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帰郷の風  作者: 宮音 詩織
12/29

*12

 夜明け前に、三人は誰からともなく目を覚ました。ガダックが荷の中から取り出した燻製肉と、ローディが敵から奪ったビスケットを胃に収め、水をたっぷり革袋につめて出発する。

 少し歩いたところで、ローディが立ち止まった。

「ケダモノ臭いな」

 長銃を構える。彼の様子に、ガダックもまた剣を抜き放った。鞘をリズに抱えさせる。リズは老人から数歩離れ、ローディの足元に近づいた。これは武器を見ての判断だろう。ローディはリズをちらりと見下ろした。

「正解だ」

 思わずつぶやきがこぼれた。リズが彼を見上げたが、それに対しては、あえて何も返さない。

 遠吠えが聞こえる。狼だ。どうやら縄張りに侵入してしまったらしい。まだ姿は見えないが、いずれ現れるだろう。人間の足では逃げるほうが難しい。迎えうち、撃退するのが最も有効な策だ。

 わずかな空白の時間。やがて巨大な灰色の獣の群れが、三人を取り囲んだ。どれも、肩の高さがリズに等しいほどの大きさである。リズの喉から、わずかな声が漏れ出た。

「うあ……」

 その身が小刻みに震える。

 捕食者たちは牙をむき出し、息を荒げている。喉の奥で唸りを立て、こちらを威嚇している。いや、威圧しようとしている。ローディもガダックも引かず、武器を構える。狼たちの策略に陥っているのは、小さなリズのみだ。狼たちはそれを察し、リズに標的を定め、その目を据えた。頑丈な四肢が地面を蹴る。次の瞬間、猟銃が鳴った。

「離れるなよ、ガキ」

 ローディは言い、銃のレバーを下げた。排出された空薬莢が跳ねて転がる。狼らが一斉に足を踏み出す。薙ぎ払うガダックの白刃。狼たちは傷つき、喉の奥で甲高い声を上げる。再び銃声、一頭が、重い音を立てて倒れる。地面に血が広がる。

 狼たちは大きな輪を作って三人を囲み、ぐるぐる回っていた。ガダックが剣を一閃させた。その勢いに、狼たちはびくりと身をすくませる。

 狼たちはやがて諦めたのか、輪を崩した。頭を垂れ、尾を力なく揺らし、悔しげな足取りで駆け去っていった。一頭の亡骸だけが、そこに遺された。

「……さて、いつもなら捌いてどうこうって考えるんだけどな」

 元は猟師とはいえ、まともな道具もないところでは、皮のなめしも難しい。死体ごと持ち歩いたとして、買ってくれるような人間と会えるかどうかも運次第だ。食用肉にするにしても、加工する手段がないここでは、多くを腐らせるだろう。ローディは大きく息を吐いた。

「もったいねえけど、捨てていくか」

 また別の獣が、この死骸を食べ尽くすだろう。ローディはそう踏んだ。ガダックも反対はしなかった。

「弾二つ無駄にしただけか」

 ローディはぼやいた。自分の脚にとりすがっているリズを見下ろす。

「おい、もう大丈夫だぞ」

 リズは彼を見上げ、小さく頷いた。幼い体は、震えを誤魔化せていない。

「おおリズ、こっちへおいで」

 ガダックが手を伸ばすと、リズは素直にそれを握った。

 泣くか、とローディは思った。が、リズは何度も目をしばたかせて、無理やり涙を乾かしたようだった。ずず、と鼻をすする。その先端は真っ赤だ。それでも彼女は、力強く頷いた。

「だいじょうぶ」

 声は震えていたが、言葉に揺らぎはなかった。ローディはそれを良しとして、狼の死体へ手をかけた。ナイフで皮をはぎ、今日食べる分の肉だけを手早く削ぎ取る。その手元をリズは興味深げに見つめていた。ローディはすぐに作業を終えると、肉をガダックのほうへ放ってから歩き始めた。リズが慌てて追ってくる。ガダックも、抗議の声を上げかけたようだが、リズの姿勢を見て諦めたらしく、肉を布で包んで手に持ったまま、黙ってついてきた。

 川から離れると、また景色は荒野になっていった。これから南へ向かえば、少しずつ草木が増える。無事な集落が残っていれば、畑が広がっているのも見られるはずだ。

 後ろを振り返らず、ローディは大股でずんずん歩いて行く。その背中に、幼い視線が注がれているのが感じられたが、彼はそれを無視していた。ガダックの、幼子に問いかける声が背から聞こえる。

「どうした?」

 リズは答えない。けれども、首を横に振ったらしい。その視線はローディに据えられたままだ。ローディは構わず、どんどん前を歩いて行く。ガダックが声をかけてくる。

「もう少しゆっくり歩いてくれ」

「チビの足に合わせてたんじゃあ、着く前にあんたが死んじまうよ、ガダック」

 ローディは老人をからかうように笑いつつ、リズをあごでしゃくった。リズは少しの間うつむき、それから顔を上げ、大股で歩き始めた。ローディの隣に並び、立ち止まり、挑むように彼を見上げる。ローディは視線を別の方向に向けて少しの間考えた後、歩き始めた。リズは大股でそれについていく。ローディは足を速めた。距離ができる。リズも焦って足を速める。ローディは歩幅を広げた。リズはとうとうついて行けず、小走りになった。リズが追いついた瞬間、ローディもまた小走りになった。リズが声を上げた。

「わあっ、ううっ!」

 言葉の不十分な彼女の声は、それでも十分にローディへの不満を表していた。ローディはつい吹き出した。リズがむきになってローディを追いかけてくる。手を伸ばし、彼の服を掴もうとする。ローディはひょいとそれをかわす。

「捕まるかい」

 からかうように言って、また前に進む。リズが走って追いかける。ローディも走って逃げる。大量の武器や荷物を背負っているにも関わらず、その動きは身軽だ。

 ローディが後ろをちらりと見ると、ガダックが額の汗を腕でぬぐったところだった。

「やれやれ、若いな」

 大きく深呼吸してから、ふん、と気合を入れ、彼も走って二人を追いかけてきた。

 リズのわあわあという声が、次第に甲高くなっていく。ガダックが足を止めた。ローディは怪訝な顔で彼を見やった。ガダックは柔らかな眼差しで、リズを見つめている。ローディもリズを改めて見下ろし、そして、彼女の声の正体を知った。

 笑っているのだ。甲高いその声は、子供にふさわしい、無邪気なはしゃぎ声なのだ。ローディがリズをからかって動くたびに、リズは嬉しそうに声を上げ、笑うのだった。

 ガダックがゆっくりと頷いた。その目が自分に向いていることに、ローディは気づいた。

「なるほど、お前もなかなか、情に厚いのだな」

 そう言われて初めて、彼は、自分の口元に笑みが浮かんでいることを自覚した。

 とうとう、リズがローディを捕まえた。彼の腰に腕をまわして、しっかりとかじりつく。ローディは迷惑そうな顔をした。

「あー、やめろって、おい」

 リズの頭をわしゃりと混ぜるように撫でる。彼の手は大きく、リズの頭をわしづかみにしてしまえそうだった。リズが、その手をぱしりと捕まえた。満足そうに笑う。これでどうだ、と言わんばかりだ。ローディは空いた方の手をひらひらと振った。

「はいはい、俺の負け」

 リズは手を離そうとしない。ローディはそれを振り払おうかと少し迷ったが、やめた。そのまま歩きだすと、リズはローディの中指と人差し指をしっかりと握ったままついてきた。温かい。ローディが握られた指を曲げ、親指を動かしてリズの手を握り返すと、小さな手の力はいっそう強くなる。顔を見ると、リズは至極嬉しそうな顔でローディを見上げていた。

 ローディはどこか落ち着かないような気持ちになったが、それは決して不快なものではなかった。リズに向けて、笑いかけてやる。と、リズは頬を赤く染め、火花が散るように笑顔を弾けさせた。

 ローディはふと気になって、後ろを歩く老人を横目で伺った。ガダックはこの上なく穏やかな、全てを包み込むような眼差しで、リズと、そして自分を見つめていた。妙に面映ゆい。腹のあたりがくすぐったくなって、ローディはガダックの視線に気づかなかったふりをした。少し強い風が顔に吹き付けてきたので、彼は砂ぼこりを払うふりをして顔を覆い、老人から逸らした。

 夜になり、三人は茂みの影に腰を下ろした。小さなリズは、ローディとガダックに挟まれるような位置に陣取った。

「肉、食っちまおう」

 ローディは茂みの下草や枯れ枝を集めて火を起こした。持っている火口がかなり少なくなっていることに気づく。ローディはガダックが切り分けた狼肉を鍋に入れ、いちど茹でこぼしてから、草の根を放りこんで煮た。味と臭みがどうしようもないのはともかく、腹は満たされた。リズも空腹を感じていたのか、しかめっ面を見せつつも肉を噛んでいた。

 食事を終えて鍋を片付け、ローディは空を見上げた。空は晴れ、星明かりで視界は悪くない。風もそれなりに穏やかで、寒さは感じない。

「火は消すか」

 ローディは呟いた。焚火の始末をしつつ、ガダックに、先に寝るよう促す。ガダックが頷いて、早々に横になった。その姿勢のまま、リズに目をやる。

「リズも、もう休んでしまいなさい」

 穏やかな声。だが、リズは少しばかり不安そうだった。

「けだもの」

 眉根を寄せる。ローディはその言葉の意図するところを察した。大きく息を吐き、リズの頭に手を置く。

「見張ってるから大丈夫だ」

 リズは居心地悪そうに体を動かしていたが、やがてローディに身を寄せ、横になって丸まった。だいじょうぶ、と繰り返し呟きながら、目を閉じる。手が、探るように動く。ローディの服の裾に、リズの指先が触れる。彼女は遠慮がちに、ローディの服の裾をつまんだ。

「だいじょうぶ、ね」

 目を開けてローディを見上げ、眠たげな顔でふにゃりと笑う。その目はすぐに閉じられた。迫る睡魔が、不安に勝ったらしい。

 ローディは少しの間、リズを見下ろしていた。大丈夫、と繰り返した彼女、その笑顔の意味を考える。寝息を立てる彼女は、すっかり安心した顔で、ローディに寄り添っている。あまりにも無防備で、あどけない姿だった。

 ローディの手は無意識に動いていた。彼が気付いた時には、自分の手が、リズの小さな肩をゆっくりと撫でていた。それを自覚しても、彼はそれを止めなかった。

「大丈夫、か」

 その眼差しは穏やかに、リズに注がれていた。


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