本音
「翔も一緒に試合に出ようよ」
未惟奈は、いきなり”一緒に帰ろうよ”とたいして変わらないトーンで言ったものだから一瞬、その意味するところが理解できなかった。
ただ、未惟奈がそう切り出した瞬間に、その場にいる全員の顔色が変わったので、俺もようやく未惟奈が発言した言葉の重大さに気付いた。
当人が一番、反応悪いってどうなんだ?と俺は苦笑いした。
「未惟奈、そんな簡単に言うなって」
「は?別に簡単に言ってるつもりはないんだけど?」
「いやいや、今のはいつもの”一緒に帰ろうよ”と大して違いはなかったぞ?」
「な、なによ、私が毎日帰りを誘っているように言わないでよ」
そう言いながら未惟奈は恥ずかしそうに赤面してしまった。重大なことを平気な顔で切り出しておいて、今そんなことで赤面する未惟奈の感性は相変わらずナゾだ。
実は今回の春崎の来訪で、俺の試合、つまり現ムエタイチャンピオンのチャンプア・プラムックとの試合に関してなんらかの話があるだろうことは想像していた。しかも高野CEOの姿を見た時には実に嫌な予感があった。
しかし、なんとこの件を未惟奈が持ち出してくるとは思ってもみなかった。
案の定、渡りに船とばかりに春崎は期待満面の表情で俺の応えを待っていた。
ただ、同じように話に乗り出してくると想像していた高野CEOがなぜか渋い顔をしているのが気になった。
「高野さん?ムエタイのそのナントかっていう人ってさ……」
「ああ、チャンプアのことか?」
「ええ、そのチャンプアって翔と戦いたがってるんだよね?」
「ああ、チャンプアが伊波から翔くんのことを聞いて私に申し出てきた」
「じゃあ、後は翔がOKならいいんだよね?」
「いや、それはそんな簡単な話ではないな」
やはりだ。高野CEOは俺とチャンプアが対戦することに前向きではない。なぜだ?
「高野さん?どういうこと?」
未惟奈はやや不満の顔で高野CEOに言った。
そしてこの高野CEOのリアクションには春崎は微妙な表情を見せた。
「確かに春崎君も太鼓判を押し、さらに未惟奈も伊波も敵わないとなれば確かに翔君の実力は間違いないと思う」
「でしょ?じゃあ、なんで?翔が無名だからとかが関係しているの?」
「それについてはプロモーション次第でどうにでもなる。今までだって金の卵である無名選手を発掘して何人もの大物スターを輩出しているのがRYUJINという格闘団体だ。そう言った意味で翔君は何の問題もない」
これは以前に春崎にも聞いたことがある。無名選手の発掘に春崎の選手への「目利き」が大いに役になっていると。
「伊波さんと戦った私だって、無名もいいところだったしね」
芹沢が納得するように頷きながらそう言った。確かにそれを言えば伊波の相手、しかもそれは未惟奈の後釜に当時(そして今も?)誰も知らない芹沢薫子をあてるなんて普通の格闘団体ならあり得ない。
ではなぜ高野CEOは渋い顔をしているのだ?まあ俺だって乗り気ではないので全くそれで構わないのだが気になることは気になる。
すると高野CEOは重々しい表情を崩さずに言った。
「さすがにチャンプアと翔君を戦わせるのは危険が大きすぎる」
ん?それはどういうことだ?
俺は高野CEOの言葉を聞いてしばらく高野CEOを睨みつけていたことにしばらくしてから気付いた。
「それって、翔はチャンプアと対等に戦う実力がないっていいたいの?」
未惟奈もまた俺以上に険しい顔で高野CEOに噛みついた。
「まあ、端的に言うとそういうことだ」
高野CEOはあえて俺の方を向かずに、そして有無を言わさぬ強い口調でそう言い切った。
その高野CEOの言葉で春崎と芹沢の顔が強張ってしまった。
また勢いづいていた未惟奈まで高野CEOの強い言葉に怯んでしまった。
いやいや、いきなり空気悪くするなよな?
さて……
俺の空手はあくまで武道だ。そしてその空手は今では俺のアイデンティティーにもなっている。つまり俺の人生そのものだ。だから競技ではなく「道」である空手道なんだ。俺の空手は競技で測れるものとは対極にある。今まで誰に勧められても試合に出てこなかったのだって、そこに価値を感じることがなかったからだ。
そんな俺がムエタイという”他流競技”の相手と戦うことに意味は全く見いだせない。だから例えチャンプアとの戦いを勧められても受ける気は毛頭なかった。
しかしである。他人から「危険だからやめておけ」と言われてしまうと心穏やかではいられない。それはくどいようだが空手そのものが俺のアイデンディティーであるからだ。だから俺は無意識に高野CEOを睨みつけまでしてしまったのだ。
「か、翔?あなたもなんか言いなさいよ!」
未惟奈は口調は強いものの、助けを求める小動物のような可愛さを見せてちょっとおかしかった。
「危険?危険って相手の攻撃が俺に当たるってこと?」
自分でもびっくりしたが、そんな強気の言葉が俺の口から出た。
今度は俺の言葉に皆が驚いてしまった。
自分も実はなんでこんな強気な言葉が出てきたのか不思議だったが、よくよく自分の心の内を探ってみると案外それが本音であることが分かった。
つまり俺は自分で思っている以上に、空手には絶対的に自信がある。実際に俺の身体に相手の攻撃が当たるというイメージがない。
高野CEOは感情が見えない表情で俺を見据えていた。
高野CEOが中々口を開かないので俺はもう一言付け加えた。
「相手に危険が及ぶって、チャンプアはそこまで技をコントロールする技術がないってことですか?俺はそんなレベルの低いことはしませんけどね」




