女神のような人
「私……女の人しか愛せないのかもしれない」
そう俺にカミングアウトしてから檸檬の行動は早かった。
まず、その憧れのモデルIZUMIが働いているというドラッグストアーで檸檬はアルバイトを始めてしまった。そして檸檬が確信していたようにそこで働いていた女性は、なんと間違いなく元モデルのIZUMIだったらしい。本名を碧原維澄ということも檸檬が教えてくれた。
なんでこんな田舎のドラッグストアーに、檸檬ほどの女性が憧れるモデルが働いているのか?と言う疑問は俺には理解しがたいが、事実は事実らしい。
そして檸檬がアルバイトに通うようになり恋する女性として日に日に生き生きしていく姿を毎日目の当たりにすることになった。
そんなある日、ちょっとした事件が起きた。
俺がいつも通り未惟奈との練習を終えて、自室で大成拳の「立禅」の鍛錬をしていた時のことだ。突然俺の部屋に檸檬が血相を変えて飛び込んできた。
「翔!!」
俺は檸檬のあまりの動揺ぶり緊張感が走った。
「なに?そんな慌てて」
「ちょっと付き合って。維澄さんが、仕事の帰り道、男につけられてるっぽい」
「え?マジで?警察呼んだの?」
「まだだけど、そんな暇なさそう。直ぐ自転車で駆け付けたい」
そういって俺と檸檬は別々に自転車に乗り、維澄さんから檸檬に連絡をしてきたという稲橋公園付近を目指した。
俺の家から稲橋公園までは自転車で飛ばしても15分程度はかかる。
稲葉公園と言えば、夕方にはほとんど人通りは少なくこの時間に女性一人で歩くなんてとんでもない。
自転車で全力で飛ばして、ようやく稲葉公園についたが俺と檸檬は公園の周りを一周して維澄さんの姿を探した。しかしついに維澄さんの姿を見つけることができなかった。
檸檬は不安で押しつぶされるように真っ青になってガタガタ震えていた。
「もしかして近くのコンビニに避難したのかも」
檸檬はそう言ってから、公園近くのコンビニまで自転車を向けた。俺もそれに続いた。
俺たち二人はコンビニの駐車場に入ると檸檬は自転車を投げ捨てて店内を覗き込んだ。
「ああーよかった」
そう言いながら檸檬は安堵の表情でしゃがみこんでしまった。
「維澄さん、いたのか?」
「ええ、あそこ……」
檸檬がコンビニの休憩スペースを指さしたその先に若い女性が後ろ向きで座っていた。
檸檬は何とか立ち上がり店内に入っていった。俺も後を追う。
「維澄さん!!」
檸檬は店内に入ると人目もはばからず大声で呼んだ。
すると休憩スペースにいた女性は直ぐに”くるり”とこちらを向いた。
その女性は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにホッとしたように息を大きくはいた。
そして俺の存在にも気づいたその女性はなぜか俺に強い視線を送ってきた。
初対面の俺に対して、こんな強い視線を送ってくることに少しだけ違和感を感じた。
そして俺はこの女性を一目見て、そのあまりの美しさに衝撃を受けた。
なんとも陳腐な表現しかできないが一言で言えば「女神」といっても大げさではないと思った。「外見」という意味においてあまりに完成度が高すぎて驚きを通り越して呆れてしまった。
なるほど檸檬が何年もあこがれ続けていたことが今ようやく合点がいった。これが一流モデルの破壊力かと感心した。
どうやらこの維澄という女性は、なんとか走って男を振り切りこのコンビニまでたどり着けたのだという。維澄さんが檸檬に一通りの経緯を説明し終わるとまた視線を俺に向けてきた。
その視線に気づいた檸檬がようやく維澄さんに俺を紹介した。
「あ、彼は弟の翔です」
「神沼翔です。いつも姉がお世話になっています……」
俺は武道家らしく、ことさら礼儀正しく挨拶をした。
「碧原維澄です。弟さんなんだ」
「ええ」
維澄さんは、安心したように頬を緩めた。ああ、なるほどね。俺を檸檬の彼氏と思ったんだな。維澄さんは俺が弟と知って安堵した。その意味するところは明らかだ。さっきの視線の意味もそれで説明がつく。
そしてその予想はこの後行われた警察での事情聴取で確信に変わった。
維澄さんは、いかにも”メンドクサイ”と顔に書いてある警官から、ストーカーへの基本的な対処方法の説明を一通り受けていた。俺はこのやり取りを見ていたが「尾行された」というだけで、過度な警護をしてくれるなんてことを期待できるものではないと分かった。
そして、おそらく早く話を切り上げたかった警察官が無遠慮な問いを発した。
「あなた、護ってくれる親しい男性の人とかはいないの?」
この問いに、檸檬の顔が強張ったのが分かった。
しかし維澄さんは警察官の問いに即答した。
「いません」
不満の色をにじませつつ、強い口調で。
そして檸檬の表情を確認するかのように維澄さんの視線は不安げに檸檬に向けられていた。
間違いない。この女神のように美しい女性はおそらく檸檬に特別な感情を抱いている。だから俺は即座に提案した。
「今日維澄さんうちに泊ってもらった方がいいんじゃないの?」




