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サイレントギブ

 芹沢のスマホに急に着信があり、芹沢はかなり慌てた様子で席を立ってしまった。「るかくんどうしたの?」と問いかけていたところを見ると、どうも生徒からの着信だったようだ。芹沢先生?生徒(しかも男子?)に携帯番号教えるってどうよ?いいのか?……一瞬そんなことも思ったが、下手に口を出すべきでもないだろうから、そこは大人の対応でスルーした。


 さて、エントランスに残された俺と未惟奈は、テーブルを挟んで向かい合っていた。


 俺はさっき見た未惟奈の笑顔が忘れられずに、またその笑顔で引き出されてしまった俺の自己嫌悪感が抜けず気分は少し落ち気味だった。


 俺が芹沢薫子から大成拳の指導を受けることが決まった当初から未惟奈は「俺の協力者」としてその指導に同席していた。


 思えば、俺がチャンプア・プラムックと対戦が決まる以前からも常に未惟奈は「俺に協力する」というポジションにいた。


 俺は未惟奈に空手を教えているつもりでいたが、むしろ俺の方が未惟奈から沢山のものを貰い過ぎていたのだ。だから思わず俺は自然と口をついた。


「未惟奈、俺になんかできることあった遠慮なく言ってくれ」


「はあ?どうしたの?急に?」


 俺は何のひねりもなくダイレクトにそう聞いてしまった。


「いや、なんか最近俺ばかり未惟奈からもらい過ぎてると思って」


 俺がそう話すと未惟奈は、その答えが意外過ぎたのか、きょとん首を伸ばして固まってしまった。その姿はなんかリスやミーアキャットのような小動物に見えたもんだから……なんだよ!可愛すぎかよ!思わずそんな心の声を発しつつまた俺は照れてしまう。


「翔?……そんな殊勝なこと言って何なのよ」


 それにつられて未惟奈まで少し頬をピンクに染めてしまった。


「そんなわけないじゃない」


 未惟奈は照れ隠しなのか早口でそう言った。


「いやいや、なんもしてあげられていないだろ」


 俺がそう返すと未惟奈は、少しだけ口を尖がらせて大きな目をより見開いて俺を睨みつけた。


「翔さ……翔の中じゃ当たり前になってるんだろうけど、翔は私にずっと空手指導を毎日してくれてるじゃない?それはどうなのよ?普通、毎日一人のためにそこまでやらないでしょ?」


「そ、それは……」


 確かに未惟奈から見ればそうかもしれない。しかしそれは未惟奈というスーパースターと毎日二人きりでいられるという特権でもある訳で、おそらく全ての男子生徒が変わってほしいポジションだったはずだ。だから俺からしても、当初は未惟奈に具体的な恋愛感情はなかったが「無理してやってあげている」という感覚は皆無だった。


 この男子ならではの発想を未惟奈に説明するのはちょっと気が引けて黙っていると未惟奈は視線を逸らしてゆっくり話し始めた。


「私はね……翔からもらいっぱなしなんだよ」


「え?俺、なんかプレゼントしたっけ?」


 うっかり俺は「プレゼント」などという即物的発想の野暮なリアクションをしてしまった。


 すると未惟奈は一旦逸らした視線をジロリとばかり一瞬俺に戻した。


「そうじゃないでしょ?」


「だ、だよな」


 さすがに俺も間抜けなことを言ってしまったと反省。


「最近、私ってさ……マスコミでの評判いいでしょ?」


「ああ、えらい変わりように俺もメチャビビったわ」


 未惟奈は少し嬉しそうにほほ笑んで、また視線を俺から外し、恥ずかしそうな仕草で続けた。


「全部翔のおかげ」


「は?なんで俺?」


「翔がちゃんと私の態度を叱ってくれたじゃない」


「え?だって最初のおまえひどすぎたもん。あれは誰でも注意すると思うぞ?友達なら」


 俺がそう言うと、未惟奈は少し悲しそうな顔をする。


「友達ならね……」


 未惟奈はそう口に出して、そして無理矢理に微苦笑した。俺はその顔を見て、俺が未惟奈に会って間もないころ「友達」というワードに妙にこだわっていた未惟奈を思い出した。確かに当時の未惟奈の「不遜な態度」から近しい友達なんているはずがないと思ったことがあった。それを最近の未惟奈の変化ですっかり忘れていた。


「翔が友達になってくれなかったから、きっと一生私はあのままだったと思う?」


「そ、そんなことは……」


 俺はそこまで返したものの、心の中で”そうかもしれない”と思ってしまい言葉はそこで途切れてしまった。


「ほら、翔だってそう思ってるって顔してるよ?」


 未惟奈は相変わらずの目ざとさで俺の心を簡単に読まれてしまった。そう言った未惟奈の表情は無理に作った笑顔のままだった。


 確かに未惟奈からするとそうなんだろう。でも俺はそれを主体的に、また意識的にやっていたわけではない。だから俺はいつまでも「貰いっぱなし」と感じてしまうのだ。


 俺はいま未惟奈の為に「主体的に」「意識的に」何かをしたいのだ。俺はそれにようやく気付いた。しかし、そしてそれは同時に自分の自己満足でしかないことも悟った。


 だからそれを恩着せがましく未惟奈に言う必要もない。俺が俺で考えて、全力で未惟奈のことを考えて動けばいいだけの話だ。


 だからこれ以上にこの話題を続けるという「野暮」を止めることにした。


 そして俺がそう思った刹那、またそんな俺の表情を読んだのか、未惟奈は、ガガガガと安いエントランスの椅子を引きずりながら俺の真横まで移動してしまった。そしておもむろに俺の脇に自分の腕を差し込み腕を絡めてしまった。


 身体能力が異常に高い未惟奈はそんな所作ですら電光石火の素早さでやるものだから、それでなくとも動揺していた俺は一瞬で腕をとられてしまう。


「な、なんだよ急に?」


「こんなあっさり腕をとられるなんて武道家失格!」


 未惟奈は笑いながら無邪気にそんなことを言う。そしてついにはその小さくて形のいい頭を俺の肩の上に横たえてしまった。


 その光景を端から見たなら”公共の面前でベタベタしやがって!”と苦言を吐き出していたであろうが、未惟奈の少し照れた、でもなんか嬉しそうな顔を見ているとそんなはずかしいものではなく、むしろ「尊い姿」なんて思ってしまった。


「いいよ、翔は無理しないでいいのよ、そのままでいてくれれば」


 未惟奈は、俺の肩に頭を置いたまま、優しい声音で、やっぱり俺の心の内を易々と読んで、そんなことを呟いた。

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