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普通男子と天才少女の物語  作者: 鈴懸 嶺
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普通の少女

 俺は伊波紗弥子という珍客との邂逅で無駄に神経をすり減らしてした上に、この炎天下だ。頭から噴き出た汗が首から胸へと背中へとつたいワイシャツの中に入り込み不快感が半端なかった。


 なんといっても今日は夏休みが明けたばかりの初日。盛岡は9月なれば朝晩の気温は一気に下がり、あっという間に秋を迎えるが、それでも日中のうだるような暑さは真夏のそれと大差はない。


 俺がこの暑さで不快感MAXという様相でいるのに、隣を歩く伊波はいたって涼しい顔で未惟奈に会うという”目的”が叶うからなのかずっと微笑を崩さないでいた。


 伊波のプロフィールをそれほど詳しく知っている訳ではないが、毎年多くの時間をムエタイの本場タイで過ごしているらしく平均気温の高いタイに慣れた伊波はこれくらいの暑さはどうと言うこともないのかもしれない。


 さて、未惟奈の拍子抜けするほどの軽い”承諾”のおかげで、俺と伊波は未惟奈のいるジムに向かうことになった。それはつまり未惟奈の”自宅に向かう”ということになるのだが、俺はまんまと道案内を仰せつかってしまった。


 未惟奈の自宅、つまり父親である短距離走100m世界記録保持者のエドワード・ウィリスのトレーニングジムが彼女がトレーニングを行う専用ジムということであり、そこにはウィリス父が指導する世界のなだたるアスリートが肉体改造をするための施設でもある。


「翔さんは未惟奈さんのジムに行ったことあるんですか?」


「え?ないけど?なんで?」


「だって仲いいんでしょ?」


「いやいや、だから普通の友達だから」


 伊波は出合った時よりも言葉がフランクになっている。具体的にははやくもため口になっている。えてして格闘家は距離が詰めるのが早い(俺の偏見だが)。まあそれはいいんだが、さっきからことあるごとに俺と未惟奈の仲を詮索するような言動はいい加減やめてほしい。


 ウィリス父のトレーニングジムには俺と未惟奈が空手の稽古をする程度のスペースはきっとあるのだろう。下手をするとリングやサンドバッグやパンチングミットや……そんな格闘技ジムの設備もそろっている可能性だってある。しかし未惟奈は俺をそのジムに連れていくことをなぜか嫌って、俺と未惟奈の空手の練習はきまって市立体育館を使った。


 そういう意味では、未惟奈のいるジムに行くのはちょっと興味があった。


 伊波と並んで歩いてみると目線が俺にほぼ同じだということにちょっと驚いた。彼女の背が高いということには会った瞬間に気付いていたが、この感じだと伊波の身長は俺と同じ170cm程度はあるのだろうと思われた。高校生の女子生徒してはかなり高い。しかも引き締まった格闘家ならではの独特なプロポーションが伊波の見栄えを特別なものにしていた。


 だから俺は伊波という見栄えのする女子生徒と並んで下校する姿を知り合いに見られてしまうことに一抹の不安があった。……というよりも見られたくない具体的な一人の女性の顔が浮かんでいた。


 しかしこういう時に限ってそんな不安は現実ものとなってしまう。


 下校する学生は少なかったはずなのになぜか”彼女”に出会ってしまった。


「あれ?翔じゃない?」


 少し前から背後でかすかに聞こえていた足音の主が俺に気付き声をかけてきた。もちろんその声を聞いた瞬間に直ぐに誰かは分かった。


 俺はやや”ばつが悪い”という表情で振り返ると彼女と自然目が合った。


 その女性はすぐに顔を曇らせた。その表情は言外に”となりの女子生徒は誰?”さらには”なんで未惟奈ちゃんじゃないの?”という不満を分かりやすく俺に伝えていた。


 だから俺は聞かれるより先に応えた。


「彼女は未惟奈の関係者、キックボクシングのチャンピオン、伊波さん」


「ああ、そうなんだ」


「伊波紗弥子と言います。はじめまして」


「はじめまして神沼檸檬、翔の姉です」


「お、お姉さんですか!いや……なんかすごく美人」


「どうも有難う」


 檸檬は”美人ですね”と言われることには慣れているので、謙遜もせずにさらりとにっこり余裕でそう返した。


 知名度でいえば格闘技というマイナージャンルとはいえ、伊波の方が有名人であるはずなのに伊波は弟の俺が言うのもなんだが檸檬の完成された容姿にスタイルに圧倒されたのかドギマギと赤面してしまった。


「ちょっとこれから彼女と未惟奈のジムの寄っていくから、少し遅くなるかも」


「そう、分かった。未惟奈ちゃんによろしくね?」


「あ、ああ……言っとく」


 檸檬は安心したように、微笑を湛え足早に俺たちを追い抜いていってしまった。


 …… …… ……


「翔さん?檸檬さんて芸能人?」


「いや、そんな訳ないでしょ?」


「ええ!?だって綺麗すぎる!」


「そう?俺は毎日見てるからそんな感じはしないけど?」


「うわっ!なにその嫌味……まわりの男子からねたまれてるでしょ?」


「ああ、確かにね。でもそれも慣れたわ」


「そうか、そうだよね……あれだけ美人だと弟としてもお姉さんに惚れちゃうでしょ?」


 俺は伊波の言葉に一瞬”ドキリ”としたが、以前に俺の檸檬に対する気持ちを未惟奈に看破された時ほど深刻な問いじゃないことは分かっていたので、今回は冗談で返す余裕があった。


「そりゃね。重度のシスコンだったこともあったな」


 俺はわざとらしい笑顔を作ってそう答えた。


「あはは、だよね」


 そう笑う伊波は心底楽しそうに”コロコロ”と笑った顔は、とてもムエタイ王者とは思えないほどにかわいらしい今どきの少女の顔だった。


 そして俺のわざとらしい作り笑顔に気づかずにほっとした。




 俺と伊波は学校一番近いバス停からバスに乗った。バスの冷房が汗の不快感を一瞬で忘れさせてくれたのはありがたかった。


 20分程バスに揺られる間、檸檬のことがよほどインパクトあったのか伊波は根掘り葉掘り檸檬のことばかりを聞いてきた。


 そして、最後にはやはりこんなことを言われた。


「翔さんって檸檬さんと言い未惟奈さんといい”超”がつく美人さんばかり回りにいるから目が肥えてそう」


「そんなことないって」


「いや、メチャ嫌なんですど……私とか普通だから恥ずかしいです」


「なんで?伊波さんだって”天才美人ファイター”で有名じゃない」


「やめてよ!未惟奈さんや檸檬さんに比べたら私なんか」


「そうかな?」


「いやいや、翔さん、そんなお世辞はむしろ嫌味だからやめてよ」


 確かに前に未惟奈に俺は美人耐性があると指摘されたことがあった。それは解釈によっては回りに美人が多すぎると逆に容姿に関心がなくなるという説はあるかもな。だから誰もかれも美人に見えてしまうみたいな。


 それにしても伊波に会ってからずっとそうだが、この伊波というファイターは、格闘技の話は一切せずに話題の中心は恋愛とか容姿とか、そういうことばかりだ。つまり彼女は「天才ムエタイ少女」である前に普通の女の子だということがこの短い時間でもよくよく理解できた。


 だとするとこれから未惟奈に会う理由も案外「ファン心理」丸出しで「天才少女決着つけるぞ」という性質のものではないかもしれないと少しホッとしてた。


 しかし……


 それがそんな話ではないことをこの後思い知ることになる。


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