楽しみなファイトメイク
随分と長い時間、芹沢と有栖が話し込んでいる。
芹沢はこれから対戦する相手――つまり俺に対する戦略を、じっくり有栖に叩き込んでいるのだろうか。
だとすれば、目の前で自分の対策をあそこまで入念に練られてしまうのは、決して気分のいいものではない。
さっきの彼女の口ぶりからすれば、単に「有栖が勝つため」という単純な目論見ではないと思いたいが、ハンデ戦まで提案しておいて全力で俺を倒しに来るような、えげつない真似はしないはずだ。
……たぶん。
有栖は強い。
彼の戦い方を一言で表すなら、それは「日本人的ではない空手」だ。
日本の重量級選手は、さっき対戦した野田のように、多かれ少なかれフィジカルを最大限に活かし、ローキックとパンチを主軸としたパワーで相手を屈服させるタイプが多い。
だが有栖は、あの体格で軽快なフットワークを使い、さらにはバックスピン系の回転蹴りやかかと落としといった多彩な足技を得意としている。
ヨーロッパやブラジルなどの海外選手には珍しくないスタイルだが、日本人の、しかも高校生でこの動きを完遂できる選手は、俺の知る限り有栖しかいない。
さらに有栖は非常にクレバーに試合を組み立てる。
対戦相手に合わせて戦術的に試合をコントロールすることに長けているのだ。
なのに、今日初めて会話をした限りでは、失礼ながら彼がそこまで高度な戦術を自ら編み出せるタイプではないことは明らかだった。
では、いままで見せてきたあの卓越した戦術は何だったのか。
今なら分かる。
有栖の強さの背後に、あの芹沢薫子がいたのだと思えばすべて合点がいく。
芹沢薫子。
彼女は一体、何者なのか。
未惟奈と対戦した姿を目の当たりにした今でも、その実力はまだ底が見えない。
女子空手界では敵なしだったはずの未惟奈を相手にドロー。
それどころか、彼女に渾身の一撃を叩き込みさえした。
いや、本気のガチンコ勝負なら未惟奈が圧勝したのかもしれない。
だが芹沢は、ライトスパーリングでフェイスガード装着という土俵に、おそらく狙い通りに相手を引きずり込み、あの結果を引き出したのだ。
結果はドローでも、未惟奈はまるで操り人形のように彼女の術中にはまっていただけではないか――そんな想像すらしてしまう。
こんな気味の悪い芸当をやってのける芹沢の頭脳があったからこそ、有栖だけでなく海南高校が強豪として君臨できているのだろう。
* * *
さて、その芹沢は俺と有栖の対戦をどう「メイキング」するつもりなのだろうか。
果たして俺も未惟奈のように、彼女の思い通りの術にはめられるのか。
彼女からは『三十秒間は有栖の攻撃を受け続けろ』という「仕掛け」をすでに施されている。
つまり、彼女のメイキングはもう始まっているのだ。
どんな展開になるのか、それを楽しみにしている自分が不思議でならなかった。
俺は未惟奈と違って、これから始まる対戦の勝敗にはさして興味はない。
あの芹沢が、俺をも材料にして描こうとしている「ファイトメイク」そのものに興味があるのだ。
「翔? なにニヤニヤしてるのよ。気持ち悪いんだけど」
不意に声をかけられた。
「い、いや別に」
「ふん、どうせあの女のことで頭がいっぱいだったんでしょ?」
さすが未惟奈だ。
あまりに図星だったので、思わず気まずい反応をしてしまった。
しかし、未惟奈の彼氏でもない俺が、芹沢のことを考えただけでなぜこんな後ろめたさを感じなきゃならんのだ。
おかしいだろ。
「分かってんならいちいち聞くなよ」
俺は自分の動揺を追い払うように強気に言った。
「やらしい」
「は? なんだよそれ」
「フンッ!」
未惟奈は不貞腐れてそっぽを向いたが、すぐに思い直したように向き直った。
「勝てるんでしょうね?」
「勝つ? 誰に?」
「なに呑気なこと言ってんのよ! 大丈夫なの? これから誰と対戦するのよ!」
「ああ、有栖のことね。俺は未惟奈と違って、勝ち負けとか気にならないタイプだから」
「はあ!? 喧嘩売ってんの?」
未惟奈は眉間に皺を寄せ、露骨に不快そうな顔をした。
「あ、そうだ。あらかじめ未惟奈には言っておくけど」
俺は彼女の不機嫌をやり過ごすように話題を変えた。
「なによ」
「最初の三十秒間、俺は攻撃しないから」
「え? どういうこと?」
「芹沢とそう約束したんだ」
「約束した!? 意味わかんないんだけど!」
「いや、ほら……だって俺、強すぎるじゃん? だからハンデ的な……」
「バッカじゃないの!? なにおだてられて、まんまと相手の術中にはまってんのよ。だから男子ってバカなのよね。ちょっと可愛い女に言われるとコロッと騙されて」
「騙されちゃいねえよ」
「だって、三十秒も有栖の攻撃を貰い続けて、捌ききれると思ってんの?」
「いや、できるだろ」
「え? できるの?」
「……ちょっとは自分の師匠の実力を信用しろって」
「誰が師匠よ」
「俺! 俺。一応そうだろ?」
未惟奈はしばらくジト目で俺を見ていたが、やがて諦めたように一言呟いた。
「負けたら許さないから」
少しだけ不安げな色を見せた未惟奈に、俺は不敵な笑みを送った。
それは強がりでもなんでもなく、自然と湧き出たものだった。
芹沢と有栖の「軍議」が終わったようで、ようやく有栖が道場の中央へと進み出た。
それを見届け、俺もまた、ゆっくりと歩みを進めた。




