偉大な武道家
俺は黄厳勇師範と対峙した。
「では翔君、時間は一分でいいかな?」
「はい、結構です」
俺は黄師範を目の前にして、そう一言やり取りをしてようやく気付いた。
師範の尋常ならざる「あること」に。
俺はその事実を知って、ゾワゾワと身の毛がよだつ感覚をおぼえた。
今、至近距離にいる黄師範からなぜか「気の動き」が全く感じられない。だから師範の顔がまるで意思のない「能面」と錯覚しそうになった。
意識的なのか?無意識的なのか?師範の身体から「気」らしきものがまったく発せられていないという「異常」な事態。だから感情が全く見えない。感情丸出しで「圧力」まで感じる未惟奈とはまさに真反対だ。
師範は、我々がこの道場に入って以来、常に「同じ表情で」ほほ笑んでいた。外面的な印象ばかりに気をとられていたが、俺が潜在的に恐怖を感じていたのはまさに「この部分」だったのだと、今になってようやく気付いた。
「果たして俺は反応できるのか?」
そんな不安が頭をよぎる。
つまり「気の動き」が全く見えないなら、芹沢薫子から習った大成拳は使いようがないということになる。また友人の美影聡一や、春崎、芹沢が、俺が光速の未惟奈に反応できるのは祖父が重視した「大気拳」の鍛錬により「気を無意識に察知しているのではないか?」という指摘を受けた。だとすればその反応力すら発揮できないことになってしまう。
おそらく俺は師範の攻撃を「無意識の身体の反応」ではなくて、「視力頼り」で「見て」反応するしかない。
視界の端に体育座りしている未惟奈の姿が見に入った。未惟奈の表情はさっきの浮かれ気分は何処へやら、不安と緊張に支配されているように見えた。そう、さっきまでずっと言葉少なくことの成り行きを見守っていた春崎と今、同じ表情をしているのだ。つまり目ざとい未惟奈は俺同様にあの距離から黄師範の「異常」に気づいたに違いない。
今にして思えば分かる。春崎の言っていた黄師範が只者ではないという意味が。春崎があれ程不安と緊張の面持ちで俺と黄師範のやりとりを傍観していた理由が。
俺と黄師範との対戦には、さっき未惟奈と対戦したばかりの山中彰が審判役を担当した。つまり、山中がこの道場において中心的存在であることは間違いないようだ。その山中彰が心痛な面持ちで俺の顔を「チラリ」と見た。その表情はまるで俺に「可哀そうに」と言っているようにも思えるものだった。この山中彰にこのような表情をさせてしまう黄師範というのは何者なんだ?
「お互いに、礼!」
「はじめ!」
師範からは威圧感はまったくない。本来なら「威圧感」なんて感じたくない。それで身体が委縮してしまうからだ。その威圧感がないなら、本来なら有利なはずのこの条件が、むしろ今は恐怖となって俺に襲い掛かるという「ちぐはぐな」ことが起きている。だから俺はいつもそうするように「身体が無意識に反応するだろう」なんて呑気に構える余裕はなかった。
黄師範は、俺たちが道場に入ってきた時と変わることのない微笑をたたえている。しかし、師範が縦横無尽のステップを刻み始めたことで、ようやく師範がすでに攻撃態勢に入っていることに気づく。しかしそのあまりの表情や感情の変化のなさから、この期に及んで俺の戦闘スイッチが入ってくれなかった。
俺は決して隙を見せた訳ではない。しかし、戦闘状態に入りきれない俺は黄師範の伸びるサイドキックを捌く反応が僅かに遅れてしまった。幸いに、その蹴りが俺の胴体に触れることはなかったが、余裕なくバックステップをしてしまったので、黄師範が二発目の連続攻撃をするチャンスを許してしまった。黄師範は鋭く反転してバックスピンキックを放ってきた。この連続技はさっきの組手で多くの選手が使っていたテコンドーでは恐らく基本的なコンビネーションなのだと思う。しかし黄師範が放ったその「切れ味」は全日本チャンピオンの山中彰の比ではなかった。
黄師範のこの一撃で、山中の悲痛な表情の意味が分かった気がした。その蹴りはあまりの「スピード」と「パワー」で俺のボディーを襲った。俺はもうバックステップする余裕もなく体制を整える余裕もない。だから俺は強引に両腕でブロックするしかなかった。
俺は勢いがマックスに乗っていた黄師範のバックスピンキックをまともに両腕に受け止めたために大きく後方に飛ばされあまり広くない道場の壁に強く背中を叩きつけられることになった。
俺は背中を打ち付けた衝撃で意識が飛びそうになった。
「翔!!」
未惟奈が激しく叫んだのが聞こえた。その声で我に返り、俺は一旦サイドにエスケープして体勢を整えることにした。
対戦中、物理的な時間ということを言うならば、思考を巡らすような時間はほとんどない。しかし、経験者は分かると思うが、対戦中という高い集中力の中において限りある時間のさなか、膨大な思考が一瞬で頭を駆け巡る。
俺は咄嗟に思った。俺がかつてこれほどまでに、劣勢になることが果たしてあったか?
「テコンドーはポイントルールでライトコンタクトだから空手やムエタイより弱い」そんな格闘技界でささやかれる俗説がある。しかし俺は声を大にして言いたい。「誰だ?そんなはったりをほざいたのは?」
さっき春崎須美から黄師範は中学生の時から青年部の試合で優勝するほどの稀有な天才だったと聞かされた。そして黄師範は現在すでに40歳を超えている。つまり常にトップのまま30年以上もキャリアがあるのだ。俺が幼少期から空手に打ち込んだといっても所詮十数年。キャリアにして倍以上。
さらには日本で唯一世界大会優勝を果たしたという経験値。
俺は武道が試合をするときそれは「スポーツ」であって「武道」ではなくなるという信念で試合を避けてきた。しかし武道の中でも最もスポーツとしての完成度が高いといわれるテコンドーの最高峰の黄師範の動きは「スポーツだから」という一言で退けられるほど安っぽいものでなんかではないことを今身をもって痛感している……そう、このたった一つのコンビネーションを体感しただけでスポーツ競技としてではなく、武道家としてのレベルの違いをまざまざと見せつけられてしまった。
俺は背中に受けた激痛ともいえる痛みを感じながら、自然に笑みがこぼれた。
嬉しかったのだ。こんなにも偉大な「武道家」の攻撃を肌で感じることができたことに。
俺は今一度、体勢を整えた。いつも通りに、スタンスの広い後屈立ちをとる。静かに長い息を吐く。重視を落として気を丹田に沈める。左の手を大きく前に突き出して、その先に視線を広く師範の全身を見据える。
俺は動揺していた自分から素早く「いつもの自分」に戻るルーティンを行った。
すると、冷静にな自分が戻ってくる。
視界には俺の突き出した左の手の向こうに黄師範が映っていた。やはり師範から気の気配が見えない。でももうそれは構わない。もう動揺はしない。それは今まさに俺が強烈な蹴りのコンビネーションを感じたからだ。「幸いに」俺はそれを強烈に身に染みることができた。だから……芹沢薫子から大成拳を学ぶ以前の、空手家としての俺の頭が、身体が、師範の動きを「見切る」方向へ動き出していた。
これで終わりにするわけにはいかない。
黄師範……これでは終わらせませんよ。




