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普通男子と天才少女の物語  作者: 鈴懸 嶺
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競技と武道

 薬品の臭いが”ツン”と鼻をつく。


 目の前には養護教諭が気の毒そうに俺を見ていた。


 そこは白いパーテーションで隣のベッドとは視界が仕切られている。


 俺は本館の1F端にある保健室にいた。


 なんでこんなことになってしまったのか?


 理由は明白だ。


 ”ミスった”のだ。


 まったく余裕がなかった。


 もう少ししかっかり準備して”事に当たる”べきだった。


 目の前のベッドには、ウィリス未惟奈が横たわっている。


 …… …… ……


 ウィリス未惟奈は体育館の壇上から転げ落ち、頭部を激しく床に打ち付けてしまい脳震盪で意識を失ってしまった。


 彼女は直ぐにタンカで保険室まで運ばれたが、これから精密検査を受けるために病院に搬送されるという。


 この予想だにしない展開で騒然となった体育館を俺はなんとか逃れて、全力で走りウィリス未惟奈が運び込まれた保険室までようやく辿り着くことができた。


 教師、職員とマスコミが詰めかける保健室の入り口を持ち前の”影の薄さ”で切り抜けてなんとか保健室の中に入りこむことが出来た。


 ベッドの横には養護教諭らしい若い女性教師とそれをサポートしている数名の生徒がいた。


「あなた、誰なの?今は入ってこないでもらえるかしら?」


 俺の存在に気付いた養護教諭はそう言いながら厳しい視線を向けた。


「あの、突然すいません。俺さっき彼女と対戦した神沼(かける)と言います。か、彼女は大丈夫なんでしょうか?」


 俺が慌ててそう捲し立てると、養護教諭は俺を姿をじっくり観察して俺がまだ空手着を着ていることで未惟奈と対戦した相手と察知してくれ少し表情を緩めた。


「ああ、壇上にいた子?安心して、直ぐに意識戻ったから大したことないと思うわ。今は少し寝ているけど。」


「そ、そうなんですか?」


「ええ、この後病院に搬送して念のためCT検査だけはすることになると思うけど」


 俺は最悪の事態だけは回避できたことに少しだけ安堵の息をもらした。


 だとしても将来有望な天才アスリートである女性を体育館の壇上から転げ落とすような真似は許されることではない。


 俺は自己嫌悪で目眩がするほどだった。


 これだったらまだ俺が失神KOされた方がましだった。


 ウィリス未惟奈はきっと有栖天牙を一撃で葬った技を使ってくることは予想していた。彼女の対戦前の苛立ちの表情からも”こんな茶番は一瞬で終わらせる”という意思を容易に読み取ることができた。


 どんなに身体能力に差があろうと、初めから相手の手の内が分かっていれば対策の立てようがある。


 未惟奈の戦いは、ただただ身体能力、特に彼女の場合は”スピート”だけを頼りに一撃で相手を沈めるとういうのが必勝パターンと俺は予測していた。だから剣術の居合と同じで”初太刀”さえ躱すことさえできれば勝機があると踏んだ。


 ”初太刀”つまり彼女が出すであろう最初の上段への蹴りを交わした後に、相手の出方を待つ”


 これが最初に俺が想定していた作戦だった。しかし、そんな作戦は彼女が信じられないスピードで急接近した時点で、全てすっ飛んでしまった。


 彼女のスピートは俺の想像を遥かに超えていた。


 だから彼女のつま先が美しい青い瞳の真横から飛び出して来た瞬間、『俺の思考』とは無関係に『俺の身体』が勝手に反応して気付けば彼女の軸足の膝関節にカウンターの足刀蹴りをきれいに合わせてしまっていた。


 未惟奈はそれでなくとも光速のスピードで距離を詰めていたので軸足を刈られ、そのスピードは行き場をなくしゴロゴロと派手に横転した。


 勢いづいた彼女の身体はついに壇上から転げ落ちてしまったのだ。


 もっとやりようがあったはずだ。有栖天牙ほどではないにしても、やはり俺もウィリス未惟奈の身体能力を舐めていたのかもしれない。想定外のスピードに対して、俺は一切のコントロールを忘れ、未惟奈をここまで危険な状態に追い込んでしまった。


 …… …… ……


「誰?」


 俺がションボリと下を向きながらそんな自己嫌悪の内省をしていると、いつのまにか未惟奈が眠りから醒めて美しくブルーに光る瞳を俺に向けていた。


「あら、未惟奈さん目が醒めたのね?」


 俺の隣にいた養護教諭もそれに気付いて声をかけた。


「あ、さっきは、その……申し訳なかった。対戦した神沼翔です」


 俺は慌てて謝ったが、それを聞くやいなや未惟奈は眉間に皺を寄せ不機嫌な顔になった。


「神沼翔?……聞いたことないんだけど?」


「まあ、今日が初対面だからね。俺は君と違って普通の新入生だから」


「だから、そうじゃなくて。空手の大会であなたの名前を聞いたことないんだけど?」


「ああ、そういうことか。俺は大会とか出たことないから」


「はあ?なに言ってんの?」


「なにってそのままの意味だけど?」


「なんで?あなた空手初心者って訳じゃないんでしょ?」


「まあね、物心ついたころから続けてるけど……俺は大会で勝つための練習はしてきてないから」


 俺がそこまで言うと、俺の言ってることが理解できないようで、ますますウィリス未惟奈の表情が険しくなった。


 それはそうだろう。アスリート一家で育った彼女にしてみたら空手だってスポーツ競技と捉えるのは当然だ。


 でも空手は俺にとってスポーツでは断じてない。それがウィリス未惟奈と俺との決定的な違いだ。


「まあ、言っても理解できないと思うけど空手ってスポーツ競技という側面と武道という側面があって、俺のスタンスは後者ってこと」


「何それ?ぜんぜん意味分かんないんだけど?」


「まあ……そうかもね」


 俺は苦笑して応えた。


 俺はここで『武道談義』を開講する気もないし、したところで未惟奈に伝わるとも思えない。だからこの話は適当に流そうと思った。


 しかし未惟奈は追求をやめなかった。


「それって、さっき私を転がしたことと関係しているの?」


「そうかもね」


 俺は言葉こそ曖昧だが、それについては強い口調で断言した。


 俺は自分の実力を過大評価している訳では決してない。でも俺がもし空手を競技空手として学んでいたらきっと俺がどんなに大会で実績を残していたとしても有栖天牙と同じ目にあっていただろうと思う。


 それは土俵を「スポーツ」にしてしまえば天才アスリートにはどうあがいても勝てない。ただしその土俵を「武道」に引きづり込めば勝敗は未知数になる。


 これが俺の信念なのだが、全く持って論拠に欠ける思い込みに過ぎない。


 でも俺にとってはそうなのだ。


 これを未惟奈に説明しても決して納得はできないだろうし、この信念が正解である保証はどこにもない。


 ただの俺の思いこみなのだから。


 でも未惟奈の表情が少しだけ動いた。


 鋭く向けていた眼光の色が「不信感」から少しだけ「興味」に変わったような、そんな気がした。


「神沼翔」


「え?」


「私はウィリス未惟奈」


「ああ、知っているよ」


「そう。私も君の名前は覚えたよ」


「は?」


「よろしくね?」






「え?」




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