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努力する天才

「え? なんで未惟奈の部屋?」


「話があるからよ」


「そ、それはわざわざ未惟奈の部屋でする必要あるの?」


「何よ? いやな訳?」


「いやな訳ないけど、なんか唐突過ぎるなと思って」


「唐突? むしろ今更でしょ? 私たちって出会ってからどれだけ時間たってるのよ?」


「まあ、そう言われればそうだけどさ……けどいいのかよ? 簡単に男子を部屋に入れて」


「ごちゃごちゃ言ってないで、早くシャワー浴びて着替えてきてよ。着替えたらエントランスのロビーで待ってて」


「わ、分かったよ」


全く……強引すぎて、我儘全開なところは、いつも通り安定の未惟奈なんだが、高校生の男子が一人だけで女子の部屋にお呼ばれするのって普通の話なのか?


俺的にはちょっと緊張案件なんだけどなあ……。


アメリカナイズされた未惟奈にしたら当たり前の話なのだろうか?


考えてみれば未惟奈が学校の他の男子を部屋に呼んでいることはまずないと思うが、ここに出入りしているアスリートならあり得るのだろうか?


そんなことを思うと、少しモヤモヤする自分がいるのに少し動揺する。


今年春に会って、まだ半年という時間は決して長いとは言えないと思うが、毎日のように空手の練習で「手合わせをしている」というのは、密度でいえば相当に濃いと言えるのだろうから……まあいいか。


未惟奈の様子からは断るという選択権はなさそうだし、あまり深く考えだすと俺だけ妄想がはかどり過ぎそうだから、ここは無の心で行くしかないな……武道家らしく!


「お待たせ」


未惟奈はさっきまでのトレーニング用のウェアから、このジムのロゴが入ったエメラルドグリーンのTシャツとダメージデニムのショートパンツという出で立ちに着替えていた。


学校での制服姿や空手の時の道着に見慣れた俺は、短いパンツから伸びる、長くて細い脚を見せつけられるとやっぱりドキリとしてしまう。


「なにジロジロ見てんのよ?」


「いや、綺麗な脚だなと思って」


「ば、バカじゃないの? それセクハラ!」


未惟奈は、少しだけ頬を赤くしながら目を吊り上げて怒った仕草で返した。


「セクハラって今更?」


「そういうのは今更とか関係ないでしょ? それはいつ言おうがアウト」


「そ、それは失礼しました」


未惟奈が本気で怒ってはいないのは分かっていたが、念のため大げさに頭を下げた。


「フン……じゃあ、ついてきて」


そう言いながら文字通り勝手知ったる我が家であるジムの廊下をスタスタと歩きながら俺を先導した。


「もしかして自宅まではジムの中から行けるの?」


「ええ、そうよ。渡り廊下通れば行けるわ」


「おいおい、すげぇことサラッというなぁ」


「また今更? さっきからそんなのばっかり」


確かについさっき、新体操の体験教室に来ていた親子連れの反応を目の当たりにした通り、未惟奈は紛れもない「超有名人」であるし、スポーツ界なら世界の至宝とも言える。


本来ならこんなに馴れ馴れしく俺が近づいていい相手ではないが、俺にとっては最も親しい女子生徒ということも確かなのだ。


しかし実際にこんな浮世離れした世界の未惟奈の側面を目の当たりにすると、感じるインパクトが違う。


渡り廊下を通るとオートロック式のドアが目の前に現れた。


未惟奈は当たり前のように指紋認証でロックを解除する。


いやいや凄いね、指紋認証とか……もう口に出しては言わないけど。


オートロックのドアを抜けるとその先には中扉があり、そこを抜けるとようやく「自宅らしい」空間に入った。


ただそこは正面の玄関ではなく、自宅とジムとを繋ぐ連絡通路口で、俺たち二人が入ってきた場所はリビングと言うには広すぎる「ミーティングルーム」のようなスペースだった。


「えっと、もう自宅に入ったんだよね?」


「ええ、そうよ……なんで?」


「いや、まだ土足だし……やっぱ西洋風に家は土足なの?」


「いいえ、この先では靴は脱いでもらうわ。ここまではアスリートたちがはいってくることがあるから」


「なるほどね。では、あらためておじゃまします」


俺は一応、頭を下げて芝居がかった感じでそう言った。


「は? なにそれ」


「武道家は礼節重んじないと」


「へえ、じゃあ私からも……Welcome to my house!」


未惟奈が流暢な英語で返してきた。


な、なんだよ急に……カッコいいじゃんか!


靴を履き替えると、ベージュ色のカーペットが敷き詰められた広い廊下があった。


その廊下の先には左手に階段があり、どうやら未惟奈の部屋は二階にあるようで、彼女は階段を上がり始めていた。


ジムの中のきらびやかなイメージから急に普通の家屋に入り、特に白い壁と階段まで続いているベージュのカーペットの色は、非常に落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


あのウィリス父のイメージとは程遠いこの家の雰囲気は、新体操女王である未惟奈の母の影響なのかな?


そんな想像を膨らませながら、俺は未惟奈の後をついて行った。


二階に着くと未惟奈はなんの躊躇もなく、白塗りでやや洋風なドアを開けた。


「入って」


「お、おう」


流石に俺は女子高生、しかも未惟奈の部屋ということで少し……いやかなり緊張した。


いったいどんな部屋なんだ?


姉の檸檬の部屋には当然入ったことはあるので、普通の女子高生の部屋には免疫があると思っている。


しかし、未惟奈は少なくとも普通の女子高生ではない訳だからな……これでかわいいぬいぐるみとか沢山飾ってあれば「ギャップ萌え」などとなるのかもしれない……等々、一瞬でいろんな妄想が捗ってしまった。


いざ部屋に足を踏み入れると……俺の想像とは全く違う風景が目の前にあり、目が点になってしまった。


「な、何これ?」


「何って……失礼ね。私の部屋よ」


「いや、これはどうみてもガチなトレーニングルームでしょ? またジムに戻ってきたのかと一瞬勘違いしたよ」


確かに部屋の奥にはベッドや学習用の机があるが、二十畳ははるかに超えている部屋の中心にあるのはガチのトレーニングマシーンだった。


未惟奈は確かに普通の女子高生ではないが、それにしたってある程度は「女の子らしい」という要素はあるだろうと少しは期待していたが、その欠片もなかった。


まあ、未惟奈らしいと言えば未惟奈らしいが……。


ギャップ萌えを期待した、さっきの俺を返してくれ!


「翔? ちょっとこっち来て」


未惟奈は部屋の奥にあるベッドの方へ俺を導いた。


「ここ座って」


未惟奈は俺にベッドに座るように言う。


何? 何? ……未惟奈のベッドに座るとか簡単に言うなよ?


また俺はドキドキと心拍が上がるのを感じつつ未惟奈の顔を見ると、その視線はベッドの横にある「本棚」に注がれていた。


俺は未惟奈の視線につられて本棚に目をやる。


そして驚いた。


「え!? な、なんだこれ?」


部屋に入ってきたときに、やけに本棚が大きいという違和感は感じていた。


未惟奈が読書家というイメージは皆無だ。


ただセレブなお嬢様にありがちな、親が無理やり買い与えた図鑑やらの重たいハードカバーが読まれぬままスペースを稼いでいるだけだろうなんて勝手な想像をして、あまりそのことに頓着していなかった。


しかし、今その大きな本棚に入っている図書のタイトルを見て震えが来た。


棚の上二段を占領しているトレーニング関連書、運動生理学系の本はまだわかる。


ウィリス父が無理やり与えている可能性もあるからだ。


しかし、その下の段から最下段までびっしりと入っている書籍は、きっと未惟奈自身が揃えた本だ。


それは格闘技、武道関係の図書。


タイトルは空手、ボクシング、キックボクシングに留まらず、中国武術関連の図書のスペースが異様に多かった。


しかもそのタイトルは「大成拳」「形意拳」「大気拳」「意拳」という、俺が芹沢薫子から教授されている武術に関わる図書が圧倒的だった。


「こ、これはどういうことなんだ?」


「どうって……見たまんまよ」


「いや、未惟奈ってこういう努力はしないタイプだと思ってたけど」


「みんな誤解してるのよ」


「誤解?」


「私はね。周りが簡単に言うようにただ「天才」という訳ではなくて、みんなが想像できないくらい努力してるってことよ」


「ま、まさか……」


「本だけじゃないわよ。武道・格闘技系の動画だって手に入るものは全て手に入れるし、見れるものはどんなメディアサービスを使ったって見てる」


な、なんということか。


だとすれば、自分の部屋がトレーニングルームと化していることとも辻褄が合う。


つまり未惟奈は自分の部屋にいるときは、常に武道・格闘技のことしか考えていない。


「でもね。そんな努力してますなんて人にペラペラ言って自慢するもんでもないでしょ? それに私にとってはどんなスポーツでも極めようと思ったらこれくらいすると思うんだけど」


「い、いや、普通はここまでしないでしょ?」


そうか。


エドワード・ウィリスといい保科聡美といい、一流のアスリートは身体能力というフィジカルの才能が突出しているだけでなく、世界のトップを獲るためには世界級の努力をしているともいえる。


それを物心つく頃から見てきた未惟奈にしたら、やはりこれが当然ということになるのか。


「だからね……悔しかったの。伊波さんと翔の対戦を見て」


「ど、どうして?」


「私の試合はね。いつも私の努力によって手に入れた技を出す前に、フィジカルの才能だけで勝ってしまうことが多いでしょ?」


「全部が才能だけなんてありえないけど……まあ言いたいことは分かる」


俺がそう言うと、未惟奈は口をギュっと引き締めて少し頷いた。


「でも伊波さんと翔は、努力してやっと身に付けた技どうしで戦っているのが見ててよく分かった。私がやりたくても絶対できなかった対戦」


俺は何となくそんな気がしていたが、でも俺の想像以上に未惟奈の思い入れは大きかったということを、この部屋に来て思い知らされた。


「だから私もそういった戦いをしてみたかった。そしてそれを翔に見てほしかった」


「い、いやいつも練習ではそんな未惟奈を見てるぞ?」


「違うのよ。翔とは実力が違いすぎて空手の技だけで戦えないから、いつもフィジカルに頼っちゃうの。そうしないと翔の練習にもならないでしょ?」


「いや俺が未惟奈に教えてるんだから、俺の練習とかどうでもいいだろ?」


「いやよ、そんなの。私だって少しは翔の役に立ちたいもの。それに芹沢も言ってたでしょ? 翔が大成拳をマスターするためには私の感情の圧が大切だとか」


「ああ、言ってたけど……でもそれとこれとは」


俺の役に立ちたいとかサラッと言うなよ……。


なんだよ、今日の未惟奈は。


「芹沢に言われたからだけじゃなくて……翔との練習は、なんというか対等に渡り合いたいというか……」


未惟奈は少し照れたように下を向いた。


そうか、伊波は未惟奈の戦い方を見て「俺への告白だ」と言った。


それは恋愛云々という浮ついた話ではなく、未惟奈の「才能」「努力」という天才の家系に生まれたからこそ、その苦悩と戦い続ける未惟奈の心の叫びだったという訳か。


俺は不利を承知で必死に伊波に技で勝負した未惟奈の動きを思い出し、胸がギュっと痛くなるほどに心を揺さぶられ、迂闊にも涙腺が緩んでしまった。


「そ、そんな顔しないでよ」


「い、いやこんなカミングアウトされたらそうなるだろ」


「まあ……実は翔にはここを見てほしかったんだけど」


だから有無を言わさず俺を部屋に連れてきたのか。


「前にも言ったけど、私は翔みたいになりたいんだよ」


「ああ」


確かにそのことを以前にも聞いた。


でも今同じことを聞いてもその重みが違う。


「でも未惟奈は俺を少し買いかぶりすぎじゃないのか?」


「そんなわけないでしょ。いったいどれだけ一緒に練習してきたのよ。それこそみんなが言う「天才の私」がこれだけ一緒にいて実力を見誤る訳がないじゃない」


未惟奈はそう言って少しおどけて笑ってみせたが、無理して笑顔を作っているように見えた。


未惟奈が、俺にここまでぶっちゃけて部屋を見せて、努力していることをカミングアウトするということは……それくらい今日のことは精神的に堪えたのだと思う。


「それとさ、翔……」


「なに?」


「ちょっと立ってもらっていい?」


「ん?」


「確認したい技があるから、こっち来て」


未惟奈はそう言ってトレーニングマシンの横にあるフリースペースまで進んだ。


「技?」


「そう、さっきの翔と伊波さんの対戦で気になったの」


「あそう……どれ?」


俺がそう言うと……


「もちろんこれでしょ?」


と言いながら、未惟奈は全力で俺に「抱き着いて」しまった。


「え?! え!?」


俺はあまりに未惟奈の大胆な所作に、一瞬パニックになって狼狽えていると……。


「全く翔はこうすると隙だらけ」


そういって未惟奈は左足を俺に引っ掛けて、俺は片足を取られてバランスを崩し、そのまま背中から倒れこんでしまった。


そうだ。


さっきラストに伊波に仕掛けられた体落としだ。


俺を倒した未惟奈は俺に覆いかぶさったまま……起き上がろうとしない。


いやだからさ……。


女性がそう簡単に上半身を男に預けなさんな……その、なんだ、女性特有の柔らかい感覚が俺の上半身で確かに感じられて、俺は全身の血が逆流するほどにカーッと熱くなってしまった。


「フン、翔もだらしないわよね。女子に抱き着かれたくらいで動揺するなんて」


そう言って俺に馬乗りのまま上半身を上げた未惟奈は、随分と表情が明るくなっていた。


「だ、男子高校生の純情ぶりをなめるなよ? アレで動揺しない奴は決していない!」


未惟奈はフンとばかりにそっぽを向きながら、ようやく起き上がってくれた。


俺はお約束通り、やや腰を引きながら「その部分の隆起」を悟られないようさらりと立ち上がった。


武道家なのにこの所作がちょっと情けない。


「はあ……でもちょっとすっきりした」


未惟奈はそう言って俺の表情を読むような視線を向け、いじわるそうに口角を上げた。


俺はまだ心拍が収まっていないのに、その表情を見てさらに身体が熱くなってしまった。


いや、マジ女子こえ~よ。


こういう駆け引きには、ただただ白旗を上げるしかないな……。

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