前進
武道・格闘技でもスポーツの競技として対戦するのであれば当然ルールというものが存在する。
武道・格闘技経験のない方からすると格闘技のルールになんて「同じ戦うならどれも一緒でしょ?」という意見が大半だろうと想像する。
しかし、武道・格闘技の世界でルールの影響力は絶大だ。
例えば空手出身の強豪選手が、そのままキックボクシングの試合に出てもそうそう勝てない。理由はルールに適応できないからだ。
もっと細かいことを言うと、一般人では「同じ」にしか見えないキックボクシングとムエタイでも同じことが起こる。キックボクシングのチャンピオンがムエタイの試合では勝てない、逆にムエタイのチャンピオンがキックボクシングの試合で勝てない。こんなことは日常茶飯事だ。
それくらい競技格闘技に於いてルールの存在は重要なのだ。
しかし、未惟奈は不満を口にした。
「でもそれって私のハンデとなるルールをつくるだけじゃないの?」
俺も同じ疑問を感じていたので口を挟んだ。
「未惟奈からすればそう思うのが当然だと思う。ルールに着眼するのは確かに間違ってないと思います。でもきっと未惟奈はどんなルールでも即適応してしまいませんかね?」
未惟奈は普通の選手じゃない。規格外なのだ。それを高野CEOは甘く見ている気がした。
「フフフ、それについてはきっと春崎くんが何とかしてれるだろう」
「はあ?」
いきなり話を丸投げされた春崎は、さすがにいら立ちの表情で高野CEOを睨みつけた。
あれだけ自信たっぷりに話し始めていた高野CEOの根拠が笑顔で「春崎くんがなんとかしてくれる」というのは無責任にもほどがある。無理難題を部下に押し付けて部下を育てるなんて教育もあるらしいが……春崎さん部下でもないしね。
「そうね、まあいいわ。一応私にもアイデアがあるから」
「へえ、さすが須美ちゃん」
芹沢はニコニコと楽しそうだ。
「簡単に言わないでよ!」
芹沢の言に応えつつも、さすがにまだ高野CEOを睨みつけたままだ。
「未惟奈ちゃんがハンデって言葉を使ったわよね?」
「だってそうじゃない?」
「いや、そうでもないわよ」
おや、なんだと?ルールでハンデをつける訳ではないのか?
「翔くん、君もよく知るように未惟奈ちゃんの最大の武器は、一撃で相手を倒せる一発のスピード、破壊力でしょ?」
「まあ、それは間違いないですね。あの技がある限りどんなルールであろうと、一瞬で試合は終わると思いますよ?だからルールなんてあってないがごとくだと俺は思いますけど」
「でも翔くんだって、知ってるでしょ?空手のルールには2つの大きな潮流があることを」
「ええ、もちろん。フルコンタクト、つまり直接打撃性と寸止めルールと……って、え?もしかして春崎さん、寸止めルールをやろうって考えてます?」
空手の本来のルールは寸止めルールからスタートしている。それにオリンピック種目にも採用されている空手のルールは寸止めだ。となるとその選択は「あり」と言えば「あり」だ。
空手の寸止めは「空手の攻撃は一撃必殺である」「当たれば必ず相手は倒れる」ということを大前提としたルールだ。だからわざわざ当てることはない、としている。
これに対して「いやいや、当ててみなければ分からない」というフルコンタクトルールを空手の世界に採用したのが極真空手だ。
今や「武道」「スポーツ」ではなく「格闘技」というカテゴリーに空手を入れた場合はフルコンタクトルールをイメージする人が圧倒的に多いはずだ。
「春崎さん?格闘技団体が主催するプロの興行ともなると、KOありきの直接打撃性が最低ラインじゃないんですか?ですよね?高野CEO」
俺は春崎に丸投げした高野CEOが何と言うのか興味があったので意見を促した。
すると高野CEOもさっきの笑顔とは打って変わって渋い顔になりながら応えた。
「未惟奈と伊波という知名度を考えれば寸止めルールでも興行的には成り立つだろうが、観る側が納得しないだろうな」
「ですよね?」
俺は想像通りの応えに満足して相槌を打った。
そして高野CEOは続けた。
「このマッチメイクは、未惟奈のトラウマを解消するためにという彼女の個人的な要求を実現ことが目的だ。そのために私が企画するのだから見る側が納得しようがしまいが最終的には関係はない」
個人的な理由でって凄いな、でも団体のCEOがそう言うならOKなんだろう。確かに未惟奈と伊波がRYUJINの大会で対戦するというだけで大事件だ。ルールに納得いかなくても興行的には十分すぎるほどのインパクトになる。
それに未惟奈のためとはいえ、伊波にしたって願ったりかなったりのはずだ。
「ちょっと待って!」
春埼が急にカットインしてきた。
「私は翔くんに空手ルールの二大潮流を質問しただけで、寸止めルールを採用するなんて一言も言ってないからね?」
「違うんですか?」
「観る側の不満云々の前に、寸止めルールは、未惟奈ちゃんと伊波ちゃんがやってきたこととあまりにかけ離れ過ぎてるから無理よ。これはつまり二人にやったこともない競技で戦わせるようなものよ?翔くんならそれぐらい分かるでしょ?」
「そ、そうですかね?」
分かるでしょって、俺は貴女みたいな格闘技マニアじゃないんでね。
「で、須美ちゃん?寸止めじゃないならどんなルールを考えているの?」
芹沢も俺と同じように武道・武術を実践しているが競技格闘技のルールを春崎ほどには詳しくないようで春崎の意図を理解できていない。
「ズバリ言うとライトコントタクトルールね」
「ライトコンタクト?つまりポイントルール?いやいや、あれは俺も見たことあるけどポイントルールってだけで、ライトといいつつ実際バチバチ当ててますよね?あれならフルコンタクトと変わらなくないですか?つまり未惟奈が当てたら相手は倒れますよ?」
「そうね。翔くんが言う通り、「ライトコンタクト」ってことは「軽く当てる」ってことなのに見た目はフルコンタクトと変わらないわよね。実はライトコンタクトを採用する団体はほとんどルール上どれくらい「ライト」なのかを定義していないのよ。だからあれだけバチバチやりあっても審判は何も言わない」
「それじゃあライトコンタクトである意味ないですよね?」
「ただね、翔くん。ライトということに対して、一つだけ決定的なルールが存在するのよ」
春崎は口角をニヤリと上げつつ続けた。
「な、なんですか?それは?」
「ライトコンタクトルールでKO劇が起きると、KOした方が厳しい反則をとられるの。ルールによっては即、反則負けということもありうる」
「え?相手を倒したのに負けとか、意味わかんない」
急に未惟奈が話に入ってきて強い不快感を顕にした。
「確かに強打を抑止するためのルールなんだと思いますが、少なくとも未惟奈にそれを強いるのはただ”手加減しろ”ってことになりませんか?そんなルールを採用してまで戦う意味が見えてこないですよ」
俺は納得できず、春崎に反論した。
「翔くん?あたな競技者じゃなくて、武道家なのよね?」
「は?急になんですか?もちろんそうですけど?俺は試合に一度も出たことないって前に言いましたよね?」
「うん、聞いてるよ。そんなこと確認してるんじゃないの。武道家ならただただ全力でぶちかますだけでなく、攻撃力のコントロールぐらいできて当然だと思っただけよ」
俺は頭をハンマーで殴られたほどの衝撃を受けた。なんとそこに目を付けたのか。
つまり未惟奈は今回、トラウマ解消のために才能ではない武道的技の勝負をしたい。ならば一撃必殺の蹴りだって、相手をKOしないレベルにコントロールして放つことだって立派な技術だ。
伊波はどうだ?ムエタイは全力で相手を攻撃するルールだ。伊波は技術云々に拘って試合をするわけではないから、はたしてこのルールに納得するのか?
いや、納得する可能性はある。
実際にライトコンタクトでKOが起きる場面は、実質「顔」に攻撃がクリーンヒットした場合に限られる。だからライトの意味が曖昧ならボディー、ローに関しては全力での攻撃が可能だ。
ならば伊波にしてもローキックで相手の足を止めて、ミドルキックで相手の腕を殺し、……というムエタイの真骨頂は阻害されない。未惟奈が一撃必殺の打撃をコントロールできる技術を身に付ければ試合は十分成り立つ……
「す、すごいな。春崎さん。確かにこれなら行けるかもしれませんね」
俺は春崎という格闘記者にして格闘マニアの彼女をこの時ほど恐ろしいと感じたことはなかった。
「でしょ?」
春崎は満足げに、魅惑的な笑顔を俺に送った。
「さすが須美ちゃんね。でもだとすると未惟奈さんはしっかりと翔くんに技術を学ばないとね」
芹沢ももちろん春崎の言わんとしていたことは俺同様に即理解したようだ。そして、さらに先を読んでそんな提案をしてきた。
「未惟奈はどうなんだ?これなら納得できるんじゃないか?」
「うん、そうね。この先翔が組手だけじゃなくて、技も教えてくれるなら……いいかも」
「よし!決まりだ」
デジャブだろうか?高野CEOはさっきも言ったセリフを同じように大声で突如叫んだ。
いや、この人絶対ここまで考えてなかったよね?春崎さんの手柄ですよね?
でも案外、なんでも自分でやりたがるワンマン経営者が多い格闘技団体において、部下でもない才能ある人材に仕事を任せてしまえるのもすごい希少なのかもしれないな。
それにしても……
当然伊波にとっては渡りに船なはずだ。もしかするとすでに高野CEOに伊波の方からも願い出てる可能性が高い。
ということは、そうか、ついに未惟奈の復帰戦ってことか。
最初は乗り気ではなかったが、今では少し楽しみに感じる俺がいた。




