単純な技の威力
俺が小さなスマホの画面から確認できたこと。
芹沢は練り足で一気に間合いを詰めてから、相手の懐に潜り込むように中段への突きを鳩尾に一発叩き込んだ。
ごくごく単純な一撃だ。
ムエタイ戦士は腹部への打撃への耐性が高いはずだ。
だから単純な一撃で、天才ムエタイ少女である伊波が簡単に沈むはずがない。
「芹沢さん、今のはなんですか? 何の変哲もない中段突きにみえましたけど」
俺は芹沢に問うたはずだが、なぜか武道素人の美影が口を開く。
「いや、おそらく今のは形意拳でいうところの崩拳だ。噂には聞いていたが、実際に見たのははじめてだ」
「お、おいおい!! 美影? なんだよ、そのポンカン?」
ただの中段突きにそんな変てこりんな名前を付けたって、急に何かが変わるわけではないはずだ。
中段突きは中段突きでしかない。
「いや、崩拳と書いて”ほうけん”とは言わずポンケンと普通は読むことが多いらしい」
「”普通は”とか言うな、そもそもそれ知ってるの自体、普通じゃないからな?」
「神沼、俺は武道のことはよく知らない。ただ中国武術でも気功を操る流派に関しては、俺の範疇だ」
「はあ? よ、よくわからないんだけど」
「フフフ、珍しいわね翔君が話についていけないなんて……薫子? ここからはあなたが説明してあげて?」
「前に須美ちゃんにいったけど中国武術はあまり学んだことは簡単に話せないんだよ」
芹沢は眉毛をへの字にして、少し困った顔をした。
「いいでしょ? いまさら。それに翔君には話しておいたほうがいいんじゃないの? だから彼に接近したんでしょ?」
「は?俺に意図的に接近したんですか?聞いてないですよ?」
なんだ?芹沢はまだ何か企んでいるのか?俺に接近?なぜだ?頭であれこれと想像を巡らそうとしたら未惟奈が先に口を開く。
「え? この女、ワザと翔に近づいたってこと?」
「未惟奈ちゃん、言い方!」
春崎さんが苦笑しながらフォローした。
「神沼君……まあ、そうね。その辺の事情は後で話すわ。で、未惟奈さん?別に彼を誘惑しようとしている訳じゃないから安心してね?」
未惟奈は彼女と対戦した時以上に、鋭い眼光を向けてしまっていて、まさに一触即発状態。
「はいはい……話を進めましょう」
見かねた春崎さんがようやく場の仲裁にはいった。
「神沼君はあまり中国武術のことは詳しくなさそうだから、最初から話すわね」
「ええ、是非そうしてください」
チャイナドレスをいじられて動揺しまくっていた芹沢は、すでに冷静でクレバーな彼女に戻っていた。
「私がこの試合で使った技は、さっき美影君が言った通り」
「えっと、なんでしたっけ? 形意拳の……」
「形意拳の崩拳……これはさっき神沼君が言った通り。別段特別な技じゃなくて空手でいうところの正拳突き、ボクシングでいうところのボディーストレートってところかしら」
「芹沢先生、ただの正拳突きで天才ムエタイ少女が沈むわけないでしょ? なんか怪しげな秘密があるんですか?」
俺は至極まっとうな質問を返した。するとこれに対して未惟奈が反応する。
「翔? 技なんて複雑である必要なんてないのよ。私が使う蹴りだってただの蹴りでしょ? なのになんで相手は簡単に倒れるの?」
俺から空手の指導を受けているはずの未惟奈が、素人を諭すように話すのが彼女らしい。
「いや、それは分かるけど、未惟奈の凄さは”技”ではなく、たぐいまれなるスピードだ。踏み込みの鋭さといってもいいか」
「そうよ、神沼君。私の崩拳もそれ」
「いやいや、ちょっと言いにくいんですが未惟奈のスピードは天才アスリートのDNAゆえの能力であって、芹沢先生はその……」
「フフフ、私は天才アスリートではないと……失礼ね」
そういいながらも芹沢はニコニコと嬉しそうだ。
「フン! どうせこの女も翔と同じセリフ言うんでしょ?」
未惟奈が顔をしかめて口をはさんだ。
「え? どういうことだ? 未惟奈?」
「翔の得意のセリフじゃない? 忘れたの?”俺の技はスポーツじゃなくて武道だから”ってやつ」
未惟奈が俺の口真似してやって見せたので流石に恥ずかしくなった。
「そういうことなんですか? 芹沢先生?」
「芹沢先生のは”武道”ではなく”武術”と言うべきだ」
芹沢が応えるまえにまたもや美影が言を挟んだ。
「おい、美影? おまえオカルトマニアだよな? なんでそんな武道、武術なんていちいち細かい違いにまで言及するんだよ」
「あははは、美影君、あなどれないなあ……彼はどこまで知ってるのかしらね? でもその通りよ。中国武道とは言わないでしょ? 中国武術はあくまで殺しの術として発展してきた面があるから日本のように「道」という言葉はあまり使わないのよ」
「そんな言葉の話、どうでもいいんだけど」
未惟奈がいちいち煩く口を出してくる。
「美影君は知ってるのかしら”半歩崩拳、あまねく天下を打つ”という逸話」
「ええ、もちろん知ってますよ。敵に半歩進んで崩拳の一打を発すると敵は皆倒れたという形意拳の名手”郭雲深”の逸話ですね」
「郭雲深を知っているとは、さすが美影君」
もう美影に突っ込みを入れるのはあきらめて、俺は話を進めた。
「えっと、人の名前はまあいいんだけど、ようするにその達人は半歩進めば相手は倒れると。その時使った技が崩拳である」
「そういうこと。だから未惟奈さんが鋭い踏み込みをするのと、ある意味近いわね。ただ私の場合、神沼君が言ったように天性の運動神経でやるわけではなく鍛錬によって培われた能力」
「後天的にもそんな踏み込みの速さを獲得できるものなんですか?」
「それを神沼君が言うの?」
芹沢は呆れ顔で言った。
「そうよ、翔。あんたのだってこの女と似たようなもんでしょ?」
「はあ、芹沢先生の技は俺に近いと……」
「そう、翔君? そろそろ話が見えてきたでしょ?」
今まで芹沢に話の主導権を渡していた春崎さんが”にやり”と口角をあげ視線を俺に向けた。
「いや、全く見えないんですけど?」
「だから!! 翔は鈍いんだよ!!」
また未惟奈に言われた……
でも分からないもんは分からない。
「神沼の技と芹沢先生の技は、源流が同じということですよね?」
「はあ? 美影? 俺と芹沢先生の技の源流が同じって……どういうことだ?」
「翔? 少なくとも中国武術を全く知らなくてもわかることを言うわよ?」
未惟奈はまるで子供を諭すような口調で説明を始めた。
「まず翔の変な構えが、この女と同じ。そして”気”とかいうものを技の中心に置いている……まあ、翔は自分が気を使っていることに気付いてはいないようだけど」
確かにそうだ。
その点に関しては俺もわかる。
「前に翔君に色々説明したはずなんだけどなあ、覚えていない?」
春崎さんが少しあきれ顔でいう。
前に春崎さんから中国武術の情報をもらったときにあれこれと説明を受けた気がする。
「すいません」
「ひどいわね、あの時は自分で教えてくれって電話までしてきたんでしょ?」
「自分から電話するとか……翔エロい」
「おい、電話するだけでエロい言うな!」
「はいはい、未惟奈ちゃんもいちいちそんな反応するのはウザいよ? フフフ……じゃあ、繰り返しになるけどそこは私から説明しましょうか」
そして以前に俺に説明してくれてた内容を、春崎さんはしっかりと説明してくれた。




