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帰郷の風  作者: 宮音 詩織
11/29

*11

 嵐が嘘のように、穏やかな天気が数日続いた。

 地形が波打つようになり、坂を上がったり降りたりが続く。空気に、わずかながら湿り気が含まれ始めた。地面が草に覆われ、細い木々や茂みが増え始めた。少しずつ聞こえていたはずの水音に、やっと気づく。川があるらしい。

 行きあたると、それは広く浅い、流れの緩やかな川だった。広い河原を見れば、手のひらに握り込める大きさの丸い石が敷かれている。背の高い植物が水の中から伸びていた。

 リズが真っ直ぐ河原に走っていく。ガダックが、これこれ、とたしなめつつも、後を追う。その数歩後ろから、ローディは水に近づいた。

 肌にこびりついた汚れは流さなければならないし、そろそろ泥と砂ぼこりにまみれた髪を洗いたかった。野宿続きのおかげで、全身汚れていない場所はない。リズは靴を脱ぎ、服を脱ぎ捨てて、早くも水に飛び込んでいた。ガダックもまた荷物を降ろし、彼女のすぐ傍で衣服を脱ぎ、汚れを落とし始めた。しかし、染みついたものはなかなか落ちそうにない。ローディは自分も服を脱ぎながら声をかけた。

「じいさん、新しいのをあつらえちゃどうだ?」

 ガダックはふんと鼻を鳴らした。自嘲したような響きが声に混ざる。

「血を流さずに相手から剥ぎ取る腕があれば、こう面倒な気を使わずに済むのだがな」

「その大荷物の中に着替えはねえのか?」

「肌着の替えと、夜具に使っている防寒着くらいか」

「それでそんなに膨らむもんか?」

 その問いに、ガダックは手を止めた。が、答えず、洗濯をやめて服を絞った。川の中のリズに声をかける。

「水面が膝を越えてはいかんよ、溺れてしまう。注意しなさい」

 リズは素直にこくりと頷いた。頭の先からすっかり濡れている。その姿を見ると、ローディも無性に水が恋しくなった。今すぐに浸りたい、という欲求が湧いた。

 彼は靴を脱ぎ、上半身の衣服をすべて取り去ってズボンをまくると、リズから見て川上にあたるほうへ足を入れた。ざぶざぶと中ほどまで歩いて行く。水面が彼の脚をすっかり呑みこんだあたりで、彼はそのまま全身を水に沈めた。口をゆっくりと開くと、ほどよく冷たい水が流れ込んできた。それに触れて、彼は改めて、自分がいかに乾いていたかを知った。彼は飲んだ。それから立ち上がり、リズの方へ歩いた。

「おらチビ、お前もこっち来い。んで、飲め」

 後ろから脇の下に手を差し入れ、持ち上げる。リズはさして抵抗も示さなかったが、明らかに全身を緊張させたのが伝わってきた。ローディは息をひとつ吐いたが、何も言わなかった。彼はリズを持ちあげたまま、流れの深いほうへ歩いた。ガダックが不安げな眼差しを注いできているのがわかる。が、あえて無視する。自分がこのまま彼女を川に流してしまおうとしているように見えているのだろうか、いや、それならばこの老人は止めるはずである。ローディはすぐに考えることをやめた。

 リズは川の流れをじっと見つめているらしい。しかし、ただ怖がっているばかりとも言えないようだった。水面に恐る恐る手を伸ばしている。ローディは彼女をゆっくりと水に浸した。リズは体を固くしたが、暴れたりすることはしなかった。今手を放されたら危険なことは、重々承知しているだろう。

 ローディは、リズの胸が水に浸ったところで手を止めた。

「おら、飲め。しょんべんはするなよ、じいさんが体洗ってるからな」

 リズは両手で水をすくい、夢中で喉を鳴らした。ローディの手に、水の抵抗が伝わってきた。どうやらリズが水の中で脚を動かしているらしい。なにが楽しいのか、緊張はすっかりほぐれて、今はただ喉を潤すことと、水に遊ぶことに夢中になっている。

 ローディは、もう十分だろうと思われたところでリズを抱え上げた。リズが声を上げる。

「あー、やだー」

「やだじゃねえの。あんまり浸ってるとふやけちまうぞ」

 彼はリズを肩に担いだ。リズはおとなしく、されるがままにしている。ガダックがまぶしげに目を細めてこちらを見つめている。ローディはその真意を測りかねたが、深く探ろうとも思わなかった。

 ローディはリズを河原に降ろした。リズはガダックの傍に走っていった。ガダックは洗った服を河原の石の上に広げていた。リズが怪訝な顔をすると、彼は愛おしげに微笑んで彼女の頭を撫でた。

「太陽はよく照っている。風には当てられんが、着られるほどには乾くだろうな」

「じいじ、お水、飲むのよ?」

 リズが小首を傾げて気遣うように言うと、ガダックはいっそう優しげに頬を緩ませた。

「そうだな」

 その答えに、リズは満足げに頷いた。

 ローディは、自分も脱ぎ捨てた服を水にさらし、固く絞って河原に広げた。そうしてから腰を下ろす。ガダックがリズに自分の服を洗うよう指導していた。ローディはあぐらをかき、膝に頬杖をついてそれを眺めた。

 神経を研ぎ澄ませても、不穏な気配はない。ローディは鼻で大きく息を吸い、吐きだした。まるでそれに呼応したかのように一陣の風が吹いて、川面にさざ波を生んだ。

 その夜は、そのまま河原で身を休めた。


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