芹沢先生?性格悪くないですか?
「芹沢えげつねえ」
俺は有栖との立ち合い早々に、そんな心の声が漏れた。
結局、芹沢の色香にまんまと嵌められたのだと、今さらながらに痛感していた。
俺が対戦前に想定していた、芹沢から有栖への指示はこうだ。
「いい、有栖くん?……とにかく最初は息が続くまで攻撃を止めないで!!」
芹沢と有栖が長く話しこんでいたのは見ていたが、要約すれば指示なんて”こんなもんだろう”と、たかをくくっていた。
「分かりました先生!!」
”芹沢先生大好き”な有栖が、顔を赤らめて興奮気味に頷く姿がありありと想像できすぎて、俺は思わず苦笑いが漏れちまったほどだ。
芹沢がどんなに策士だろうと、所詮、相手は”あの有栖”だ。
彼に、複雑な策を授けるはずがない。
「最初は息が続くまで攻撃を止めないで!!」
有栖が受け取れる情報キャパはせいぜいこの程度のはずだと踏んでいた。
それを裏付けるかのように、開始直後の有栖は猛烈な連続攻撃を仕掛けてきた。
しかし……その”攻撃のパターン”が俺の想定と大きく外れていたことに、俺は面食らった。
格闘技において、実力差を覆す要因――それが”相性”だ。
例えば、俺の祖父である鵜飼貞夫が優勝した当時、専門家の間ではこんなことが言われていたらしい。
「決勝の相手が黒澤だったら、鵜飼は勝てなかっただろう」
祖父の世代に、圧倒的な強さから”格闘マシーン”とまで形容され恐れられた黒澤浩樹という怪物がいた。
黒澤は300kgのウェイトを担ぐ驚異的なフィジカルを武器に、”パンチとローキック”という最小限の動作だけで頂点に君臨した空手家だ。
有栖の持ち味は、回転系の蹴りを中心とした華やかな”大技”――それが俺の持つ事前情報だった。
あの大柄な体格で、大技を間断なく放てるのは確かに非凡だ。
重量級でこれほど連続して大技を出せる選手は、日本中探しても有栖くらいのものだろう。
だが、そんな有栖が、この対戦では自らの武器であるはずの大技を一切封じてきた。
有栖はひたすら”パンチとローキックのみ”を繰り出してくる。
それはまさに、かつての黒澤浩樹を彷彿とさせる、効率に特化した削りのスタイルだった。
「芹沢えげつねえ」
あの童顔の女性教師を、これほど憎々しく思ったことはない。
有栖の十八番である”大技”は、当たれば一撃必殺だが、動作が大きく隙も多い。
当然ながら大技は”避けやすい”し、”そう簡単にはヒット”しない。
だから”捌きを得意とする俺”にとって、大技を振り回す相手はカモに等しい。
つまり、最高に”相性”がいいのだ。
有栖がいつも通りの攻撃を仕掛けてくるなら、たとえ三十秒間無抵抗でも、すべてを完璧に捌き切るのは造作もないと考えていた。
未惟奈に自信満々な態度を見せたのも、格好つけたかったわけではなく、純粋に事実としてそう確信していたからだ。
話を祖父の代に戻すが、最小限のモーションでパンチとローキックを連射する黒澤の攻撃は、捌きの名手と呼ばれた鵜飼ですら物理的に無力化できないと言われていた。
有栖が全盛期の黒澤ほどのパワーを持っているとは思えないが、それでも鵜飼貞夫の孫である俺にとって、その戦法は「最も相性が悪い」ことになる。
本当に芹沢がえげつないのは、俺のバックボーンに鵜飼貞夫がいることを見抜き、あえて”俺が最も嫌うスタイル”を有栖に徹底させたことだ。
単純なコンビネーションも、圧倒的なフィジカルから休みなく叩き込まれれば、完封するのは容易ではない。
有栖の連射砲は、さすがに凄まじい圧力があった。
これを三十秒間耐えろなんて、芹沢先生、性格が悪すぎませんか?
内心で毒づきながら、有栖というより芹沢という女を甘く見ていたことを、俺は心底から悔いた。
ほんと芹沢えげつねえ。
これ言うの、もう三回目だぞ。
直線的で予備動作の少ない攻撃を、すべて手足でブロックし続けるのは得策ではない。
俺は最小限のステップを使い、有栖の攻撃を完全に射程外で躱し続けた。
有栖の攻撃はことごとく空を切っていたが、はたから見れば俺が必死に逃げ回っているように映ったに違いない。
俺が三十秒間攻撃できない事情を知る芹沢や未惟奈は「仕方なし」と見るだろうが、事情を知らない他の部員や……特に有栖からすれば「逃げ回るだけの卑怯な奴」にしか見えないだろう。
幸い、有栖の攻撃パターンとスピードを完全に見切ったことで、精神的な余裕は十分にあった。
一方、渾身の攻撃が一向に掠りもしない有栖は、ついに芹沢の言いつけを守りきれず、焦りから自我を露呈させた。
突然、有栖が大きく体を半回転させ、スピンバックキックを放ってきた。
その動きは俺からすれば隙だらけで、背中を向けた瞬間にカウンターを叩き込みそうになったが、どうにか理性を総動員して、大きくバックステップで回避するに留めた。
「有栖くん、それはだめよ!」
芹沢が叫んだ。
必殺の一撃を空振りさせられた有栖は、芹沢の制止もあり、顔を歪めて悔しさを滲ませていた。
有栖のリーチが長いため、俺の回避も必然的に距離が大きくなり、一旦場外へ出たところで「待った」が掛かった。
ふと、近くにいた未惟奈と目が合った。
防戦一方の俺にイラついているのだろうと思ったが、その姿を見て俺は”ギョッ”とした。
確かに、未惟奈の表情は怒りに満ちていた。
だが、なぜかその美しくブルーに光る瞳からは、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていたのだ。
え? 未惟奈?
どうしたんだよ、おまえ?




