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帰郷の風  作者: 宮音 詩織
10/29

*10

 空に、暗く重い雲がたちこめている。風が強く吹きつけ、服や髪をこれでもかと暴れさせ、歩くのを妨げるほどになっていた。大荷物を背負ったガダックは、あおられて足取りも危うい。ローディは鼻から大きく息を吸った。

「この匂いは、嵐だな。だいぶ南側にきたと思ったんだがなぁ」

 ガダックが眉根を寄せる。北の地を脅かす吹雪の話を、彼も知っているようだ。降雪をともなう暴風は時期を問わずに発生し、北の民を苦しめる。老人は辺りを見回した。だが、彼の探しているものは見つからない。ローディはガダックの肩を軽く叩いた。

「このあたりは平べったいからな。古い建物の跡でもありゃあいいが」

 言いつつ、視線を巡らせる。リズも倣って、きょろきょろと首を動かしていた。ローディは雲の流れを見た。今すぐにというわけではないが、じきに吹雪くだろう。そうなる前に、なんとか腰を落ちつけられる場所を見つけねばならない。

 視界にはなにもないと判断し、ローディは歩き出した。やや足早に、同時にくまなく辺りを観察しながら、嵐をしのぐための場所を探す。

 耳を裂くように冷たい風が通り抜けた。リズが声を上げる。ガダックも呼吸を震わせている。ローディは二人をちらりと見やると、さらに足を速めた。リズは小走りについてくる。その声が、じいじ、とガダックを気づかう。ローディは振り向かなかった。この風の中、老人が大荷物を背負って歩くことがどれだけ大変なことなのかは、見なくともわかる。ローディは舌打ちし、銃を抜いた。

「おいガキ、撃つから聞いてろ」

「うつ?」

 リズがきょとんと首を傾げる。返事を聞かず、ローディは走りだした。ガダックが呼びとめるように名を呼んできたが、無視する。かわりに、その目は広がる大地の違和感を少しも見逃すまいと探っていた。そうする一方で、そのような自分を小馬鹿にしている自分もいる。

「ああくそ、何やってんだ、俺」

 悪態をつく間も、走り、視線を動かす。と、進路をやや東に外れたところに、不自然な隆起を見つける。ローディはそちらへ走った。近付くと、とうの昔に崩れた遺跡だということがわかった。かつては大きな街だったのだろう、大きな石壁がいくつも転がっている。壊れて地面に不自然な角度で埋まり、草や苔におおわれている。屋根はないが、なにもないよりはいい。ローディは銃を空に向けた。引金に手をかけ、その瞬間、風が音を妨げていることに気づく。嵐の到来は、思ったより早い。ローディは自分の中で焦りが膨らむのを感じた。久々の体験におののきながら、ローディの手は冷静に今ある弾を銃から抜いていた。懐を探り、錆びかけた、先のまるい弾をひとつ。

「十年ぶりか」

 装填。レバーを引く。カチリ、という耳慣れた音が、ローディを鎮めた。空に向ける。引金に指をかける。一発。弾は、ひいい、と悲鳴に似た甲高い音を引きながら、空を割る。直後、ローディの頭上からややずれた位置で、閃光が爆ぜる。狩猟を生業とする者たちが、互いの位置と状況を知らせるための、信号弾。風にあまり流されなかったのは、弾がそういう工夫を凝らされているからだ。

 突風が吹きつけ、ローディはよろめいた。顔をかばい、銃を降ろす。抜いた弾を手早く込めなおして、空を見上げる。黒々と渦を巻いた雲の下で、白いものがちらつきはじめていた。

 リズとガダックが駆けてくるのが見えた。強風にあおられてふらつきながらも、転がるように向かってきている。ローディは怒鳴った。

「死にてえのか、とっとと走れ!」

 リズが気づいた。目が合う。幼子はガダックに声をかけ、ローディのほうへ真っ直ぐに向かってきた。ガダックもローディに気づき、表情をわずかに緩めた。ローディは舌打ちした。

 もはや立っているのも辛いほどだった。身を貫くような冷たい突風が、絶えず打ちつけてくる。顔に雪が当たるたび、鋭い痛みを感じる。それほど量は降っていないが、身を凍えさせるには十分だ。衣服は役に立たないどころか、風のなかではまるで拘束具のようだった。

 リズがローディの傍へ来て、石壁に張りついた。身を丸める。

「つめたい!」

 震えている。ローディは追いついてきたガダックの背の荷を何も言わず奪い、毛布を引っ張り出してリズにかぶせ、そのまま包んだ。そこへ寄りかかるように傍で膝をつき、ローディはガダックに向けて怒鳴った。そうしなければかき消されるほど、大気全体が揺さぶられるような音で唸っていた。

「身を伏せてろ! 気色悪いが、ひっつけ!」

 北の民として、教えは受けている。凍える風にさらされる個所を、なるべく減らすのだ。そのためにできることは、とにかくやる。ローディはガダックに腕を伸ばした。ガダックもその腕を受け、ローディと肩を組んだ。二人でリズの上に覆いかぶさるようにして、壁に顔を向ける。背中ばかりは吹きさらしだが、手足は身体の前に持ってきて庇う。耳はすでに感覚がない。

 ガダックの苦しげにうめく声。リズはなにも言わず、毛布のなかで震えている。ローディは二人の体温を感じていた。一人でどうやって嵐をしのいでいたのか、すでに思い出せなくなっている。後頭部や首筋がひたすら冷たい。衣服の隙間から凍える風が入ってきて、体温を奪ってゆく。

 あまりにも長い時間が過ぎた。少なくとも、ローディはそう思った。少しずつ風が収まり、音がゆるやかになっている。ローディはガダックから離れて、顔を上げた。雲が切れて、空はまだら色になっていた。日が暮れている。月が雲の隙間から光を差し、かろうじて周囲の状況がうすぼんやりと認識できる。寒さもやわらいで、地面を見れば、薄く雪が積もっていた。これは、明日の陽ですべて溶けるだろう。

 ローディはまず、自分の耳の無事を確かめた。痛みはあるが、ちぎれ飛んではいないらしい。続いて、ガダックの顔を見る。すっかり消耗しているようだが、生きてはいる。毛布をはがす。幼子は眠っていた。というよりは、気絶しているのだろう。息があり、顔色もおかしいところはなく、体温も正常であることを触って確かめ、ローディは息をついた。

「なんだ、生きてやがる」

「よくもそのようなことが言えたものだ」

 ガダックが弱々しくも笑った。

「毛布を自分でかぶっていれば、望みどおりになったろうに」

 ローディは返答に詰まった。代わりに、身体を大袈裟にはたいて見せる。

「あーあ、ジジイ臭いのが移っちまった」

「そうだな、わしもお前の、青臭いのが移ってしまった」

 ガダックにやりかえされ、ローディは目をしばたかせた。口元を歪める。

「俺はそんな歳じゃねえぞ」

 ローディの言葉に、ガダックは、ふ、と余裕ある笑みを浮かべた。

 燃料がないので火が起こせない。ガダックは立ち上がり、いちど装甲を外して、濡れた服を脱いだ。身体を動かす。筋肉が盛り上がり、老人の体躯がまだ衰えていないことを主張する。彼はそうして、奪われた体温を取り戻そうとしているようだった。ローディは言う。

「まず食って飲めよ」

「北の教えか? ならば、従おう」

 ガダックは荷物に手を入れ、燻製肉を取り出した。道中でだいぶ減らしてしまっている。ガダックは端を大きめに裂いて、それをローディへ差しだした。ローディはなにも言わず受けとった。意図はわかっている。吹雪のなかを生き残らせた礼としては足りないくらいだが、文句を言ったところで、これ以上のものは出ないだろう。ローディはリズを見やった。今は、その寝顔は穏やかになっている。死ぬような吹雪ではなかったが、消耗させられ衰弱してもおかしくはない状況だった。にも関わらず、少女はただ眠っている。

 吹雪のあとの夜は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。ローディもガダックも何も言わず、ただいつものとおりに交代で見張りながら、太陽の訪れを待っていた。


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