共通のバックボーン
今更ながら自分の無知さと意識の低さに自己嫌悪になってしまった。
「俺の空手は武道だから」
そんな言葉で俺は思考停止を起こしていたことを今更思い知らされた。
最近では未惟奈に”揶揄”されまくっているこのフレーズ。
それまでは”俺の空手は競技空手ではない”だから優れてるのだ”ということを暗に誇示するためのいわば”決めセリフ”であったし、このことこそ自分のアイデンティティーと思っていたわけだ。
ただ今、未惟奈、芹沢薫子、春埼須美さん、美影聡一というメンバーにあって、自分だけがなぜか自分のことが分からないという妙な状況に置かれている。
「翔くん?前にも説明したけど、もう一度”あなたのこと”を整理するよ?」
春崎さんは揶揄うようにそう言った。
”俺のこと”を他人に説明してもらうというのはなんとも恥ずかしい話だ。
しかしこうなってしまっては俺には首肯するしか選択肢はない。
「あなたの祖父”鵜飼貞夫”はフルコンタクト空手という競技空手を主戦場として活躍した選手よね?」
「ええ、祖父の輝かしい実績はむろん俺もよく知ってます」
「うん、そうね。ただその鵜飼貞夫のスタイルはおおよそフルコンタクト空手とは違っていた」
「祖父の小柄な体系でフルコンタクトからの無差別級で勝とうなんて当時の常識では無謀でしかない。”大柄”で”フィジカル”が絶対条件とされたのに祖父は157cm、58kgという平均的な一般男性比べても小さいですからね」
「そう……だからこそ鵜飼貞夫はパワーでなく”技”を極めることでそれに対抗した。そしてパワー至上主義とも考えられていた時代に小兵である鵜飼が大男をバッタバッタと倒す姿はスポーツではない”武道”という空手に幻想に抱かせるには十分すぎるインパクトだった」
そうなのだ。そしてその幻想を誰よりも抱くことになったのは、祖父に最も近い位置にいた俺という事になる。
”祖父の言われたことを言われるがままにやれば祖父のようになれる”
俺は小さい時から、そう信じて疑わなかった。
鵜飼貞夫という空手家への全幅の信頼をしていたと言えば聞こえがいいが……
「結局、翔はあまり頭を使ってこなかったんだよね、きっと」
やっぱり俺が今感じたことを未惟奈から強烈に指摘されてしまった。
「まあまあ、未惟奈ちゃん……師匠を信じてわき目も振らず一つのことを極めるということは大切なことよ?」
春崎さんはもっともらしいフォローを入れてくれた。
「でもそれで思考停止したらあるところで行き詰まるわよね」
未惟奈は追撃をやめない。俺はぐうの音も出なかった。今の俺は全くその通りになっている。
でも俺は未惟奈には負けないけどね!!
と苦し紛れに自分で自分を励ましてみるが……
なんだよ……ここは俺の公開処刑の場か!?
「でも考えようによっては”今”が神沼が次のステージに行くためのきっかけになるんじゃないのか?」
「なんだよ、美影、その”ステージ”って……また妙な世界にいっちゃいそうじゃないか?」
俺がそう茶化したが美影は全く表情を崩さず、俺から視線を動かさなかった。彼にとってはいたって真面目な話なんだろう。
そうだ確かに俺は今のまま満足していたら進歩はない。
「フフフ、少し話を戻しましょうか」
それから春崎さんは俺の”バックボーン”の話をまとめて話してくれた。
重要なポイントは、まず俺の祖父鵜飼貞夫は、フルコンタクト空手に中国武術である”大気拳”を取り入れていたこと。
これは俺が毎日欠かさずに「基礎鍛錬」としてやっている”立禅”と”這い”という動禅のとこを指す。
そして祖父が取り入れていたこの「大気拳」というのは「澤井健一」という日本人が創始した武術ということ。
澤井健一の名は空手界でも名の通った人物で知らない人はいない。
既に伝説化しているとも言っていい。むろん俺だって知っている。
「じゃあ、翔君……大成拳は知ってる?」
「ああ、前に春崎さんが教えてくれましたよね?大気拳の基になった中国武術でしょ?」」
「そうね」
まあ、中国の似たような流派の名前にあまり興味はないのだが……。
「翔君?いい、ここからが重要よ?」
「はい」
すでに春崎さんはかなりのハイテンションなっており一呼吸置いて……そして続けた。
「この大気拳のもとになった”大成拳”の創始者が”王向斉”ってこと!」
と春崎さんは”どや顔”でいってみたものの少なくとも俺と未惟奈は「ぽかん」と口を開けるしかない。
だって知らんでしょ?王向斉?
美影は”したり顔”でうんうんと頷いている。
やっぱおまえは知ってんだな……。
「だからまず鵜飼貞夫に大気拳を教えた澤井健一の師匠が王向斉ってことよ」
「はあ、そうなんですね」
俺はそう答えたものの武術家の名前なんかに何の感慨もない。
「あれ?そこは驚くところよ?」
「いや、知りませんよ……王?なんとか?」
「王向斉よ……覚えてね。じゃあ、翔君?今度は改めて芹沢薫子と伊波紗弥子の対戦を思い出して」
「えーと、あの一撃のことですよね?たしか形意拳の崩拳とかいう……」
「そうね。そして薫子が話してくれた”半歩崩拳、あまねく天下を打つ”という郭雲深という武術家の逸話」
「ええ、そんな話ありましたね」
そして春崎さんが続けた。
「その”半歩崩拳、あまねく天下を打つ”の郭雲深の高弟子がその王向斉なのよ」
「へ?すると大気拳の基になった大成拳という武術は形意拳から派生したってこと?つまり……」
「神沼君?さらに言えば私に武術をしこんだ祖母、李永秋が王向斉の最晩年の弟子なの」
そう芹沢が口を挟んだ。
「だから薫子のバックボーンは純粋な形意拳というよりは王向斉の大成拳なの」
「ええ!?そうなんですか?……ということは」
「そう、鵜飼貞夫が学んだ澤井健一の大気拳の技術と芹沢先生の技術は”王向斉”という人物で結び付いているってことよ」
「そういうことなのよ、神沼君……だから私はあなたと同じ構えをしたってこと」
芹沢は鋭い視線をぶらさずにそう言い切った。
色々な中国武術の流派や人物が登場して、マニアではない俺はまだ頭がこんがらがっているが……
ただポイントは一つしかない。
俺と芹沢薫子のバックボーンが同じということ。
そして俺の空手を武道たらしめている技術の根幹が中国武術の可能性がある!?
自己嫌悪からスタートした”俺の話”は、とんでもないところに着地してしまった。
しかし不思議だ。未惟奈をきっかけに知り合ったこの個性あふれるメンバーによってまるで想像すらしていなかった自分のことが明らかになりつつある。
「翔?なんか嬉しそうね?」
未惟奈は不敵な笑みをたたえ、そんなことを言った。
「そうだな、なんか久々だよ。こんなにワクワクするのは」
そう言った俺もきっと未惟奈と同じ表情をしていたと思う。




