過小評価の代償
「翔君、気を悪くしたら申し訳ない。しかしチャンプアはちょっと普通の選手ではないから、仕方がない部分もある」
普通ではない?……どう普通ではないと言うのか?
まあ、俺はいつも自分のことを「普通」と言っているわけだから、そう言われると返す言葉もないな……。
俺は乱れてしまった感情を抑えるためにも、自嘲気味にそんな言葉を思い浮かべつつ口を開いた。
「いえいえ、俺は全く気を悪くなんかしてませんよ?ただ、本音がつい口から出てしまったというか」
「フフ、本音か。翔君がそこまで言い切れる本音の根拠には興味があるな」
高野CEOはようやく破顔して、穏やかな表情を見せた。
これは俺に対して気を使ったわけでもなく、むしろ根拠のない思い込みをしていると言わんばかりの、俺に対する揶揄の表情に見えた。
俺はどんな表情をしていたのだろうか?
春崎が慌てたように話に入ってきた。
「翔くん、チャンプアってね。簡単に言ってしまうと男性版の未惟奈ちゃんかな。一発で対戦相手が立っていられないほどの打撃力があるの」
これを聞いて強い反応を見せたのは、むろん未惟奈だった。
「え?じゃあそのチャンプアって、私くらいに身体能力が高いってこと?」
俺は即座に”そんなことはないだろう”と思った。
男性、女性というフィジカルの違いはあれど、こと才能に関しては未惟奈と同等なんて人間が、世界広しと言えどいるわけがない。
ましてや格闘技という狭い世界には……。
しかし、である。
「その可能性はある」
高野CEOはさらっとそう言い切ってしまった。
これについては、俺もチャンプアの映像を見たことがないので分からない。
だが、少なくとも未惟奈の才能を測り間違えている気がした。
過度にチャンプアへの思い入れでもあるのだろうか?
ただ、少なくとも俺の知る限りムエタイの選手は、一撃で倒すよりラウンドを重ねながら相手の腕や足にダメージを蓄積させ、ラストラウンドで決めるイメージがある。
つまり、そんな対戦を主とするムエタイ選手は恐ろしくタフな者が多い。
そんなタフな相手を一撃で葬るということは、ずば抜けた才能があるのは間違いなさそうだ。
俺はそのことに少し興味を持った。
「でも、翔にはきっと当たらないわよ」
未惟奈がまた口を開いた。
しかも未惟奈は高野CEOの発言に相当腹を立てているらしく、睨みつけんばかりの勢いだ。
確かにさっきの高野CEOの言葉は微妙だ。
未惟奈が敵わない俺がチャンプアと戦うのは危険だということは、未惟奈はチャンプアよりも実力が不足していると言っていることになる。
しかもそのスタイルが未惟奈に似ていると言われれば、未惟奈はチャンプアの下位互換ということになってしまう。
未惟奈としては面白くないだろう。
「翔くん、気を悪くしないで聞いてほしいんだけど。実は私も高野CEOの意見には概ね賛成なの。私としては空手家の翔くんに、なんとか立ち技最強のムエタイに勝ってほしい。だからそれはルールでなんとかならないか、高野CEOを説得していたところなの」
へえ、春崎須美をしても、ルールを考えないと俺がチャンプアに敵わないとジャッジしたか。
俺は、春崎の「ルールでなんとかしようとした発想」に引っかかった。
「春崎さん?春崎さんって空手、空手って言いますけど、空手道というものにはあまり理解がないんですね」
俺は十分な皮肉を込めたが、極力穏やかに言った。
隣にいた未惟奈は俺の言った意味が分からないようで、眉間に皺を寄せて首を捻った。
しかし、さすがに春崎は俺の言わんとしていることを即座に理解して慌てた。
「いや、翔くんがルールで縛られて対戦することに価値を見出していないのは分かっているの。でも……ここからは私の個人的な想いと思ってほしいんだけど、それでもチャンプアと戦ってほしい。でも、それにはルール調整は絶対必要だと私は思っているの」
「須美ちゃん?ルールの改変なんかしたら翔くんが納得するわけないじゃない。私もどちらかと言うと翔くん寄りの人間だから、翔くんの気持ちは分かるな」
今まで伏し目がちで、皆の話を慎重に聞いていたように見えた芹沢がそう言った。
「そういえば須美ちゃん、今日、最近の翔くんの動きを確認したいと言っていたわよね?」
「え?ああ、そうね。薫子に来てもらったのも、大成拳の完成度を判断してほしいということもあったから」
「それは、チャンプアと戦えるかどうかの判断もしたかったってことよね?」
芹沢がそう言うと、春崎は動揺を隠せない顔で俺に一旦視線を移してから芹沢に向き直り、それから頷いた。
俺はチャンプアと戦いたいわけではないので、ルール云々でこれ以上ごねるのも筋違いなのは分かっているが、どうも気持ちがスッキリしない。
「結局さ、高野さんも春崎さんも色々勝手なこと言ってるけど、翔の空手をしっかり見たことないわよね?それってさ、やっぱおかしいじゃない。そんなごちゃごちゃ言うのは、翔の空手をもっとしっかり見てからにしてよ」
俺が浮かない顔をしていると、未惟奈は俺の気持ちを代弁するかのように話をしてくれた。
しかも未惟奈は俺以上に感情的になっているらしく、悔しさで目に涙を溜めているようにも見えた。
こんな未惟奈の姿を見ると、また俺の心も乱される……。
俺は未惟奈の態度に動揺しつつも、冷静に今の状況を判断する努力をした。
芹沢は俺に大成拳を指導しているわけだから、俺の動きは何度も見ているし、野田や有栖との対戦だって見ている。
しかし、随分と親しくなったとは言え、春崎は俺と未惟奈が部活説明会で対戦した、ほんの数秒の動きしか見たことがない。
いくら目の肥えた春崎とは言え、これだけで俺の実力を測るには情報が少なすぎるだろう。
そして高野CEOに至っては、俺の動きを全く見たこともないのだ。
そんな情報がほぼない中で俺の実力をジャッジされるのは、確かに納得がいかない。
しかし見た目には弱冠十六歳の高校生でしかなく、しかも公式試合の経験もない俺のことを過小評価するのは、ある意味当たり前とも言える。
だから今までの高野CEOと春崎の言動だって悪気があるわけではなく、実際に俺の身を案じて言ってくれているのだろう。
くどいようだが、俺はチャンプアと試合をするかしないかなんて話には全く興味はない。
しかし俺からすれば、俺の空手を過小評価されるということは、俺の空手の師でもある祖父・鵜飼貞夫を過小評価されることでもあり、さらには俺との対戦で勝てない未惟奈や伊波の実力までも過小評価されることになる。
それは絶対に看過できない。
俺はなんとかそこまでの分析を終え、俺なりの結論を出した。
”だったら、まず俺の空手を見てもらえばいい”
俺がそのことを口にしようとすると、それより少し早く高野CEOが口を開いた。
「分かった。じゃあ、差し支えなければ翔君の空手を見せてもらっていいかな?」
高野CEOは俺に視線を向けてそう言った。
「ええ、俺もそう思っていました。では、どうやってお見せしたらいいですか?」
そう聞くと、高野CEOからは予想外の答えが返ってきた。
「ああ、私と対戦してもらうのが一番いいだろう」
そう言った高野CEOが放った異様な威圧感に、その場の空気が一変した。




