武者震い
府中本町の駅から20分程度歩くと、春崎須美は商店街にある、小さな白いビルに入っていった。やっと着いたのか?
相変わらずスローペースでとぼとぼ付いてくる未惟奈のスピードに合わせてきたものだからここまで随分と時間がかかってしまった。
「春崎さん、ここですか?」
俺は少しだけ想像していたイメージと違ったので怪訝な表情をしていたに違いない。
「ええ、そうよ。このビルの3階」
春崎は微笑しながら応えた。きっと俺の怪訝な顔には気付いてるようだがそれに触れなかった。
本部道場と聞いていたので、こんな小さなビルの店舗にあるのは想像していなかった。ただ武道・格闘技に道場はこうだよな、ということを改めに思い出す。武道・格闘技というマイナースポーツは都内に大きな道場を構えるなんてことはテコンドーに限らず難しいのだ。むしろ俺のように東北と言う土地には恵まれた地方に住む人間の感覚が「田舎」なだけなんだろうと納得した。
さて、今回は俺と未惟奈と春崎の三人だけの訪問になる。だからそのビルの小さなエレベータに美女二人と乗り込んだ俺は、二人からほのかに芳るフローラルな香りで少しだけクラクラしてしまった。
「なんか翔やらしい」
そんな俺を目ざとく見つけた未惟奈は、汚物でも見るような視線でそう言い捨てた。
いやいや、彼氏にその目はないだろう?と目で訴えたが「フンッ」とばかりに視線を逸らされてしまった。
春崎はそんな俺たちを「生暖かい目で」見つめながら笑っていた。どうせ「このバカップルが!」とでも思ったのだろう……
エレベータを降りると、目の前にあった白い扉の向こうから道場生が練習している「音」が漏れ聞こえてきた。サンドバッグを叩く音。それにつられて動く鎖の音。床をする音、ミットを打つ音。激しい息遣い。気合いの声。
俺は一人で練習することが多いので、こういった道場独特の「音」にはあまりなじみがないのだが、それでもこの雰囲気に「高揚する」自分がいた。
春崎は白い扉を迷わず開けて道場に入った。
「お邪魔します!月間スポーツ空手の春崎です。ウィリス未惟奈さんと神沼翔さんをお連れしました!」
開口一番、さすが場慣れしている春崎はよく通る声で好感度抜群の挨拶をした。俺は未惟奈を紹介するのはいいが俺の名前まで言う意味あったのか?なんて小さなことを考えてしまった。俺は流石に緊張しつつ小さな声で「よろしくお願いします」と言った。それでも頭だけは武道家らしく深々と下げた。隣を見ると未惟奈も俺と似たように頭を深く下げているのには少し驚いた。
道場は体育館の1/4程度のスペースだろうか。決して広くはないが都内の道場なら十分だろうと思った。道場内には黒帯を付けた道場生が20人ほど練習をしている。男女比6:4程度。意外にも女性が多い。男子は10台後半から30代前半。女性道場生の何人かはかなり幼いメンバーも交っていた。この子たちはおそらくジュニア選手だろうか。
道場生の視線は想像通り未惟奈に集まった。もちろん男子道場生のテンションが上がったのは言うまでもないが、それ以上に女子、特にジュニアの選手が声を上げてはしゃいだ。
なるほどそうか。競技は違っても未惟奈はこんなジュニアの選手の憧れでもあるんだろう。この子たちは未惟奈に会うために無理言って混ぜてもらった可能性もあるのか。
俺と未惟奈は一旦更衣室へ行き、空手着を纏ってから改めて道場に入った。いつも思うのだが、未惟奈の空手着姿はどうしてこんなに様になるのだろうか?まあ一流アスリートの肉体を持つプロポーションのなせる業か。
「なにジロジロ見てんのよ」
流石に未惟奈に突っ込まれた。
「いや、カッコいいなって思ってさ」
「何よいまさら!バカじゃないの」
そう言いつつも少し顔を赤らめる未惟奈はやっぱり可愛いのだ。
はいはいバカップルですが何か?
道場に入ると一人だけ若者の中に混じっていた40代後半くらいに見えた男性が近づいてきた。遠目では俺よりずっと背が高いと思ったのだが、それは顔が異様に小さくて足が長いからだということが近くで見て分かった。背は俺とそんなに変わらない。175cm前後だろうか。童顔、色白でメチャクチャ爽やかなのだが、それでも醸し出す雰囲気は得体のしれない「何か」を感じさせる不思議な人だった。
「こちらが今日、ご指導していただける黄厳勇師範です」
さっきまでは営業スマイルで余裕を見せていた春崎が緊張気味に紹介してくれた。
「はじめまして、黄厳勇です。今日は遠いところわざわざごくろうさまです」
黄師範は眼を細くしながら満面の笑みでそう言った。別に俺たちの来訪に敵対意識はないだろうが、それでも流石に他流の道場というのはアウェイ感が半端なくて随分と俺は緊張していた。でもこの黄師範の笑顔に随分と救われた気がした。
「ウィリス未惟奈です」
未惟奈はこういった場面は慣れているのだろう、よどみなく男性なら瞬殺できるだろう笑みを湛えながらそう返した。
「未惟奈の付き添いで来ました、神沼翔です」
俺は続けて頭を下げた。
「君が未惟奈さんの彼氏の翔くんか。春崎さんから聞いているよ。凄い空手家だって」
「いやっ、そのっ……」
俺は二つの意味で慌ててしまった。まず……なんで俺が未惟奈の彼氏ってこと知ってんだよ?春崎さんおかしくないか?初対面だぞ?そんな簡単に拡散していいネタじゃないだろ?一応未惟奈は超有名人なんだから……そして、俺が凄い空手家とか、そんなヨイショいらないから!
俺は黄師範の先生攻撃で早速、慌てふためいてしまった。未惟奈は何が嬉しいのか、そんな俺を見ながらニコニコと笑っている。
それにしても黄師範は俺の訪問についてどう説明を受けているのだろうか?さっきの春崎さんの含みのある言い方では俺がこの黄師範に会うことが重要だともとれる感じであった。
だから俺は俄然、この爽やかすぎるおじさんに興味を持っていた。字面はBLを匂わせる怪しい感じがするが、全くそう言った意味ではもちろんないのでご安心を。
それから一旦、道場生全員に集まってもらい、お互いに軽く自己紹介をしていよいよ未惟奈がテコンドールールを知るための稽古がスタートした。
「まずは我々が順番に試合形式で戦ってみるから、未惟奈さんと翔くんはそれをよく観察してほしい。選手に動いてもらいながら私がルールのポイントを解説していくからね」
黄師範はそんな説明をしてくれた。
さっきの自己紹介で分かったことは、ここに集まってくれたメンバーはみな、現役の全日本大会上位入賞者ばかりということ。未惟奈目的で来たと思っていた少女たちもジュニアチャンピンの面々らしい。だから俺たちがこれから見せられる戦いはまさに日本の最高峰の戦いという事になる。
「チャリオ!キョンネイ!」
そんな黄師範の掛け声が道場内に響いた。
すると選手が向かい合い礼をした。最初は丁度俺くらいの背丈だがややスリムな男性二人だ。テコンドーの道場にきて思ったのは、空手選手に比してこのようにスリムな選手が多いということ。きっとこれが直接打撃性ではなくライトコンタクトのポイントルールゆえの違いなのだと思った。
「チュンビ!」「シージャッ!」
師範の合図で試合形式の組手がスタートした。その瞬間、俺は隣からものすごい「圧」を感じて思わず振り向いてしまった。
未惟奈だった。なんと未惟奈がいつになく鋭い視線を対戦する二人に送っていた。しかもその視線は選手の一挙手一投足までも逃さないという気迫を感じた。それがいつもの未惟奈独特の「圧」として俺にまで伝わってきたのだ。
俺はそんな未惟奈の集中力を目の当たりにして、いまさらながら鳥肌が立つ思いだった。未惟奈の凄さは世界級の身体能力と思われがちだが、実はそれだけではない。未惟奈の恐ろしさはそれ以上にその驚異的な分析力だということを俺は知っていた。
だからそんな未惟奈を見た瞬間、俺は予感した。間違いなく未惟奈は短時間でテコンドールールに適応してしまうだろうと。
俺は決して気を抜いていたわけではないが、未惟奈に触発され「武道家」としての眼力を発揮しようと改めて気を引き締めた。俺だって負けてはいられない。
さあ、これから何がはじまる?何をみせてくれるんだ、未惟奈?
俺はそんな未惟奈を見てぶるぶると武者震いをせざるを得なかった。




