように、足を踏みならした。

「街きらい、人いっぱい、うるさい、ぐるぐる、いやっ」

 語彙の少ない舌足らずな言葉は、リズのような歳の少女が使うには、あまりにも幼すぎるものだった。巡視兵は不気味なものを見る目で、リズを見た。リズは頭を振り、手足をばたつかせた。

「いやいやいやっ!」

 旗を持つ巡視兵が、嫌悪感を態度に表しながらローディへ問おうとする。

「その子供は」

「ああ、かんしゃくがひどくてね。それで迷惑かけるから、あまり街には近付かないようにしてるんですよ、ええ」

 ローディは相手の疑問を遮るように早口で言いながら、リズを抱き上げた。

「おおよしよし、いつもの発作が始まっちまったか、こりゃ大変だ」

 リズは甲高い声を張り上げ、やだやだと繰り返す。ローディの肩や頭を平手で叩きながら、身をよじって暴れる。ローディはなだめるようにリズの背を撫で、揺さぶって落ちつかせようとした。ガダックが巡視兵へ頭を下げる。

「お騒がせして申し訳ございませぬ。この子のためにも、あっけらかんとした南の女を息子の嫁にと、向かっている途中でございます。どうか、ご容赦を」

 巡視兵は顔を見合わせた。旗持ちのほうの視線が、ちらりとローディの武器に走る。ローディは、ああそうだ、と言いつつ、騒ぐリズを片手で抱えたまま、もう片手を懐へ入れた。

「つまらないものですが、どうぞ。拾いモノですが、俺なんかが持っているより、ふさわしい御方に届けていただいたほうがずっといい」

 取り出したのは、ブローチだ。空を写したような色の宝石がはめこまれた銀細工である。ガダックが一瞬、いいのか、と問うような視線を向けてきたが、ローディは応えなかった。巡視兵の上官の手が伸びて、ローディの手からブローチをひったくる。

「ふむ、確かに、このような高価なものはいたずらに災いを招きかねん。しかるべきところへお納めしよう。御苦労だった」

 馬首を巡らせ、戻るぞ、と部下へ指示する。旗持ちは承服しかねるというように目をすがめていたが、実際に逆らうことはしなかった。上官はこちらへ顔を向けた。

「街に来るつもりがないのなら、よい。が、そうならば決して近付くな。反逆者とみなし、子供もろとも処刑することになるからな」

 言い含めるような口調だ。ガダックが顔を伏せた。

「ええ……よく、承知しております」

 上官はガダックの腹底を探るように視線を向けてきたが、ガダックは顔を上げなかった。上官は、ふん、と鼻を鳴らし、そのまま馬を駆けさせた。旗持ちが続く。

 巡視兵たちが遠ざかってから、リズは騒ぐのをやめた。ローディの腕のなかで、素直に抱えられている。表情は落ちついており、瞳には悪戯めいた光が宿る。ローディはその表情に、思わず感嘆の声を漏らした。

「ガキでも女だな、嘘と芝居がうますぎる」

 その言い草にリズが頬を膨らませ、抗議するようにローディの肩を軽く叩いた。

「なんだ、褒めてやってるんだろうが」

 ローディは言うが、リズは納得しないようで、ぷいと顔を逸らした。その手は、ローディにしっかりとしがみついている。

 ガダックは巡視兵の去ったほうへ顔を向けていた。表情はしかし、街よりもさらに遠くを見つめているかのようだった。

「わかっているとも、よく知っている」

 独り言。ローディは目を細めた。ガダックのその言葉は、かつて衛兵として働いていた経歴や、傭兵として有力者たちに買われざるを得ない今の暮らしとは別のものを指しているように、ローディには思えた。

 ガダックは気を取り直したのか、ローディへ歩み寄ってきて、その腕に抱えられたままのリズを撫でた。

「賭けではあったろうが、よい判断だった」

 リズは安堵したように笑みをこぼした。確かにあれは、ともすれば撃たれてもおかしくない、危険な行為でもあった。

 ガダックは、リズを抱くローディの腕をちらりと見やる。ローディは恥ずかしいとも気まずいともつかない感情が顔に出るのを自覚しつつ、リズを降ろした。腕にかかっていた重さがなくなる。リズはローディの腕を離さず、まるで抱っこをねだっているかのようなそぶりを見せた。ローディは強く腕を引いて、幼子の手をほどいた。リズが残念がるように、しょんぼりと顔を伏せる。ローディは、罪悪感に似たなにかが胸を痛めたのを感じたが、つとめてそれを無視した。

 複雑な感情を眉間のしわに表すローディ。その横から、老人が気遣わしげに訊ねてきた。

「ずいぶんと大切にしていたもののようだが、よかったのか?」

「あ?」

 どれのことかわからず、ローディは首を傾げる。少しして、やっと思い出した。

「ああ、あれか」

 ローディは軽く笑った。あのブローチを賄賂として渡した理由が、自分でも理解できていなかった。

「まあ、いいんじゃねえか。どうせ、もう使わねえもんだ」

「おまえが、金にも換えず持っていた物だろう?」

 見抜かれている。ローディは視線を逸らした。ついでに、話も強引に逸らす。

「いつまでもここでグダグダしてると、また目ぇつけられちまう。とりあえず、離れるぞ」

 露骨なやり方にガダックは不愉快そうな顔をしたが、ローディの言うこともまた正しい。それ以上は追及せず、ガダックは街道の伸びる方向を確かめ、それとは違う方向へ足を向けた。リズがそれに従って歩く。ちらりとローディを振り向く。ローディは、ガダックのほうを顎でしゃくって示した。リズは聞き分けよく頷いて、ガダックに走り寄ると、手を握った。ガダックはリズを見下ろし、手を握り返した。ローディは二人の背を眺めながら、自分もまた歩きはじめた。静かな風が、背を押すように流れていく。


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