武道と武術
小さなスマホの画面だから見逃した……
という言い訳もしようと思えばできる。
でもきっと俺がこの芹沢と伊波の対戦を埼玉ウルトラアリーナの会場で見ていたとしてもなぜ突然伊波が呻きながら前のめりに倒れたことの原因が分からなかったかもしれない。
俺には少なくともスマホの画面からでは芹沢が微動だにしていないのに伊波が勝手に具合が悪くなって倒れたようにも見えたのだから。
「春崎さん、ゴメン何が起きたか分からなった……もう一度、今の場面見せてもらっていいですか?」
「翔?情けないわね、今のが見えなかったの?」
「え?未惟奈は見えたのか?」
「当たり前でしょ?きっと美影君だって分かったはずよ」
「そ、そんなはずはないだろう?美影は武道に関しては素人だ……なあ、美影?」
「いや、おそらく今のは形意拳でいうところの崩拳だ。噂には聞いていたが、実際に見たのははじめてだ」
「お、おいおい!!美影?なんだよ、そのポンカン?」
「いや、崩拳と書いて”ほうけん”とは言わずポンケンと普通は読むことが多いらしい
「”普通は”とか言うな、そもそもそれ知ってるの自体、普通じゃないからな?」
「神沼、俺は武道のことはよく知らない。ただ中国武術でも気功を操る流派に関しては、俺の範疇だ」
「はあ?よ、よくわからないんだけど」
「フフフ、珍しいわね翔君が話についていけないなんて……薫子?ここからはあなたが説明してあげて?」
「気が進まないなあ、前に須美ちゃんにいったけど中国武術はあまり学んだことはペラペラ話さないんだよ」
「いいでしょ?いまさら。それに翔君には話しておいたほうがいいんじゃないの?だから彼に接近したんでしょ?」
「え?この女、やっぱりワザと翔に近づいたってこと?」
「おい、未惟奈、いいかげん”この女”って言い方やめろ……流石に失礼だろ」
「いいわよ、神沼君……まあ、そうね。だからって別に彼を誘惑しようとしている訳じゃないから未惟奈さんは安心してね?」
「そんなこと心配してないわよ……ホントむかつく、この女」
「だから未惟奈!!」
「はいはい……話を進めましょう」
見かねた春崎さんがようやく場の仲裁にはいった。
「じゃあ神沼君はあまり中国武術のことは詳しくなさそうなんで最初から話すわね」
「ええ、是非そうしてください」
チャイナドレスをいじられて動揺しまくっていた芹沢は”いつもの”冷静でクレバーは彼女に戻っていた。
「私がこの試合で使った技は、さっき美影君が言った通り」
「えっと、なんでしたっけ?形意拳の……」
「形意拳の崩拳……これは別段特別な技じゃなくて空手でいうところの正拳付き、ボクシングでいるところのボディーストレートってところかしら」
「いやいや、芹沢先生、ただの正拳付きを天才ムエタイ少女が捌けないわけないでしょ?なんか怪しげな秘密があるんでしょ?」
「翔?技なんて複雑である必要なんてないのよ、私が使う蹴りだってただの蹴りでしょ?なのになんで相手は簡単に倒れるの?」
俺から空手の指導を受けているはずの未惟奈が、素人を諭すように口を出してきた。
「いや、それは分かるけど、未惟奈の凄さは”技”ではなく、たぐいまれなるスピードだ。踏み込みの鋭さといってもいいか」
「そうよ、神沼君。私の崩拳もそれ」
「いやいや、ちょっと言いにくいんですが未惟奈のスピードは天才アスリートのDNAゆえの能力であって、芹沢先生はその……」
「フフフ、私は天才アスリートではないと……失礼ね」
そういいながらも芹沢はニコニコと嬉しそうだ。
「フン!どうせこの女も翔と同じセリフ言うんでしょ?」
未惟奈が顔をしかめて口をはさんだ。
「え?どういうことだ?未惟奈?」
「翔のキメセリフじゃない?忘れたの?”俺の技はスポーツじゃなくて武道だから”ってやつ」
未惟奈が俺の口真似してやって見せたので流石に恥ずかしくなった。
「べ、別にキメてるわけじゃないから!……でも、なるほど、そういうことなんですか?芹沢先生?」
「芹沢先生のは”武道”ではなく”武術”と言うべきだ」
芹沢が応えるまえに美影が言を挟んだ。
「おい、美影?おまえオカルトマニアだよな?なんでそんな武道、武術なんていちいち細かい違いにまで言及するんだよ」
「あははは、美影君、あなどれないなあ……彼はどこまで知ってるのかしらね?でもその通りよ。中国武道とは言わないでしょ?中国武術はあくまで殺しの術として発展してきた面があるから日本のように「道」という言葉はあまり使わないのよ」
「そんな言葉の話、どうでもいいだけど」
未惟奈がいちいち煩く口を出してくる。きっとこの話に興味はあるのだろう。
「美影君は知ってるのかしら”半歩崩拳、あまねく天下を打つ”という逸話」
「ええ、もちろん知ってますよ。敵に半歩進んで崩拳の一打を発すると敵は皆倒れたという形意拳の名手”郭雲深”ですね」
「郭雲深を知っているとは、さすが美影君」
もう美影に突っ込みを入れるのはあきらめて、俺は話を進めた。
「えっと、郭雲深なんて人の名前はまあいいんだけど、ようするにその技は半歩進めば相手は倒れると」
「そういうこと。だから未惟奈さんが鋭い踏み込みをするのとある意味近いわね。ただ私の場合、神沼君が言ったように天性の運動神経でやるわけではなく鍛錬によって培われた能力」
「後天的にもそんな踏み込みの速さを獲得できるものなんですか?」
「それを神沼君が言うの?」
芹沢は呆れ顔で言った。
「そうよ、翔。あんただったこの女と似たようなもんでしょ?」
「え?俺はそれほどじゃないと思うけど?」
「翔?あんたほんと鈍くて困る」
また未惟奈に”鈍い”と言われた。
「はあ、芹沢先生の技は俺に近いと」
「そう、翔君?そろそろ話が見えてきたでしょ?」
今まで芹沢に話の主導権を渡していた春埼さんが”にやり”と口角をあげ視線を俺に向けた。
「いや、全く見えないんですけど?」
「だから!!翔は鈍いんだよ!!」
また未惟奈に言われた……
でも分からないもんは分からない。
「神沼の技と芹沢先生の技は、共通点が多すぎる。つまり源流が同じということなのでは?」
「はあ?美影?俺と芹沢先生の技の源流が同じって……どういうことだ?」
「翔?すくなくとも中国武術を全く知らなくてもわかることを言うわよ?」
未惟奈はまるで子供を諭すような口調で説明を始めた。
「まず翔の変な構えが、この女と同じ。そして”気”とかいうものを技の中心に置いている……まあ、翔は自分が気を使っていることに気付いてはいないようだけど」
確かにそうだ。
その点に関しては俺もわかる。
「前に翔君に色々説明したはずなだけどなあ、覚えていない?」
春崎さんが少しあきれ顔でいう。
前に春埼さんから中国武術の情報をもらったときにあれこれと説明を受けた気がする。
「すいません、あのあんまり興味がわかなかったんで」
「ひどいわね、あの時は自分で教えてくれって電話までしてきたんでしょ?」
「自分から電話するとか……翔エロい」
「おい、電話するだけでエロい言うな!」
「はいはい、未惟奈ちゃんもいちいちそんな反応するのはウザいよ?フフフ……じゃあ、繰り返しになるけどそこは私から説明しましょうか」
そして以前に俺に説明してくれてた内容を、今回の話と絡めて春埼さんはしっかりと説明してくれた。
そして”鈍い俺も?”ようやく芹沢という女性武術家と”俺自身のこと”を知ることになる。




