素敵な笑顔
「さて、どっから話をしようかしら」
芹沢薫子は、体育館のエントランスにある丸テーブルの周り置かれた小さなプラスチック製の椅子に座るとすぐに口を開いた。
俺と未惟奈は今では定例となった芹沢薫子から受ける大成拳の稽古のために芹沢と市立体育館にいた。
これから話す内容はむろん黄師範の「気が感じられない」問題だ。
小さな丸テーブルを囲んで三人詰めて座ると、女性との距離感としてはやや近くなりすぎてフローラルの香りに否が応にも鼻腔を刺激して、俺は無駄に背筋を後方に反らさねばなかった。こんなところでスウェーバックの練習かよ?と自分でツッコミを入れつつ少し落ち着かないスタートとなった。
「一応確認なんですけど、芹沢さんは黄厳勇師範のことはご存知ですか?」
まずは俺から質問を投げた。もし黄師範がどこかで「気のトレーニング」をしていたならば、もしかすると芹沢薫子が知る大成拳の人脈にどこかで黄師範が繋がっているかもしれないという可能性を思いついたからだ。
俺の中では「気を操る」という事に関して、おそらく日本で中核的存在になっているのは芹沢薫子も含め大成拳創始者の王向斉の流れを汲んでいるだろうと想像していた。
「あら、翔くんにしては鋭い質問だわ……フフフ」
芹沢はそう応えつつ、揶揄うように笑った。
「俺ってそんなに鈍いですか?」
いや、だから俺が鈍いというキャラに押し付けるのは未惟奈だけで勘弁してほしいんだけど?やっぱ芹沢からみても俺って鈍く見えてるのか?……などと地味に凹んでしまった。
「翔?今更何言っての?」
即座に、未惟奈の怒気を含んだ言葉で俺は”翔くん鈍い問題”にとどめを刺された。
「フフ、相変わらず仲いいわね。まあ翔くんが鈍いのはおいといて、黄厳勇のことは知ってるわよ」
「や、やっぱり」
なんとのっけから俺の予想が当たっていた。確かにこれは俺にしては鋭い質問だった。
「それは、テコンドーのチャンピオンとしてですか?」
念のため、そのことを確認した。
「もちろんそのキャリアのことも知ってるけど、そうじゃなくて」
やっぱりそうか。ということは……
「え?やっぱり黄師範ってどこかで気のトレーニングしてたってこと?」
未惟奈もそれに気づきそう問いかけた。
「そうね。答えを言ってしまえば黄厳勇は翔くんのおじいさんと同門よ」
「え!?ど、どういうことですか?」
俺は想像していなかった答えに、思わず大声を出してしまった。
「黄厳勇は翔くんのおじいさんに大気拳を教えた澤井健一の一門だった経験があるということ」
「ま、まさか!?そんな話、俺は聞いたことはないですよ?」
俺は今回、芹沢に話を聞くにあたって色々な可能性を想像してきてはいたが、さすがに黄師範が祖父、鵜飼貞夫と同門だとは思いもよらなかった。
「まあ、黄厳勇が澤井門下にいたのは澤井氏の晩年のほんの数年だから鵜飼貞夫さんとどこまで接触があったかまでは私には全くわからないけど」
そうか。でもこれで黄師範が「意図的に」気をコントロールする土台があったことといことがはっきりした。つまりあの黄師範から気を感じないという「異常性」は意図的に作られたものだったということか。
「翔くん?納得した?」
「ええ、そうですね」
確かに俺が聞きたかったことと言えば、まさにそのことだったのでそう応えた。しかし、俺のその返答に納得がいかないのか、未惟奈は驚いた顔で俺の方を向いた。
「翔?それで納得したの?」
「え?他に何か聞くことある?」
俺がそう返すと未惟奈は頭を抱えて突っ伏してしまった。
え?え?なんだよ?そのリアクション?俺はなんか悪いこと言った?俺は未惟奈の予想だにしないリアクションに慌てふためいた。
俺は救いを求めて芹沢に視線を送ると、芹沢は首を傾けつつ両肩を少し上げて、彼女も未惟奈のリアクションの意味は分かりかねるといった様子だった。
「おい、未惟奈?なんだよ?どういう意味だよ?」
俺は芹沢も理解していないことで少しホッとし、未惟奈にそのリアクションの意味を尋ねた。
「問題。私とチャンプア・プラムックはどちらが身体能力高いでしょうか?」
「は?」
なんの謎かけだよ?意味わかんねーんだけど?
「アハハ……そういうこと?未惟奈ちゃん」
恐るべきことに以前、海南高校と俺らとの対戦で「名策士」ぶりを発揮した芹沢は、彼女らしく未惟奈のそれだけの問いかけで何かに気づいてしまったらしい。
俺は未惟奈が最終的に何を言いたいのかは分からないが、今の未惟奈の問いには即答できた。
「当然、身体能力関しては未惟奈が圧倒的だろ?」
「だよね?」
未惟奈はニヤリと笑った。俺は意味もなく身の毛もよだつ恐怖を感じた。なんだ?未惟奈は何を企んでる?
「では、第二問」
「は?なんだよ全く……もったいぶらないで教えてくれよ?」
未惟奈はそんな俺の言葉が聞こえなかったかのように上機嫌で続けた。
「私が翔に勝てない理由はなんでしょうか?」
俺は未惟奈の謎かけに付き合うしかないと諦めた。そしてこの問いも難しいものではないのですぐに返した。
「それは俺が未惟奈の強すぎる気を事前に察知するからだろ?」
「正解」
未惟奈はそれだけ言った。すると”もう我慢ならない”とでもいうように芹沢がカットインしてきた。
「もう分かったわよね?翔くん?」
またこの人は俺にそんなプレッシャーをかけてくるし……
「わ、分かりましたよ!俺が十分に鈍いことは!もう勘弁してください」
俺は心底凹みながら、全面降伏するしかなかった。
そんな俺の様子を見て、”はあ”と一言ため息をついた未惟奈が続けた。
「第三問」
「おい、まだ続けるのかよ?」
俺は泣きそうになりながらすがるように言った。
「私が黄師範のように気を出さなかったら、翔は私の攻撃をはたしてかわせるでしょうか?」
あっ!と思った。
鈍い俺でもようやく分かった。また、今しがた未惟奈から感じた「恐ろしさ」の正体にも同時に気づくことになった。未惟奈のあの光速攻撃が気の前触れなく放たれるだと?普通の身体能力しか持ち合わせていない俺にそれがかわせるかだと?
それをその想像をして改めて全身に震えが来た。
「せ、芹沢さん……その、気を出さないなんて芸当は未惟奈がすぐマスターできるようなものですか?」
「ええ、曲りなりも未惟奈ちゃんはすでに相当大成拳の鍛錬ができてるから……そんなに苦労せずにできるはずよ」
未惟奈はさっき敢えて「チャンプア・プラムックと比較して」と言った。
つまりそれは「私が練習相手になるよ」ということを言いたかったのだろう。たしかに高野CEOはチャンプアの身体能力を絶賛していた。しかし、体格と言うハンデはあれ未惟奈よりその能力が上という事は想像できない。
未惟奈は俺と同じように美影を訪ね、芹沢に声を掛けた。しかし目的もなくそれを聞こうとしてた俺に比して未惟奈は俺とチャンプアとの対戦をすでに想定していたのだ。
「一緒に試合目指そうよ」
かつて未惟奈は、俺が試合をするよう説得するときに、懇願するようにそう言った。
未惟奈はそれを忘れていなかった。
ようやく未惟奈の意図に気づいた俺は、未惟奈の顔をあらためて見た。
未惟奈は嬉しそうにその綺麗すぎる笑顔を俺に向けていた。
その素敵な笑顔は、今の俺にはもったいな過ぎると思った。




