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帰郷の風  作者: 宮音 詩織
1/29

*1

 もうもうと砂煙の立ちこめる道を、やせ細った野犬が一匹歩いている。左右に広がるのは、廃墟と化した村の残骸である。崩れた建物は多くが土で造られていたが、原型を留めているものは、数えるほどもない。そこには、人為的に破壊された跡がはっきりと残っていた。

 吹きすさぶ風の音にまぎれ、野犬の横っ腹を何かが撃ち抜いた。犬はぱたりと倒れ、動かなくなった。それを見るや、廃墟の陰から、わらわらと人影が現れた。手斧や棍棒で武装した、がたいの良い男たちだ。殺した犬に群がり、我先にと手を伸ばして自分の物にしようとする。

「俺だ、俺がしとめたんだよ」

「嘘吐け、おまえのは半年前に壊れてやがるだろうが」

「おれ三日前から食ってねえんだよ、尾っぽだけでもいいからくれよお」

 男たちの取り合いは次第に激化していく。互いを殴り、蹴り、傷つけて優位に立とうとする。ナイフを抜いて振り回す者さえいる。

 と、男の一人が絶叫した。悲鳴である。途端、場が収まる。悲鳴を上げた男を、ほかの男たちが囲んで見つめる。呆気にとられた顔、あるいは、怯えに囚われた顔で。

 悲鳴を上げた男が、ゆっくりと倒れた。額から血が吹き出す。弾痕。

「逃げろ、〈狩人(カリビト)〉の連中だ!」

 砂煙のせいで、辺りの視界は悪い。もし何かが襲ってきたとしても、それが何者であるか判別することは難しいだろう。

「ただの賊かもしれねえぞ、戦うか?」

「バカか、〈狩人〉だったら負け確定だ、逃げるぞ!」

 最も太く、大きな声がそう判断した。それを合図に、男たちは一目散に逃げ去っていった。

 風が止んだ。徐々に空気が澄み、見通しが良くなる。道の真ん中に一つ残された死体の姿が、露わになる。そこへ近づいて、死体の上にかがみこんだ者がいた。

「おーおー、取り残されちまったか」

 それは、鍛え上げられた体躯を持つ男だった。彼は口元に皮肉めいた笑みを浮かべ、視線をすばやく周囲に巡らせた。

「なんだ、犬はしっかり持っていきやがったな」

 彼は死体に手をかけ、それが身につけているものを外していった。ナイフ三本、鎌、縄、血のこびりついた汚い布。

「金も食い物もなし……弾のひとつもありゃしねえ、か」

 つい独り言がこぼれる。男は死体の持っていた長銃を取り上げて観察し、すぐに、それが壊れて使い物にならないことを悟った。単なるこけおどしの道具である。彼はそれを投げ捨てると、呆れて息を吐いた。

 男は、奪ったものを自分の身につけた。彼は全身に武器を帯びている。猟銃が二丁と弾、手斧、それにナイフを山ほどだ。それでいながら、武装の重さを微塵も感じさせない振る舞いである。

 彼や、先の男たちが警戒しているのは、〈狩人〉と呼ばれる者たちだ。「狩り」を目的とした、戦士の集まりである。彼らの狩るものとは、人間であった。町や村々を破壊し、人々を収容して回るのだ。まとまった一つの組織だが、東西南北の各領地に分隊を持っており、どれが本部なのか、そもそも本部と呼ばれる場所が存在しているのか、知る者はいなかった。多くが謎に包まれている集団である。多くの人々にとって、それは自然災害と同じように、理不尽で、どうしようもない、避けようのない災難だった。

 男はぼりぼりと頭を掻いた。

「この近くにゃあ、いねえとは思うがなぁ……」

 呟き、地平線をなぞるように視線を巡らせる。たった二本の腕が〈狩人〉たちの備える銃の束に勝つことなど、天地がひっくり返っても無理であろうということは、重々承知している。

 陽が傾き始めている。夜はそう遠くない。

 男は建物の陰に腰を下ろし、火を起こした。小さな鍋に水を張り、沸かす。そこに干し肉のかけらと乾いた草の根を放り、わずかな雑穀を入れて混ぜる。どろりとしたものがスプーンにまとわりついた。

 背後から、声がした。

「もし、そこの若いの」

 男はぎくりと肩を震わせた。ナイフに手を乗せ、振り向く。

「そう警戒せんでくれ。わしもおまえと同類だ」

 老齢ではあるが、醸し出される雰囲気は隠者のそれとはかけ離れ、未だ現役で戦い続けていることを悟らせた。革と金属板の、頑丈だが重たげな装甲をまとう。背負う荷も、徒歩の旅には不釣り合いな大きさだった。腰には大剣を佩いている。老人は礼儀正しく言った。

「西方の民ガダックというものだ。火を貸してくれぬか?」

 ガダックと名乗った老人を、男は値踏みするように眺めまわした。ガダックは穏やかな表情で、男の視線を受け入れている。自身が評価される側だということを、老人は自覚しているようだった。

 男は、自分の正面をあごで示した。

「ケチは言わねえよ」

「感謝する」

 ガダックは示された通りに男の正面へ回り、よいしょと呟いて腰を下ろした。大きく吐いた息に、疲労感が滲む。男は、まだら色に煮えた鍋を自分のほうに引き寄せつつ、言った。

「悪いが、ご馳走してやるものはねえからな」

「構わぬよ、わしには十分な手持ちがあるのでな」

 ガダックは言い、荷から分厚い薫製肉を取り出した。端をナイフで切り、刺したまま火にかざして炙る。とけた脂がにじんで肉を焦がし、香ばしい匂いが漂った。若い男は、露骨に迷惑そうな顔をした。

「おいおい、なんだそりゃ」

 ガダックは肉から目を上げた。鍋と、男の表情との間で、ゆっくりと視線を往復させる。

「その鍋の中身の半分と、おまえさんの名前。それで交換としよう」

「ローディ。北の生まれだ」

 男は迷いなく答え、切り分けられた肉にかぶりついた。老人は鍋を受け取って中身をすすり、その味気なさに苦笑した。

「確かに、このような食事ばかりでは物足りなかろうな」

 ローディはけらけらと声を立てて笑った。

「あんたは、衛兵崩れの傭兵ってとこか?」

「ほう、よくわかる」

「中途半端なんだよ、いろいろと」

 ガダックは、む、と低く唸った。どこか憂鬱そうな顔で呟く。

「衛兵はとうの昔に辞めたがな。名残はいつまでも消えてくれんようだ」

 へえ、と相槌を打ちつつ、ローディは目の前の年寄りを眺めた。その彼から問うような視線を投げかけられ、ローディは、ああ、と声を上げた。

「俺は猟師をやってたよ。北は畑作に向かないから、特に珍しいもんでもねえが」

 軽い調子で喋るローディに、ガダックが怪訝な顔をする。

「おまえ、幾つになる?」

「さあ、三十手前ってところかね」

「そのわりには落ち着きがない」

 ローディはへらへらと締まりのない笑みを浮かべた。

「フラフラしてたらこうなっちまった。嫁をもらうのは死んでも御免だったもんでね」

 ガダックは真剣な表情で頷いた。

「負えぬ責を無理やり背負いこむよりは、遙かに賢い選択だろう」

 ローディは眉根を寄せた。笑みが苦々しいものに変わる。

「確かにな。旦那が死んだり逃げたりした女の末路ってのは、ろくなもんじゃねえ」

「夫と共に苦労した女が幸福とも限らん」

 ガダックの声は淡々としていた。しかし、その拳は固く握られている。ローディは肩をすくめた。

「世知辛いね。あんたはつまり、女と、ひょっとしてガキも失くしてるってわけか?」

 ガダックは沈黙で答えた。その意味するところは、肯定だろう。老人はローディに促すような目を向ける。察したローディは、また気の抜けた笑みを浮かべて言った。

「見たとおり、俺にゃあ何もねえなぁ」

 ガダックは怪訝なようすで目を細めたが、追及してくることはなかった。

 沈黙が二人の間に流れたが、それは気まずいものではなかった。むしろ、語らずに済まされるという気安ささえ漂っている。ローディは銃や手斧を抜いて並べ、手入れを始めた。老人もまた、自分の荷を整理する作業にとりかかっている。互いに、交わす言葉はない。

 日が傾き、ローディは火を消した。老人へ言葉をかける。

「あんた、先に寝たらどうだ? 夜半で交代といこう」

「そうだな、その言葉を信用するとしよう」

 ガダックは荷物から薄い毛布を取り出して横になった。ローディはその荷の中に、滑らかに磨かれ、鮮やかに塗りあげられた木箱を見つけたが、あえて見なかったふりをした。田畑ばかりで森のない西方の民が、貴重な木箱に納めるものといえば、祝いの品か遺品だと決まっている。ローディは武器を手に持ち、夜襲に備えた。聞こえるのは、老人の浅い寝息と風の音だけだった。


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