次回におあずけ?
俺と未惟奈の間に漂ってしまった微妙な空気に割って入ってきたのは……
海南高校空手部顧問の芹沢薫子と俺との対戦を終えた有栖天牙だった。
忘れそうになっていたが……
俺と有栖との対戦を『仕組んだ』張本人である芹沢からは聞きたいことが山ほどあったのだ。
にもかかわらず……
「神沼君!凄いよ!未惟奈ちゃんを部活説明会で制したのはやっぱり偶然じゃなかったんだね!私感動しちゃった!」
芹沢はなんと、こんなにもいけしゃあしゃあとした、なんとも薄っぺらい称賛の言葉で切り出したのだった。
芹沢のセリフを聞いた俺は自然と芹沢には厳しい視線を向けた。
芹沢のあまりの面の皮の厚さに、俺はただただ苦虫を噛みつぶすように顔が歪んでいたに違いない。
そんな芹沢を見て未惟奈がまた”ぶちきれる”のではないかとひやひやしたが、未惟奈はまださっきの動揺から回復できていないらしく微妙な表情をしたままだった。
未惟奈がこんな感じだと少々調子が狂う……
俺は、芹沢にどう返したものかと考えあぐねていると、彼女の隣にいた有栖が先に口を開いた。
「神沼翔。チャンピオンの俺と互角に戦えるなんて、大したものだ」
……へ?
……はあ?
なぜに上からですか?有栖さま?
互角じゃなくて俺あんたのこと倒してんだけど?
「ラストは俺のケアレスミスで一発だけ貰ってしまったが、いい対戦だったと思うぞ」
有栖はそうまでのたまわった。
ネガティブな情報は一切受け取れない。
そんな強力なフィルターが有栖の脳にはきっと搭載されているのだろう。
そうでもなければあの自分の対戦を振り返って上からものを申せるなんてありえんだろう?
俺は言い返すのもばからしくなって、芹沢の言葉で歪んでいた顔がさらに歪んでしまったに違いない。
しかしそんな有栖の凄すぎるポジティブ思考に、俺の前で完全無欠の作り笑顔をしていた芹沢が顔をついにゆがめてしまった。
いや、ほんと有栖の子守は大変だと思うよ……芹沢先生!
俺は有栖の言動に激しく呆れてしまったものの、対戦の相手をしてもらったことへの礼だけは尽そうと一言だけ返した。
「対戦ありがとうございました。俺はまともに競技空手の選手と対戦したことがないので凄く勉強になりました。」
「そうか、よかったな。俺とお前は対戦した仲だ、学びたくなったらいつでも胸を貸そうじゃないか」
「ぶっ!!」
さすがのこんな有栖のとぼけまくった返しに思わず吹き出してしまったのは、俺でも芹沢でもなくさっきまで微妙な表情から抜けられないでいた未惟奈だった。
「めっちゃ受けるんだけど?アハハハ……どういう教育受けるとこんなおバカさんができるだろう?」
「お、おい!!バカとは言うな!!」
「だってバカなんだもん……ああ、おかしい」
確かに有栖はバカかもしれないが、そんな有栖が自分の微妙な気まずさを回避するきっかけを作ってくれたことに未惟奈は感謝せないかんと思うぞ?
流石の有栖も不快に思ったのか、未惟奈に対して口を開こうとしたところで芹沢が慌てて間に割って有栖を制した。
「今日は、ほんと北辰高校の皆さんにはいろいろご無理言ってしまって申し訳ございませんでした」
芹沢は学生に対しては少し丁寧すぎる口調で、また道場内にいる北辰高校の生徒全員に聞こえるほどに声のトーンを上げてそんな言葉を発した。
するとそんな芹沢の声にいち早く反応したのは、吉野竜馬先輩だった。
「いや、先生!!そんなこちらこそ素晴らしい経験をさせてもらって感謝してます!これに懲りずに定期的に合同練習したいっす!」
いやいや、もうこんなの勘弁してくれよ?しかも竜馬先輩はそんな体験してなくね?
一番の体験をしたのは間違いなく俺でしょ?
野田っていう巨漢とやって、さらには有栖とハンデ戦までやって……
あとはいい体験したと言えば未惟奈だな。
女子空手界では敵なしだった未惟奈に互角ともいえる勝負を見せた芹沢。
あれは未惟奈にとっても価値ある一戦だったに違いない。
芹沢のそんな言葉で「今日はこれでお開き」というムードが漂ってしまい、自然と海南高校の生徒と北辰高校の生徒は芹沢を中心に集まり始めていた。
俺は有栖との対戦で回りの生徒を見る余裕は全くなかったのだが、いまさら両校の生徒の表情が目に入ってきた。
まず意外に思ったのが、俺たちが最初にこの道場に入った時に海南高校、北辰高校すべの生徒が未惟奈に釘付けだったはずなのに、いまではその視線の先はすべて俺に向いていた。
そしてそんな視線の中で、北辰高校の生徒は竜馬先輩はじめ知った顔も多く、おおむね好意的な視線のように思いえた。
しかし海南高校の生徒の表情は様々だった。
中には俺に興味をもったのか遠目から笑顔を向けて”話しかけたい”オーラを出している生徒もいるようだったが、多くの生徒は困惑の表情をしていた。
それはそうだろう。
無敵と思っていた部長の有栖が、一見全く強くなさそうな?俺にKOされたのだ。
今まで自分が信じていた土台がグラグラする不安感を感じていないわけがない。
その中にあって、一人だけ何の精神的動揺がないのが本来なら一番落ち込んでなければならないはずの有栖本人というのがなんとも笑えない。
「芹沢先生?なんかもうとっとと退散する空気だしてますけど……俺は聞きたいことが山ほどあるんで」
俺はこのままだと策士の芹沢のペースに乗せられて、なんの情報もつかめずに取り逃がしてしまう気がしたのでちょっと強引だと思ったが芹沢の前にずいッと進み出て強い言を放った。
しかし芹沢は俺の言をサラリと受け流すような穏やかな微笑をたたえ、そして応えた。
「今日は時間も遅いし、その話はまた今度にしましょう」
「今度?今度はない可能性が高くないですか?」
俺は逃がすまいと間髪おかずにそう返した。
「フフフ……逃げないわよ。むしろ私があなたとじっくり話をしたいと思っているんだから」
「そ、そうなんですか?だったら具体的にいつ会うか決めませんか?」
”むしろ私がじっくり話をしたい”という聞き心地のいいセリフに一瞬ひるんだが、そんな手に乗ってはいけない。
俺はあえて不信感丸出しの表情を返したらすぐに芹沢は言葉を繋いだ。
「春埼須美は知ってる?」
「え!?春埼ってあの格闘技ライターの?」
「へえ知ってるんだ。フフフ流石だわね、彼女もうあたなに目をつけてるんだ」
「な、なんでここで春埼さんが出てくるんですか?」
「まあそれも含めて今度話しましょ?もちろん未惟奈さんも交えてね」
そう言って芹沢は挑戦的ともとれる視線を未惟奈に向けた。
未惟奈は俺と芹沢のやり取りをつまらなそうに聞いていたようだが、そんな不遜な表情を変えることなくまた声を発することすらなかった。
まあ未惟奈的にはその沈黙が”当然よ”ってな返事なんだろう。
芹沢と春埼さん……
なんとも不思議な組み合わせだが……
なんかいやな予感しかしないんだけど?
しかし、この芹沢が春埼須美という恐ろしくマニアな格闘ライターと面識があるということに好奇心が沸いたのも事実だった。
最悪、芹沢が逃げてもなんとか春埼さんに泣きついて芹沢を引きずりだすこともできるだろう。
だったら……
今日のところはこれでしまいにしておくか……




