瓜二つ
芹沢薫子は"準備させて"と一旦"更衣室"へ入った。
未惟奈はかつて、今、隣にいる有栖という空手界の天才を秒殺した。
そして北辰高校の男子空手部全員が例え"部活説明会"というゆるい対戦パフォーマンスですら未惟奈と戦うことを敬遠したほどに彼女は"危険な存在"として全ての空手家に認識されている。
だから俺は未だに芹沢が未惟奈との対戦を例え渋々とは言え了解したことが、イマイチ腑に落ちてこない。
俺は、そんな自分の違和感を解消するべく有栖に芹沢のことを聞いてみることにした。
「有栖、芹沢先生のことなんだが……」
「なんだ?神沼、芹沢先生に興味があるのか?」
有栖が警戒の色を示した。もちろんこの警戒は彼女の空手の実力とかそう言った話ではなくて俺が芹沢という"女性"に興味を持ったのではないかと勘違いをしたに違いない。
ほんと、コイツ面倒くさいな。
俺は有栖のズレまくった返事を無視して話を進めることにした。
「彼女の空手のキャリアってどうなんだ?例えば試合の実績とか」
「なんだ、そう言う話か」
いやいや普通そう言う話だろ?
有栖はようやく警戒の色を解いた。
「芹沢先生は過去に大会に出たことはないらしい」
「え?!なんで?」
「なんでだって?……君だって同じだろう。驚くことはない」
「いやいや、自分で言うのもなんだが俺はかなり特殊な例だと思うぞ?」
「そうなのか?でも試合に出ていないとはいえ彼女の実力は本物だ」
「へえ、そう言う根拠は何だ?」
「君もバカなことを聞くな?毎日指導受けているんだから分るだろう」
バカにバカといわれたくないわ……でも、マジで一見か弱そうに見えるこの女性がこの大男たちを指導してるのか。
メチャ違和感あるんだが、事実なんだろう。
それにしても大会の実績もないのにこの空手強豪校の空手の顧問をしているのか。
……普通"あの見た目"でしかも実績もない女性を空手顧問に据えるか?
しかしそんな違和感よりも有栖がさりげなく指摘した「俺が大会に出ない理由と同じ」という可能性にこそ俺は引っ掛かった。
まあ、そんな可能性は薄いとは思うのだが、もしそうだとするならば彼女は競技空手側の人間ではなくて武道空手側の人間ということになる。
俺はますます芹沢薫子という空手家としてのイメージが訳が分らなくなってしまった。やっぱり理解がずれてる有栖に聞いたのが間違いだったか。
ただ、俺は芹沢という女性の実力を今少し警戒することにした。
まあ警戒すると言っても、未惟奈に俺から"注意しろよ!なんて曖昧過ぎるアドバイスなんて必要ないと思うが。
きっと未惟奈が芹沢との対戦を持ちかけた時点で、目聡すぎる彼女なら芹沢の実力の目星は付けているに違いない。
* * *
しばらくすると更衣室から一人の女性が出てきた。
その女性が芹沢と気付くまでに数秒かかってしまった。
それほどに芹沢薫子の"変貌"には驚かされた。
更衣室から出てきた彼女を見て、おそらくここにいる男子生徒が一様に息を呑んだ。
さっきまでは特徴のないウェアだった芹沢先生は、バッチリと空手着に着替え、長い黒髪は、ポニーテールに結いあげていた。
さらに彼女の"地味らしさ"を強調させていた黒ぶちの眼鏡を外し、その容姿が間違いのない美形であることが遠目にも分かった。
ここにいる多くの男子生徒の多くが"ギャップ萌え"でしびれてしまったに違いない。
未惟奈に言わせれば"美人耐性のある"俺ですら不覚にも"ドキリ"としてしまった。
隣に未惟奈がいれば、そんな俺の感情の変化を目聡く読みとって嫌味の一つでも言われたはずだが……
しかしその未惟奈は芹沢を迎え撃つためにすでに道場の中央に移動して鋭い眼光を芹沢に送っていた。
芹沢は右手に"フェイスガード"を抱えて未惟奈が待つ道場の中央へ向かった。
試合形式ではなく"ライトスパーリング"なので審判は置かない。
俺達、道場内にいる北辰高校、海南高校の空手部員は、二人を遠巻きにぐるりと囲うように座った。
俺の隣には顔を赤らめて興奮気味に芹沢の姿を目で追う有栖がいた。
いやいや、ホント分りやすいなおまえ。
まああんな姿を見ればその気持ちは分る気もするが……
芹沢はフェイスガードを顔に装着して、ゆっくりと未惟奈の前に歩み出た。
「では2分1ラウンドのライトスパーリングはじめます」
タイムキーパー役を買って出た有栖が、俺の隣でタイマーを片手に叫んだ。
いよいよ始まる。
未惟奈はいつも通りにアップライトに反身になった。両腕はガードらしいガードはとらない所謂"ノーガード"スタイルだ。
そして芹沢薫子が一瞬だけ、強い視線を俺に向けた。
"おや?なんだ?"
俺はその視線に違和感を持った。
しかし彼女が構えた姿を見て、俺はその視線の意味を知ることになった。
その構えとは……
型で見かけても、試合で見ることなんて決してない"後屈立ち"の"前羽の構え"。
つまり芹沢薫子がとった独特の構えは……。
俺の構えと瓜二つだったのだ。




