競技のフィールド
「いや、ほんと春崎さんにはハメられましたよ」
俺はあらためて春崎須美にクレームを入れた。
「あら?なんのことかしら?」
この見栄えのいい格闘技ライターは、平気でそううそぶく。
「またそんなとぼけて……未惟奈の用件だけだと思ったら、俺が黄師範と対戦とかマジありえないでしょ?」
「アハハ、それに関してはゴメン。でもいい経験できたんじゃない?」
道場にいた時の緊張と不安に押しつぶされそうな表情とは打って変わり安堵ともとれるような笑顔で春崎はそう白状した。
さて、俺たちはもう帰路の電車の中にいる。
俺と未惟奈は、春崎と一緒に中央線の座席シート、俺を真ん中に両手に華状態で座っていた。
なぜ中央線?というのは「東京で遊んでいこう」という未惟奈の提案に押し切られたからだ。
「そう言うわりに翔だって随分機嫌よさそうに見えるけど?」
未惟奈は目ざとくそう指摘する。
「まあ、そうだな」
俺は黄師範との対戦を思い出しがら、感慨深く応えた。それくらい俺にとってはたった一分足らずの対戦で多くのインパクトと学びをもたらした経験となったのは間違いなかった。未惟奈の指摘通り今、俺は上機嫌で大いに満足していた。
「翔くん、その辺の話詳しく教えてくれない?仕掛けた私としてはやっぱ気になるし」
俺の表情を目ざとく察知して、即質問してくるあたりが、いかにも格闘ライターの春崎らしい。
「春崎さん?露骨に”仕掛けた”とか言わないで下さいよ、まったく!!」
「まあまあ……で、どうだった?黄師範は」
「どうって……見た通りですよ」
俺は言いたいことは山ほどあったのだが、逆に未惟奈や春崎から見て俺と黄師範の対戦がどう映ったのかが先に聴いておきたかったので、それを引き出すべくワザとそんなあいまいな意地悪な返事をした。
対戦後に審判役の山中彰が青ざめていたことも気になっていたので、その辺りの「周りの感想」は入れておきたかった。
「私ね……怖かったんだ」
春崎がそんなことを切りだした。
「え?何が?」
「翔君が負ける姿を見ることになるのが」
「それって俺が負ける前提みたいな言い回しに聞こえますけど?」
「いや、その意味で言っているつもりよ」
おいおい?俺が負ける前提!?どういうことだよ?
「春崎さん?翔を負かそうとして師範とワザと対戦させたの?」
未惟奈が怒気を込めて春崎に迫った。
「ちょっと、未惟奈ちゃん……そんな私が意地悪をしたかのように言わないでよね?でも黄師範に負けることが翔くんにとって必要な経験であると思ったの」
これには驚いた。この春崎の口ぶりだと明らかに俺が負けるためのマッチメイクを敢えてしたということだ。そうか、春崎の緊張や不安の原因はそこにあったのか。
でも春崎がなぜ「俺が負ける経験」なんてことをしようとしたのか?
「春崎さんは、どういう展開を想像してたんですか?」
「翔くんは、対戦してみてどう思った?」
「質問に質問で返すのは反則でしょ?」
「いいじゃない?男子は細かいことは言わないの!」
春崎は、男子高校生には刺激が強すぎる得意の営業スマイルで”にっこり”するものだから、俺もすっかり反論の勢いを削がれてしまった。美人過ぎる彼女がいようとこういったところは普通高校生の性だ。
「翔?何ニヤニヤしてんのよ」
ただし、異様に鋭いその美人過ぎる彼女はこういったリアクションにいちいち反応し過ぎるので油断も隙も無い……まあ武道家だから隙は無い方がいいのだけれど。
「俺が負ける」と想定されていたであろう黄師範との対戦だが、厳密には俺と黄師範の対戦はそもそも試合ではない。
だから明確な勝敗はつくべくもないし、実際の結果にしてもどちらが優勢だったかというジャッジも恐らくつきかねる程に差はなかったように思う。
でも俺には確信があった。
春崎の言うように「負けること」で見えるはずであった景色を、俺は「負けずに見ることができた」といういうことを。
それを確かめるべく俺は春崎の質問に応えた。
「そうですね、春崎さんは俺に競技……それはスポーツと置き換えてもいいと思うのだけど、その最高峰を経験させようとしたんでしょう、きっと」
俺は黄師範との対戦でまずそれを感じた。つまり「この人は俺と対極にいる人だ」と。
「さすがね。なんだ、つまらない。翔くん気付いてたんだ」
「そりゃ戦ったのは俺自身ですから、気付きますって」
「いや、私の想像ではそれに気づけず……翔くんが黄師範に負けて、その理由を私が帰りの電車の中で解説する流れを想定してたんだけど」
「性格わるっ!!」
そう毒づいたのは俺ではなく、隣で話を聞いていた未惟奈だ。でも俺も全く未惟奈と同感だ。ホント仮にそんなことになってたら、トラウマしょい込んだ自信あるぞ!全く!
俺も未惟奈に続いて抗議の弁を述べようと思ったら、それを察知した春崎に先を越された。
「勘違いしてほしくないんだけど、これも翔くんの為を思って高野CEOと立てた作戦なのよ?」
「え?高野さんもからんでんの?」
未惟奈が呆れたようにそう言った。
「高野CEOはもうRYUJINのプロモーション開始か?煽りVで俺の負けシーン流すとか考えてたんじゃないの?」
「そんな訳ないでしょ?翔くんがチャンプアの試合に勝つために仕組んだことなんだから」
まあ、それは実際そうなんだろうけど、……ってことは高野CEOの中でも今の俺ではチャンプアに勝てないという判断をしたということか?
「で、結局翔は何かわかったの?」
そろそろマニアックな話が面倒になったのか未惟奈は俺に結論を急いだ。
「一番の発見は、俺は武道に拘り過ぎて視野を狭めすぎてきたってことかな」
「え?何を今さら言ってんの?そんなの最初から分かり切ってることじゃない?」
「まあ、未惟奈かするとそう映ってたんだろうけど、それを俺自身が納得して認めるのは簡単ではなかったってことかな」
確かにそう言った意味では高野CEO、春崎コンビが仕掛けた全ての格闘技の中でも最も「スポーツ競技」的なテコンドーをチョイスしたこと、その競技において世界トップのレジェンドである黄師範を引っ張り出してきたことに大きな意味があったのだ。
……そして、ここからは俺の想像だが、黄師範は「スポーツ競技」で頂点を極めつつ「武道」をも極めた存在であったと感じた。
だから俺はそれを春崎に質問した。
「春崎さん?黄師範って競技者としてトップなだけじゃないでしょ?」
「フフフ……そう思う?」
春崎は嬉しそうに、そして意味深にほほ笑んだ。
「だって少なくとも黄師範はテコンドー選手の技術としては、あるはずもない気のコントロールに長けてますよね?」
黄師範が、俺たちが道場に入ってきてから全くの感情の起伏を見せず、表情を変えず、そして何よりも気の動きを一切感じさせなかったのは「気が使えない」はずがない。あんな芸当は高度に気がコントロールできなければできる訳がない。
「私もそれは思った。最初はうっかり気付かなかったけど、翔との対戦前にそれに気づいて正直ゾッとしたわ」
やはり未惟奈も俺と同じ結論だった。
「私は翔くんや未惟奈ちゃんのように武道の実践をしていないからその辺のことは分かりかねるけど……そうね、薫子でもいればもっとその辺のことは分かったのかもね。……実際に私が黄師範にお願いしたのは、あくまで競技者として翔くんを圧倒してほしいということだったの」
「いやいや、世界チャンピオンに俺を圧倒してくれとか、そのオーダー、エグ過ぎでしょ?」
俺は呆れてしまった。高校生の俺に対して何してんだよこの人は。
「でも結果的に、君は圧倒されなかった」
急に春崎は真面目な顔になってそういった。
「私もあれは驚いた」
未惟奈が驚く?未惟奈にはどう映っていたのだ?
「未惟奈が驚くとは珍しいな」
俺はその真意を探るべく未惟奈に先を促した。
「私は高野さんや春崎さんの意図はもちろん知らなかったけど、黄師範が気の動きを完全に封じて翔と対峙した時、私凄い危機感を覚えたよ」
「それは俺が負けるかもってこと?」
「まあ、私は翔が負けとまでは想像しなかったけど、すごい不安に駆られて胸が痛くなった」
俺が負ける姿を想像したくないから、その想像を無意識に退けようとも本能では俺の負けをありありと想像していたのだろう。それが未惟奈の焦燥感としてあの不安の顔を作り出していたわけか。
「でもどうやって翔くんは、黄師範と対等に渡り合えたの?」
春崎は話の核心に迫ってきた。
「フィールドかな」
「何それ?」
未惟奈がいち早くツッコミを入れる。
「黄師範との対戦で、俺が最初壁までサイドキックで飛ばされただろ?」
「ええ、でもギリギリブロックしてたわよね?」
「ああ、でも俺的には体制も崩れてとても”さばいた”とは言えない対応だった。そしてあの時の俺はテコンドーと言うフィールドで”戦わされていた”ということに咄嗟に気づいたのさ」
「ああ、そういう事ね」
理解力の異常な未惟奈はこれですべてを悟ったように、うんうんうんと何度か頭を首肯させた。
「待ってよ、私は未惟奈ちゃんみたいに頭良くないから……詳しく聞かせてよ、翔くん」
俺は黄師範との対戦を思い浮かべつつ春崎に説明を始めた。
「俺が黄師範が対等に渡り合えたのは、テコンドーというフィールドで戦わずに俺が自分のフィールドをあの対戦にしっかり持ち込めたことだと思います」
「翔くんのフィールド?まだよくわからないわ」
「俺に今回一番の学びがあったとすれば、まさにこの部分ですよ。おそらく競技にはその競技独特のフィールドが存在しているということに俺は気づけた。そしてそのフィールドで勝つことを極めた人……今回では黄師範ということになるんだけど、そんな選手はそのフィールドにおいては無双だということ」
「競技者はそのフィールドの中で戦ってる?」
「ええ、そうだと実感しました。だから競技、スポーツ性という性質の強いテコンドーだからこそより明確にそれを実感できたんだと思います」
「でも翔くんは、そのフィールドに自分のフィールドを強引に持ち込んだ」
「ええ、そうです。そうしなければ絶対に俺は黄師範に手も足も出なかったと思います」
「まあ、そこが翔の凡人ならざるところかな」
未惟奈がなぜか自慢げにそんなことを言う。
春崎は”うーん”と唸りながら考え込んでしまった。
「今ようやく高野CEOが、なんでこの提案をしてきたのか分かったわ。つまり高野CEOとしては翔くんに相手のフィールドに呑まれて翻弄される経験をさせたかった」
「そうでしょうね。そのためにはより武道・格闘技から離れたルールであるテコンドーが最適だった。これが空手により近いキックボクシングや総合ルールなら俺は惑わされることなく自分のフィールドで戦えた可能性がたかかったでしょうから」
やっぱり高野CEOはただの気のいいおっさんではないことはこのエピソードを見ても明らかだ。高野CEOの狙い。それは俺に「競技」ということをもっと真剣に向き合わせることだった。俺が頑なに「武道」にこだわって「競技」に目もくれなかった。そんな俺の「視野の狭さ」を”親心”で広げさせようとしたんだろう。
「いつまでも武道、武道と子供の様に意地をはるな」
ありていに言えばそれを俺に分からせたかった。
そして俺は、対戦に負けることはなかったが、高野CEOや春崎の狙い通りそれにまんまと気づかされた。
だから俺は黄師範との対戦を終えて、思ったことがあった。
「いろんな競技のフィールドを経験する必要がある」
そのいろんな競技フィールドを経験して、時にそのフィールドで戦って、そしてそのフィールドに自分の空手というフィールドを持ち込んで戦って……そんな経験が多く必要であると感じた。
それは何もチャンプアとの試合のために必要なこと、というよりは俺自身の空手を完成させるために大いにプラスになると思ったのだ。
16歳の若造が何をぬかすか!と怒られそうだが今更ながら自分の「青さ」を痛感する体験だった。




