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大それた不安

「おまえにはマジで裏切られたわ」


及川(まもる)が今日このセリフを言うのは何度目だろうか?


今朝、ウィリス未惟奈と俺とのやり取りを真横で聞いていた及川護の驚愕ぶりは、まるで宇宙人に会って腰を抜かす残念なおっさんのようで、哀れなものだった。


俺もついつい忘れかけていたが、ウィリス未惟奈は世界的アスリートで、日本に限った話でも今、もっとも注目されている国民的アイドルだ。


だから普通の男子高校生にすれば、彼女が至近距離にいるだけでも大事件なのである。


それが証拠に、彼女が転入してきてからというもの、未惟奈がどこにいようとも大勢の生徒に囲まれ、教師がいくら「普通に接するように」なんて声を大にして注意しようが、浮足立った生徒たちが聞くはずもなかった。


そんな天上人であるウィリス未惟奈が、いきなり俺を怒鳴りつけたかと思ったら、俺は俺で逆ギレして未惟奈を叱りつけたあげく、なぜか最後には友だち宣言までしてしまったのだ。


及川護が間抜け顔で腰を抜かすのも、分からないではない。


さらに、そんな俺と未惟奈のやり取りを見ていたのは、当然この及川護だけではなく、大勢集まったギャラリーの中央で、俺と未惟奈は言葉の大バトルを繰り広げたわけだ。


だからこの朝の「大バトル」以降、クラスにいても廊下でも食堂でも、どこに行っても皆が皆、俺の顔を見るなり顔を顰めつつ、周りにいる友だちとコソコソと話を始める。


「ほら! あの人……この間、体育館で未惟奈を壇上から落としておいて、今日は逆ギレして未惟奈を叱りつけたらしいわよ?」


“ひそひそ話”の内容は、きっとこんな感じなのだろう。


さすがの俺だって、入学早々ヒール役になり、行くとこ行くとこで悪意のある視線にさらされ続けるわで、ほんと不登校になりそうだ。


「おまえにはマジで裏切られたわ」


そう連呼し続けていた護が、夕方の帰宅時刻になって、ようやく神妙な面持ちで話を切り出してきた。


「ここでおまえに聞いておきたいんだが」


「なんだよ?」


「もしかすると、おまえと未惟奈ちゃんは、空手界隈でもともとの知り合いだったというオチがあるのか?」


「はあ? そんなわけないだろう? この間、保健室に謝りに行った時に少し話しただけだ」


「だったら、なんであんなに未惟奈はお前に遠慮なく話ができてるんだよ? いや、未惟奈ちゃんだけじゃない。翔、お前まで親しげに話をしていたじゃないか!?」


護からすると、俺と未惟奈がまるで旧知の仲のように会話をしていると映ったようなのだ。


ただ、全くそうではない。


「護? みんなまだ気付いていないと思うが、あれが未惟奈の“素の”性格だと思うぞ? あいつは人との距離の詰め方が尋常じゃないんだよ」


「バカを言うな翔。未惟奈ちゃんと同じクラスの俺ですら、“あんなに話をする未惟奈ちゃんを見たのははじめてだぞ”? 彼女はクラスでも必要最低限以上の話を決してしない。彼女の“芸能人オーラ”を突破して、早々話しかけられるやつもいないしな」


「まあ、それはいつも、いつも腫れ物に触るかのように遠巻きからワイワイやられたら、本人だってウザいだろう? だから今朝の未惟奈が素の未惟奈だと思うぞ?」


「ってことは、翔は特別に素の未惟奈ちゃんを見せる相手とでも言いたいのか?」


「まあ、そうかもな」


「な、なんだと!? そんなことがあってたまるか! 俺とお前で何が違うって言うんだ!!」


「いやいや、全然違うだろう?」


確かに俺と護は、東北の田舎町に住む地味で目立たない普通の男子高校生という意味では、全くもって違いはない。


でも、“この場合は”同じであるはずがない。


未惟奈の性格は、きっと俺に見せているのが“素”であることは間違いないのだと思う。


護が指摘したように、俺の前だけ“特別に”素の自分を見せている、というのがおそらく当たっている。


未惟奈は、至極“ストレートかつ正直すぎる”がゆえに、関心があることには猪突猛進で突っ込んでくるところが見受けられた。


今までは幸か不幸か、未惟奈は『空手競技』という場面で、自分を負かす相手に出会うことがなかった。


それが初めて、自分の攻撃を凌がれ、かつ人生で初めて空手の技で転がされてしまったのだ。


だから、たとえ俺が普通の男子高校生であろうと、彼女にしてみたら“特別な存在”と認識することは、あたりまえのことだと思う。


その彼女が、興味の赴くままに“素”を出して俺に猪突猛進で接触してきたと考えれば、今朝の未惟奈の行動は、全くもってつじつまが合うのだ。


俺はこれ以上この件を引っ張るのも面倒なので、護にこのことを“とくとく”と説いて聞かせた。


…… …… ……


「分かったか? 護。確かに俺とお前は“高校生男子”という面においては違いはない。でも俺も未惟奈には“空手”という共通項があり、なおかつ曲がりなりにも対戦をしている」


さすがの護も、悔しそうな顔をしつつも、渋々納得したようだった。


「でも、なんでその高校生チャンピオンの、誰だっけ、有栖だっけ?」


「ああ、有栖天牙な」


「そう、その有栖天牙すら敵わない未惟奈に、お前は負けなかったんだ?」


――それは俺の方が実力が上だから。


と、自分でも自信を持って言えればよかったのだが、実は自分自身でもその実感がないから困っている。


果たして俺は、そこまで強かったのだろうか?


その問いの答えを、未惟奈を体育館の壇上から落としてからも、俺は自分で見つけられていない。


「空手を教えてよ」


未惟奈は、こともなげに俺にそう自分の想いをぶつけてきた。


これは未惟奈が、自分は「たまたま負けた」のではなく、「俺の方が実力が上」と思ったからこそなのだろうか?


もしかすると、偉そうに俺は「空手を教えてやる」と言ったものの、「あれ? あなたの実力ってこの程度だったの?」なんて瞬殺される可能性だって、大いにあると思っていた。


それだけではない。


「あ、だからもう友だちってのもなしね?」


なんて涼しい顔で言うウィリス未惟奈が、ありありと想像できてしまっている。


そして、そんな想像をしながら……。


本来なら話すことすら出来ないはずの“天上人”ウィリス未惟奈と、『友だちではなくなること』に不安を抱いている自分が、滑稽に思えた。

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