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普通男子と天才少女の物語  作者: 鈴懸 嶺
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あらたなステージ

 「じゃあ、未惟奈……今日も1分間の自由組手を10本ほどやるぞ」


「ええ、いいわよ」



 未惟奈との稽古を始めた当初は、この自由組手「だけ」の稽古をしばらく続けていた。


 しかし、最近では未惟奈の成長に合わせて、「俺のスタイル」を積極的に未惟奈に移植すべく基本に忠実に「型」「異動稽古」「約束組手」をしっかり終えた後に「自由組手」をやるようになっていた。


 未惟奈はひところ「絶対俺には勝てない」ということで、この自由組手が身に入らない時期があった。


しかし、今は違う。


 未惟奈は、ここ数日は本気で俺を「倒しに」来ている。


 彼女が放つ打突は、当たった人間が一瞬で意識を失うほどに危険なものであることは未惟奈本人だってむろん承知している。


 つまりは、「俺を倒す」ということは「本気で失神KOさせる」つもりがあるということになる。


 なんとも彼氏を失神させようなんて……凄い性格してるよねえ?いいのか、これ?


 未惟奈の成長スピードは、半年以上の付き合ってきた稽古で尋常ではなことは嫌と言うほど了解していた。


 一つの技を教えると、次の日にはその応用パターンを幾通りも自分で考えて披露しては俺に自慢する。


 ただ最近未惟奈の尋常でない成長が、さらにその成長の角度を急峻ならしめるできごとがあった。


 芹沢薫子から「気を出さない」という技術を学んだことだ。


 はたから見る限りは技の精度、軌道、スピード、すべてに違いがないように見えるかもしれない。しかし、未惟奈が放つ全ての攻撃の「質そのもの」がことごく変わってしまった。


 今までの未惟奈の攻撃は基本、俺に身体に触れることはなかった。


 その原因は、未惟奈の「感情」が「気」となって物理的な拳脚が俺に身体に触れるまえに「気」が先に到達してしまうので、俺が「気」に反応してしまうからだった。


 ただ、今……芹沢によって「気の動き」を抑えるという「技」を未惟奈はわずか数日でわがものにしてしまったのだ。


「じゃあ、はじめ!」


 俺はいつもそうするように、スマホのストップウォッチ機能のスタートボタンを押した。ストップウォッチの数字が動き始めるのを確認してから、スマホを体育館の壁際にある折りたたみ椅子に置くと急ぎ足で未惟奈の前に進み出る。


 ここから自由組手の開始だ。


 少し広めのスタンスで後ろ重心。前の腕を顔の高さで大きく前に出す。後ろの手はその前腕の肘下で中段の防御にあてる。いまどき、こんな「古風な」構えをする空手選手は俺ぐらいだったのだが、この構えは未惟奈の取った構えだ。


 つまり最近の未惟奈は俺と「うり二つ」の構えをとるようになっている。


 まあ、俺が指導している訳なんでそうなって当然なのだが、当初の身体能力だよりだった未惟奈の戦闘スタイルがこうも変わってしまったのを目の当たりにすると今更ながら感慨深いものを感じる。そして、もちろん嬉しくもある。


 果たして「気」を抑えて戦うことをおぼえた未惟奈の攻撃を俺は躱すことができるのか?未惟奈ほどのスーパーアスリートの身体能力のおばけの攻撃を俺の凡庸な反射神経で対処できるのか?


 俺は芹沢の教授が終わったあと、未惟奈の攻撃をまともに食らってしまうのではないか?という想像に深刻に恐怖していたが……


 組手をスタートするとすぐに、未惟奈は、俺と同じ構えから地をすべるような摺り足で一気に間合いを詰めた。そしてテコンドー道場で覚えて以来やたらと使うようになった光速サイドキックを放ってきた。


 サイドキックは全ての蹴りの中でもっとも「距離が出る」蹴りなので、背の低い未惟奈としては得意の蹴りとして使うのは理にかなっている。しかもテコンドーのサイドキックは空手のそれと違い、ジャブのように連続で距離を詰めながら追い込むのを得意とする。


 ただ、未惟奈の場合「ジャブのように」といいつつ、その攻撃全てが相手を悶絶するだけの威力を兼ね備えているから質が悪い。


 昔の俺なら、つまり未惟奈の気を事前に察知にできた俺なら未惟奈が射程距離に入る前に距離をつぶして片足になった軸足を払うことで制することが多かった。しかし気の感覚を封印した未惟奈相手に、今はそれができない。


 だから俺も以前のような対応ができず毎回少しだけ反応は遅れる。


「反応が遅れる」


 といえば通常はその攻撃を「もらう」か、たとえ躱しても「体勢が崩れる」という劣勢を意味する。


 ただ次の瞬間には未惟奈がギリギリ、俺の踵を両腕でブロックしつつも後方に飛ばされ、しりもちをついてしまった。


 未惟奈は悔しそうにキッ!と俺を睨みつた。


「今のはギリギリブロックしたからね!」


負けず嫌いの未惟奈は、言い訳がましくそう叫んだ。


「ああ、そうだな」


 俺は未惟奈のサイドキックを前に構えた腕の内腕で弾くように内側に払い、未惟奈の身体を開かせた。そして身体が開いた瞬間、半回転して後ろ蹴りを未惟奈の腹にカウンターで入れたのだ。


 むろん、俺のそんな「技」は考えて動いたわけではない。確かに「気」の動きを察知はできていないが、俺の身体は未惟奈の攻撃を難なくさばいていた。


「結局、翔に勝てないじゃない!」


 練習を終えが未惟奈は、顔を赤くして本気でむくれてしまった。


 たしかにラスト10本の自由組手で、未惟奈の攻撃が俺にヒットすることは一度もなかった。


「翔さ、ほんと一体なんなのよ、あなたの空手は!」


 練習が終われば、感情の起伏を敢えて抑えようとしない未惟奈はしばら俺への憎まれ口を止めてくれない。


 俺はいつも通り、エントランスの丸テーブルに荷物を置くとすぐ「ご機嫌取り」を兼ねてフロアーで売っているサーティワンのアイスクリームを買ってきた。


 真冬にアイスクリーム?と思われそうだが、毎度未惟奈との練習はほぼ「真剣勝負」なのでお互い練習後はたとえ真冬であろうと汗をびっしょりとかくことになる。


 またその練習で消費した沢山のカロリーを補うためにこのタイミングで食べる甘いものはことさらおいしいのだ。


「ほら、これで頭冷やしてくれよ」


 俺は揶揄うよう口調で言ったものの、本音は懇願に近かったりする。


「ありがとう」


 未惟奈はアイスクリームを受け取ると、慣れた手つきで包装を破り(ちょっとコツがいるよね)、早々にアイスクリームを口にした。


「翔の底がどこまであるか、また分からなくなったわ」


「ああ、確かにそうだよな」


 俺はまるで他人事のようにそう言った。


 変な話だが俺も自分でもそれに驚いていた。俺に足りないものがあるとすれば、自分の実力を客観視できていないことだろうか。


 現実に、今回ばかりは未惟奈の攻撃を「もらってしまう」覚悟はしていた。


 しかし、「理由」は分からないが、事実としては未惟奈の攻撃はたとえ「気を発していなくても」俺の身体は自然に反応することができていた。


「ほんと自信なくすわよ」


 未惟奈はあっという間に、アイスクリームを平らげて(俺はまだ半分)、今度はかなりしょんぼりして呟いた。


「いや、未惟奈の実力が驚異的なスピードで伸びてるのは間違いないだろ」


 俺は慰めではなく、本心でそう言った。むしろ一番近くで見ている俺が一番それに気づいているのだからそこ誰よりも自信をもってそう言える。


「そうじゃなくて」


 そう言いながら、未惟奈は横目で俺を見ながら口をとがらせてすねたようなしぐさをした。


「そうじゃないなら、なんなの?」


 俺は未惟奈の話の意図が分からず尋ねた。


「だから……これじゃあ、翔の練習相手として不足でしょ?」


 ああ、それな……


 確かに未惟奈は気の動きが察知されなければ自分が俺の対戦相手として脅威になることを望んでいた。しかし蓋を開けてみればそれが叶わなかった。そこに未惟奈は不満を感じた訳だ。


 しかし、これについて、俺ははっきり未惟奈の「不満」を否定する自信があった。


「今日の俺の動きみただろ?」


「ええ、全部私の攻撃を易々とさばいてた」


「ああ、でもあの動きは組手で出すのは全部初めての技ばかりだった」


 俺はそのことに自分でも驚いていたのだ。さっき言ったように俺ですら自分の実力を客観視できていない。


「そうなの?」


「ああ、だからあの技は相手が未惟奈じゃなければ引き出すことができなかった技ばかりだよ」


 一瞬未惟奈はポカンとしたが、すぐに俺に言った意味を理解したのであろう。とがっていた唇が嬉しそうに左右に開いた。


「そっか、じゃあ私ももっと実力つけて翔の未知の実力を引き出さないとね」


「ああ、そうしてもらえると助かる」


 この言葉に嘘はなく、自分で口にしてまさにそうしてほしいと心から願った。



 確かに未惟奈によって俺は新たなステージの扉が開いた気がした。


 だから、俺だって未惟奈のステージをあげる為の最大限の努力をしなければ……今はそれをより強く思っている。


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