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普通男子と天才少女の物語  作者: 鈴懸 嶺
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「怪物」の実像~side story~

「高野さん?あんた気でも狂ったのか!」


 日本最大手のムエタイジム「タイガードラゴンジム」の会長である藤本正人が、珍しく怒気を含んだ大声で叫んだので、ジム生が「何事か」と驚き練習を中断し、皆が藤本に注目してしまった。


 シンと静まり返ってしまったジム内には、いつもは気にもならないタイの民族音楽が耳障りなほどに煩く聞こえていた。


「いや、藤本さんが言いたいことは分かるが、翔くんは普通の空手家ではないんだ」


 藤本に怒鳴られた「大男」は、そんな反応が返ってくることを予想していたかのように、藤本の大声に気後れすることなく即答した。


 その大男、RYUJIN代表の高野が、久しく足が遠のいていた「タイガードラゴンジム」に顔を出した理由は、世界タイトルを獲りつくしたチャンプア・プラムックと高校生空手家、神沼翔の対戦についてジム会長の藤本正人の意見を聞きたいがためだった。


 久々の再開に和やかだったムードは、高野がこの話題を「大真面目」に語り始めてから藤本の顔色が変わった。チャンプア・プラムックの強さを日本で誰よりも知っている藤本はその無謀過ぎる話に激怒したのだ。


「普通の空手家でない?そういうレベルの話じゃないだろ。高校一年生がチャンプアと対戦?話にならない!」


「伊波紗弥子が翔くんと戦ってる」


 そう切り出した高野は天才ムエタイ少女「伊波紗弥子」が神沼翔とプライベートで対戦し、伊波が翔に触れることすらできずに、完封されてしまったことを藤本に伝えた。さらに……


「ウィリス未惟奈を知ってるだろう?彼女も翔くんに全く歯が立たず、いまでは未惟奈に空手を教えているのは翔くんだ」


 天才アスリートを両親もち、自身もその両親を凌駕すると言われる身体能力でスポーツ界にインパクトを与えた世界の至宝ウィリス未惟奈。そんな彼女が「気まぐれ」で空手界を一瞬で席巻したのは藤本もよく知っていた。


「確かに高野さんがそこまで言うなら普通の空手家ではないんだろう。仮にそれが本当だとしても無理だ。絶対にやってはいけない」


 しかしその話を聞いても藤本が譲る気配はなかった。藤本にすれば伊波紗弥子やウィリス未惟奈が敵わなくてもチャンプア・プラムックは次元が違うと思っている。だから高野の説得では神沼翔が戦える理由に全くならなかった。


 藤本のあまりに頑なな態度に、高野は二の句を継げず、口を一文字に結んだまま黙り込んでしまった。

 ジム内には、一瞬、藤本の怒声で途途絶えていたミットやサンドバッグの打撃音が響いていた。


「私も、対戦したんだよ。翔くんと」


 高野はしばらく考えあぐねていたが、ようやく言葉を繋いだ。


 それを聞いた藤本の頬がピクリと動いた。その反応を「良し」ととった高野は続けた。


「藤本さん。私だって最初は藤本さんと同じ思いだったよ。高校生がチャンプアと戦うなんて天地がひっくり返っても起こり得ないと思ったさ。でもな、私は格闘技経験者の自負として絶対に対戦した相手の実力は見誤らない。そう思ったんだ。わかるだろ?」


 そう高野が言うと、しぶしぶ藤本は首を小さく縦に振った。


 RYUJINの代表である高野彰は、かつて極真空手で優勝経験のある猛者だ。当時の……つまり高野彰が参戦していたころの極真空手の世間の認識は、現在のものと大きく違う。


 端的に言えば、多くの人たちが「極真世界最強」と信じて疑わなかった時代だ。


 現実的に大山倍達総裁が逝去された後に起こった「分裂騒動以前の極真空手」はその競技者は世界の武道・格闘技の中で最も多いと言われていた。ゆえにその頂点に立つことのステータスは並々ならぬものがあった時代なのだ。


 またK-1が立ち上がる前だからキックボクシング、ムエタイという競技も「マイナー」な位置にあったのでプロの興行にしても、現在のような群雄割拠の時代ではなかった。だからアマチュア競技でも極真空手が立ち技では「一強」に近い状況であった。


 現役を退いたとはいえ、その「かつての極真空手」の頂点に立った高野彰が相まみれれば少なくとも相手の実力を見誤ることはない。藤本にしてもそれは十二分に理解できた。


 だからその結果を聞くことに大きな興味を示した。


「それでどうだんったんだ?実際戦ってみて」


 高野はニヤリと頬を上げてから応えた。


「一瞬で沈められたよ」


「なんだって!?一瞬で?」


 藤本は瞠目した。そして「信じられない」とばかりに視線を落とし「うーん」と唸った。


 高野は、翔と戦った時の映像が脳裏に蘇っていたのだろうか、一旦浮かべた笑みだが、それよりも随分と頬が上がってしまいむしろ引きつった顔に見えた。


 藤本にとって「高野彰が一撃で沈められた」という事実はかなりのショックだった。だから即座に話が動いた。


「分かった高野さん。まずはその翔くんとやら、うちのジムに来てもらっていいか?私も自分の目で確かめたい」



 * * *


 そしてその藤本は、「神沼翔」を呼んだ、仙台のジムで信じられない光景を目の当たりにすることになった。


 その後、藤本の中では、まだ半信半疑だった。一旦は高野彰の話を受け入れたが、よくよく考えてまたやはり高校生がチャンプアと戦うということに現実味を感じられないでいたのだ。だから場合によっては「大人の私が本人に直接会って諦めさせてあげなければいけない」という方向に思考が動いていた。


 藤本は実績のあるプロ選手とスパーリングをさせて「ムエタイのプロ選手の実力を思い知らせてやる」という案を思いついた。「ちょっと乱暴なやり方になるが」と思いつつも、チャンプアと戦ってしまうより「よほどまし」と考えた。


「可哀そうだが、それが彼のためになる」藤本は不安を罪悪感を感じつつもそう自分を納得させた。


 しかしである。


 そんな藤本の罪悪感は一瞬でどこかに吹き飛んでしまった。4回生のプロ選手。しかもデビュー以来KO負けをしたことがない「タフネス」に定評があった選手が、「秒で」地を這わされてしまった。


 方やその高校生は、汗ひとつかかず……いや、顔色すら変えず、まるで狭い道路ですれ違う人をちょっと脇に避ける程度の動きしかしていないようにして相手を悶絶させた。


 藤本は、何事もなかったようにただただ涼しくたたずむ高校生を見て身の毛がよだった。


 ここにきてようやく藤本はそのとんでもない「怪物」の実像を最大級の「驚き」とともに受け入れることになった。


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