焦燥感
「あれ?翔?ずいぶん遅かったわね?」
家に着くと檸檬がすでに夕食の準備をしていた。
父親は単身赴任で、母親はナースをしており夜勤で夕方から出勤することが多い。
そんな時は、檸檬が夕食を作ってくれる。
「ああ、ちょっと竜馬先輩に付き合わされてね」
「未惟奈ちゃんも一緒だったんでしょ?」
「え!?な、なんで未惟奈の名前がいきなり出てくるんだよ?」
「へえ、ちゃんと動揺するんだ……」
「おいおい、揶揄うなよな?」
「フフフ」
檸檬は形のいい唇から少しだけ綺麗な歯をのぞかせてほほ笑んだ。
実の姉に恋心を抱いてしまった俺は、最近こんな檸檬の表情を見ると不安で心がさざ波を立てる。
以前はこんな不安を感じることはなかった。
姉弟という絶対的な関係性がある以上、檸檬はいつでも俺の隣にいる存在な訳だから「俺と檸檬が離れる」という意識が生まれるはずがない。
確かに檸檬のルックスは規格外で校内で最も注目さてる女子であることはよく知っている。一度、人気サッカー部員から告白されたときは少しだけ焦ったこともあるが今では男子からの告白に檸檬が応えるということは絶対ないという根拠のない確信みたいなものがあった。
それなのになぜ最近こんな焦燥感に苛まれるのか?
それはきっと「未惟奈」の存在だ……
「未惟奈ちゃんと進展あったでしょ?」
「え?なんで?」
「顔がニヤついてる」
「そんな訳ないだろ!」
俺はそう強く言ってみたものの、きっと檸檬の指摘が間違っていないことに俺は気づきはじめている。
恐らく俺は未惟奈に魅かれ始めていた。
檸檬以外の女性を好きになる可能性なんかあろうはずがないと思っていた俺からしてみると自分自身がこの事実をなかなか認めることができなかった。
でも今日の未惟奈の涙を見たときの俺の感情の動き。
たぶん間違いない。
俺にとって未惟奈は特別な存在になりつつある。
だから俺は檸檬を見て焦るのだ。
檸檬から離れるきっかけを俺自身が作っていることに。
檸檬がもちろん俺に恋愛感情を抱くなんてことは間違いなくゼロだ。
だから俺が檸檬に気持ちの上での操を立てる必要なんかまったくない。
むしろ俺に好きな娘ができれば檸檬は大喜びをするだろう。
どうやら俺の中で檸檬をずっと好きでいたい自分がいるらしい。
だからその「檸檬を好きでいたい自分」を脅かす未惟奈の存在に焦りを感じている。
自分のそんな気持ちに焦りを抱くなんて全くの一人相撲なのは分かっている。
しかし、現実的に檸檬から未惟奈の話をされるのがつらい。
勝手な話だが「檸檬にも好きな人でもできれば」なんて都合のいい想像までしてしまう。
”檸檬のそばにずっといて、檸檬は俺がまもる”
そんな今までの俺の想いは、子供じみた妄想だったのだろうか?
そんな子供の妄想を捨てる時期がようやく来たというのか?
「檸檬?俺のことはともかく、好きな人とかいないの?」
俺はずるいと思ってもそんな問いかけを檸檬にした。
「いるよ?知ってるでしょ?……IZUMI」
「ああ、またそれか」
IZUMIというのは檸檬が憧れているモデルらしく、毎日部屋にある彼女の写真を眺めてはにやけている。
芸能人の、しかも女性に憧れて満足してる檸檬もまだ恋愛に感しては俺以上に子供ってことかもしれない。
俺は自分の未惟奈への本心に迫ってしまえば、簡単に「答え」が出てしまうことに気付いている。
だから、檸檬を前にしている今、無理やりこのことを考えることをやめた。
そうだ、俺が今考えるべきことは海南高校空手部顧問の芹沢薫子だ。
今はそれに集中しよう。
俺は早速春埼さんにラインを送ろうとスマホを立ち上げメッセージを打ち込んだ。
『春埼さん?今日芹沢薫子にあったんだけど』
すると電光石火の速さで春埼さんからの着信音が響いた。
「ど!どういうこと!?」
あまりに大きな声が、まるでスピーカ設定にしてるほどの音量で室内に響き渡ってしまった。
その声に、檸檬が怪訝な顔をした。
「は、春埼さん声デカすぎです」
「ああ、ごめん……だって!」
そんな俺と春埼さんのやり取りを見た檸檬は、不機嫌な声を出した。
「未惟奈ちゃんじゃないよね?」
「ああ、……知り合いの人」
俺はいったんスマホから顔を離してしどろもどろでそう答えてしまった。
「誰なの?」
檸檬は怒るといつもそうなるように大きすぎる目で俺を睨めつけた。
俺はいたたまれなくなり、目をそらすしかなかった。
別に俺、悪いことしてないよね?
なんか滅茶苦茶後ろめたい気持ちになるっておかしくね?
ほんと最近、未惟奈といいこの春埼さんといい……そして芹沢薫子といい急にスペック高い女性が俺の周りに集まりすぎなんだけど……
もしかして一生の女性運使い果たしてないか?
大丈夫なのか?俺……
 




