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普通男子と天才少女の物語  作者: 鈴懸 嶺
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牛の悶絶

 牛が悶絶するとおおよそこんな感じなんだろうか?


 見たことないけど。


 全国の新人戦で優勝した野田という大男が俺の足元でまさに"牛"のように悶絶している。


 海南高校はもちろんのこと吉野竜馬先輩を含む北辰高校空手部員の全てがこの"予想だにしていなかった"であろう光景に凍りついていた。


 体重差は推定60kg以上。


 パワーの差は圧倒的。


 傍から見れば「大人と子供」にしか見えない。


 だから普通に考えれば野田が負けるなんて誰もが1ミリも思っていなかったはずなのに、蓋を開けてみれば目の前にはその負けるはずがない野田が悶絶までしている。


 俺に肩入れする未惟奈ですらこのシーンは想定外だったようで、めずらしく顔が引きつっていた。


 悶絶する野田を残して、俺は道場の中央を離れ未惟奈と吉野先輩がいる場所まで戻った。


「翔?なにあれ?」


「なにって……見たまんまでしょ?」


「違うじゃない?」


「なにが?」


「私と組手する時と違うじゃない?!」


「そりゃそうだろ?俺より体重のない未惟奈と野田で同じ戦い方するかよ?」


「じゃあ、私の時はあえて"悶絶させない"ように戦っていたの?」


「う~ん、どうだろうか?」


「まさか私には手加減してたってこと?」


 未惟奈が不満の顔を顕わに、"突っかかって"きた。


「いやいや未惟奈のスピードに手加減なんかできるかよ!」


 ただ未惟奈の疑問は良く分かる。


 俺と未惟奈が戦う時のパターンは、未惟奈の電光石火の攻撃を"ギリギリ"かわして俺が未惟奈の軸足を刈るなり、トラップして動きを封じたり……つまり俺が未惟奈に渾身の一撃を打ちこむシーンは今までに一度もなかったのだ。


 それは手加減して"そうしなかった"訳ではなく、未惟奈のスピードでは"それができなかった"だけの話だ。


 未惟奈からすれば「転がされる」とか「封じられる」ということはあっても「悶絶させられる」ということはもちろん一切なかった。


 つまり未惟奈が俺の「威力」ということが意識されるチャンスは過去になかったのだ。


 だから俺がこの野田という男を悶絶させることができるだけの「破壊力」があったことに未惟奈は驚いたのだ。


 野田の半分程の体重しかない俺がなぜこんな巨漢を悶絶させることができたのか?


 …… …… ……


 野田との組手が始まる前、海南高校空手部の視線は一様に俺を揶揄するものだった。


 そんなリアクションを引き出している根拠は、海南高校空手部と比較して明らかに劣っている俺の「体格」だ。


 うすら笑いを浮かべて"あぁあ、かわいそうに"という表情で、きっと俺が"ボコボコ"にされることを皆が皆、確信に近い想いで想像していたに違いない。



 直接打撃系、所謂フルコンタクト空手の大柄なファイターは、ボディーに対するガードが甘い選手が多い。


 確かに腹に大量に蓄積されている"脂肪"という名の「プロテクター」は侮れない。


 並の攻撃ではこの「脂肪プロテクター」を突破することは実際にかなり難しいのだ。


 野田は"俺は絶対倒れない"……きっとそんな自信があったのだろう。


 いや、高校生クラスの試合で彼を倒せる相手は現実にいなかったに違いない。


 だから俺の感覚からすると信じられないくらいに"ガラ空きな"ボディーを晒してノロノロの無造作に距離を詰めてきた。


 しかも自信満々にだ。


 "効かされる"という体験がないというのは全く恐ろしいことだ。


 こんな隙だらけの酷い構えをしても、自分ではその問題点に全く気付けないのだから。



 俺と野田の戦いは細かく分析するまでもない。


 野田は、ただただ力任せに左右の連打を"何の工夫もなく"浴びせてきた。


 しかしそれは相撲の”張り手”を想像させる程にパワフルかつ強烈だった。


 これを凌ぎ切れずに負ける人間がいるのも分かる気がした。




 しかし俺は"なんの工夫もない"ただただ力任せなだけの攻撃なんて”もらう”訳がない。


 俺は野田が右のパンチを”引く”タイミングを狙った。


 人間は攻撃する時、呼吸を吐く。


 だから”吐いた息”を吸うのは攻撃の後、つまり攻撃を”引く”タイミングだ。


 人間の腹が最も弱く"無防備"になるのが”息を吸う”瞬間と言われる。


 だから俺は”そのタイミング”を狙った。


 そしてもう一つ。


 "レバー"、つまり右脇腹に”針を刺すように”ピンポイントで"三日月蹴り"を打ちこんだ。


 このレバーという場所は、どんなに分厚い脂肪を身に纏おうとあまり意味をなさない恐ろしい急所だ。そこへの攻撃はピンポイントであればある程いい。


 最近では、キックボクサーも好んで使うようになった三日月蹴りだが、足の甲ではなく中足で蹴るのが基本の伝統空手家にとっては、本来珍しい技でもなんでもない。


 この中足という"小さい面積"でピンポイントに腹を抉れるからこそ、見た目が地味でもこの蹴りでのKO率は高いのだ。




 野田はあっけなく沈んだ。




 つまり俺は"呼吸を合わせる"ということと精度の高いピンポイントのレバー攻撃"という2点で野田を悶絶させたのだ。


 フィジカルトレーニングを一切せずに物心ついた時から"技術"だけに拘ってきたんだからこれくらいの”技”は別に驚くことでもなんでもない。


 …… …… ……


 しんと静まり返ってしまった空手部員たちがようやく"我に返って"バタバタと騒ぎ始めた。


 悶絶する野田を介抱する者、俺を見ながらヒソヒソ話をする者、今見た光景を"信じられない"という表情とともに、"あぁでもない、こうでもない"と技術分析する者。


 そして有栖天牙がここに来てようやく"状況に気付いた"ようで、さっきの余裕の笑みとは打って変わって眉間に皺を寄せ俺に近づいて来た。


「神沼君、野田が油断して君のラッキーキックを貰ってしまったようだが……」


「はあ!?」


 俺は思わず大声を出してしまった。


 ラッキーキック?


「ばかじゃないの?」


 俺が言う前に未惟奈が不愉快MAXの表情でそう言い捨てた。


 俺も今回ばかりは未惟奈の非礼を制止しようとは思わなかった。



 今のシーンを運悪くラッキーヒットを貰ったなんて、どんだけ頭がお花畑なんだろうか?


「翔?もういいんじゃないの?」


 俺が思っていたことを未惟奈が代弁してくれた。


 そうだ、もうこんな馬鹿げたヤツらに付き合ってる暇はない。


「もういいかな?」


 俺も未惟奈の提案に乗っかる形でそう言った。



「なんだ、逃げるのか?」


 はは、そうきたか。


「いや、逃げるというか、やっても意味がないかなと」


 俺も少しだけオブラートに包んだが、ありったけの皮肉を込めてそう言った。




 そんなやり取りをしていると……


 ポツポツとゆっくり我々のところに近づいてくる女性の姿が目に入った。


 実は彼女のことは、この道場に入ってから少しだけ気になっていた。


 道場に入るなり海南高校の男子生徒と仲むつまじく談笑する女性の姿には男子の俺としては当然気付いていた。ただ彼女は空手着を着ている訳ではなかったのできっとマネージャーなんだろうと思っていた。


 マイナースポーツである空手にマネージャーいるとか、さすが空手強豪校だけのことはあると思ったものだ。


「有栖くん?ちょっといい?」


 その女性は、近づくなり有栖に声をかけた。


「あ、先生?なんですか?」


 え?先生?


 これが?どうみても地味な女子高生にしかみえないんだが!?


 そしてその女子高生マネージャー改め、海南高校空手部顧問?が有栖に言った。





「有栖君、彼には勝てないから止めておこう」


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