最初で最後
「ほら!言ったでしょ?翔はね、見た目が普通過ぎるけど鬼強いんだから」
俺のことを鬼強いと評しながら、その未惟奈はまるで鬼の首を獲ったかのように勝ち誇っていた。
「未惟奈さん、やけに嬉しそうね?」
芹沢は、はしゃぐ未惟奈をそう言ってからかったが、彼女はそんな言葉を気にも留めない。
俺の横で、さっき自販機で買ったばかりのアイスクリームを嬉しそうに頬張っていた。
「翔くん?顔がにやけてるよ」
そんな未惟奈を横目で眺めていた俺は、目ざとい春崎に突っ込まれてしまった。
「べ、べつににやけてないですよ」
そう言いながら未惟奈に視線を移すと、彼女は口角を上げたまま挑発的な視線を向けてくる。
思わず俺は目を逸らしてしまった。
どうも最近、未惟奈の距離の詰め方が積極的に感じる。
これは俺の自意識過剰なのだろうか。
「さっきはあんな恐ろしい戦いをした翔くんも、未惟奈さんの視線にはドギマギしちゃって……こんなうぶなところを見ると、やっぱり普通の男子高校生なんだよね」
芹沢は生温かい視線を俺に送りながら、そんなことを言った。
「いや、だから普通の男子高校生だって何度も言ってるじゃないですか」
* * *
高野CEOとの対戦を終えた俺たちは今、市民体育館ロビーにある休憩スペースにいた。
いくつかの丸テーブルを囲むように椅子が並んでいる。
体育館の利用者が帰り際に談笑するには丁度いいスペースだ。
高野CEOには、先ほどまでの覇王感に満ちたオーラは微塵もなかった。
ファミリーレストランで談笑していた時と同じ、気のいいおじさんに戻っている。
そんな彼が、未惟奈を見ながら口を開いた。
「いや、未惟奈の言う通りだったな。翔君、現役時代を含めても、あそこまで実力差を見せつけられたことはないよ。針に糸を通すような鋭い一撃。しかも、ダメージが残らないよう力までコントロールしたんだろう?」
流石は高野CEOだ。
すべてお見通しというわけか。
「ええ。先ほどポイントルールの話が出た時に、武道なら力のコントロール技術ができるはずだと話題になっていましたので。それを未惟奈に見せてやろうと思いまして」
「か、翔くん、そこまで読んで動いていたの?……ほんと恐ろしい子ね」
春崎は、俺のことをまるで化け物でも見るかのような目でそう言った。
高野CEOは、シビアな世界に生きる大人だけあって、負けたことへのわだかまりを微塵も見せなかった。
彼は視線を俺に向け、言葉を続けた。
「鵜飼先輩はこんな凄い空手家を育てていたのだな。いや、言葉もないよ」
そう言いながら、高野CEOは大きな手で俺の肩を何度も軽く叩いた。
その目は、少し涙ぐんでいるようにも見えた。
「高野さん。これで翔くんがチャンプアとの対戦を反対する理由はなくなったよね?」
未惟奈が早速、俺の対戦話を蒸し返してきた。
「そうだな。その件は翔君にも大変失礼な物言いをしてしまった。本当にお詫びする」
「いえ、こちらこそ挑発的な態度をとってしまい、その上、高野CEOにお相手までしていただいて恐縮しています」
「フフフ、翔くんのこういう対応は大人びてて凄いわよね。未惟奈ちゃんも翔くんのこういうところを見習いなさい?」
春崎の言葉には、対戦で重くなった空気を和ませようという気遣いがあった。
こんな気遣い上手な大人に褒められて、拙者は恐悦至極です。
「翔はいつもカッコつけすぎなんだよ。対戦の件だって、どうせ『でも俺は対戦とか興味ないから』とか言い出すんでしょ?」
俺はどうやってチャンプアとの対戦を断ろうか考えていたので、未惟奈の指摘にギクリとした。
「ほらね、その表情を見れば図星じゃない」
はい、その通りです。
俺は売り言葉に買い言葉で、自分の空手を証明するために高野CEOを引きずり出し、膝までつかせてしまった。
あそこまでやっておいて「試合の話は別件です」とは、流石に言い出しにくい。
「アハハハ、未惟奈は翔君のことを本当によく分かっているな……。確かに、あんな技を見せられたら、私もチャンプアとの対戦を見てみたくなったよ。しかし、今日の目的は鵜飼先輩のお孫さんに会うことだったからね。最終的には予想以上に嬉しい形で実現できた。だから、これ以上翔くんに迷惑のかかる話は止めておこう」
俺は高野CEOの気遣いを聞いて、ホッと胸を撫で下ろした。
「翔くん、でも日を改めて、この話を進めてもいいかしら?」
春崎が、後日に望みを繋ぐための楔を打ってきた。
このあたりの粘り腰は流石は記者だ。
正直、めんどくさい。
ここでキッチリ断らないとズルズルいきそうだったので、俺はこの場で結論を出すことにした。
「いえ、本当に色々お騒がせして申し訳ないんですけど……」
「ダメよ!翔!」
しかし、俺の言葉を遮るように未惟奈が声を張り上げた。
「だ、ダメってなんだよ?」
「翔は、私のトラウマを解消してくれるんでしょ?」
未惟奈はいつになく真剣な眼差しで迫ってくる。
俺は少し狼狽えてしまった。
「な、何言ってんだよ?意味わかんないんだけど」
「だって私が伊波さんに勝っても、翔が世界一にならなければ意味ないじゃない!」
そう言いながら、未惟奈はテーブルの下――皆から見えない位置で、俺の手首を「逃さない」とばかりに握りしめていた。
俺は動揺しながらも、なんとか言葉を返した。
「俺が試合に出ることと、未惟奈に何の関係があるんだよ」
その問いに、未惟奈は答えようとせず、下唇を噛みながら悔しそうな顔を見せた。
俺がそのことに気づいていないことへの不満が、表情に滲み出ている。
場に緊迫したムードが漂った。
見かねた芹沢が口を開く。
「横からごめんなさい。未惟奈ちゃんが最終的に目標にしているのが翔くんだから、その翔くんに世界一の称号を手にしてほしいんじゃないかしら?」
「それって……やっぱり俺を倒さないと、未惟奈のトラウマが消えないって話か?」
「そうだよ!それくらい自分で気づいてよ。なんで翔は私の気持ちを理解してくれないの?」
いやいや。
やっぱり今日の未惟奈はテンションがおかしい。
「翔くん、どうする?この話、今日はやっぱりやめておく?」
春崎が、収拾がつかなくなりそうな状況を察して、再度俺の判断を仰いだ。
しかし、俺が声を出すより早く、未惟奈が口を開いた。
「翔、お願いよ……私と一緒に試合を目指してよ」
未惟奈はついに泣き出しそうな顔で、懇願するように言った。
握りしめられた手首から、彼女の必死な熱が伝わってくる。
未惟奈にここまで必死にお願いされるのは、反則だ。
そんな顔をされたら……。
まったく、なんなんだよ。
「分かったよ」
「え!?」
「おい、自分でお願いしておいて、そんな驚いた顔するなよ」
「だ、だって信じられなくて」
未惟奈の表情がパッと明るくなったのを見て、俺は少し安堵した。
ああ、俺も結局は普通の男子高校生だ。
美少女に懇願されれば、断りきれない。
「最初で最後だからな」
「わ、分かってるわよ」
「高野さん、こちらで勝手に決めてますけど……いいんでしょうか。俺がチャンプアと対戦することで」
「ああ、もちろんだ。構わないとも」
「じゃあ、決まりということで」
俺と未惟奈のやり取りを見ていた芹沢は、嬉しそうに優しい笑顔を向けてくれた。
ただ一人、春崎だけはこの急展開についていけないようで、口をあんぐりと開けたまま固まっていた。




