ベースとなるもの
「気功ってスポーツ格闘技に通用すると思いますか?」
この問いに春崎須美は目を一瞬光らせたが、即答することはせず代わり魅惑的な笑みを浮かべた。
そして俺のリアクションを愉しむかのように、問いを返した。
「それをあなたが聞くの?」
「え?どういう意味ですか?」
「だって、翔君が空手の試合に出れば……つまりスポーツ格闘技の世界で戦うことがあればそれで答えは出るでしょ?」
まるで"謎かけ"のような春崎さんの言葉に俺は全く意味が判らなくなってしまった。
「意味分からない?」
「ええ、残念ながら全く」
「ほらね?翔っていつもこうなのよ?何もかにも鈍すぎると思いませんか?春崎さん」
「おいおい?なに話に割り込んでんだよ?未惟奈は今ので分ったのかよ?」
「分るでしょ?普通?」
「ええ?分るのかよ!?」
思わず叫んでしまった俺にまた未惟奈は憐みの目を向けた。その表情を見て本当に俺は鈍すぎるのかと真剣に不安になってしまった。
いやいや違う、違う。
この女が鋭すぎるんだ。
未惟奈基準で物事を計ってしまうと自分のセルフイメージがどんどん下がってしまうから注意が必要だ。
「あははは……ホント君達仲いいよね?」
「そんなことはないです」
「そんなことはないです」
思わずお約束のように同じセリフで"ハモってしまった"のはきっと春崎さんの"思う壺"だったのだろう。
俺と未惟奈は春崎さんから生温かい目を向けられることになってしまった……
「翔君、少し言い方を変えようか。私はね……あなたと未惟奈ちゃんが体育館で対戦した結果こそ、君が質問した答えだと思ってるのよ?」
「俺と未惟奈?」
「スポーツ格闘技のまさに代表選手とも言えば未惟奈ちゃんを措いて他にいないでしょ?」
「まあ、そうでしょうね。スポーツということにおいて未惟奈以上の才能、環境を持ち合わせた空手家はいないでしょうね」
「だよね?だったらその真逆にいる空手家は?」
「えっと……誰だろう?」
「バ、バカじゃないの?翔、あんたでしょ!?」
「え?俺?……そうなんですか?」
「ほらほら、未惟奈ちゃんそんな興奮しないで……」
春崎さんにそう諌められつつも未惟奈はさらに続けた
「ほらね?春崎さん?この鈍さイラっとくるでしょ?」
「そうね。今のはちょっと未惟奈ちゃんに同意だな」
つ、ついに春崎さんにまであきれられてしまった……
「だから競技空手の代表選手である未惟奈に勝ったと言うことは気功が通用するってことじゃない?」
「俺は気功なんて使ってませんけど?」
「え?翔君には"その自覚"はないの?」
「はあ?自覚?俺が無自覚で気功を使ってるとでもいうんですか?」
「そうよ」
「いやいや、それは春崎さんの勘違いです」
春崎さんはまるで俺の言葉が間違っているかのように、呆れた顔をしながら続けた。
「私が見る限り、翔君の動きは鵜飼貞夫そのものよ」
「え?誰?」
未惟奈が首を突っ込んできた。未惟奈はさすがに鵜飼貞夫の名は知らないようだ。
「俺の祖父であり、俺に空手を教えた人」
「凄い空手家だよ?伝説の空手家って言ってもいいくらいにね」
「へえ……」
未惟奈は"ふんふん"と頷く動作をしていたが、それほど興味はないようだった。
「俺が祖父の空手そのものであることに気功がどう関係があると言うんですか?」
「身長157cm。体重58kg」
「なんですか?急に?」
「鵜飼貞夫が無差別級の全日本大会で優勝した時のデータ。この意味分かるよね?」
「ええ、それなら分ります。祖父は一般男性と比較しても小柄な体形です。その体格からは想像もできない戦歴の数々については誰よりも理解しているつもりです」
「そうよね。つまり体格やパワー、スピードとは違う次元で鵜飼貞夫は戦っていた。」
「スポーツとは違う次元?」
「そう、鵜飼貞夫の強さは競技空手、スポーツではない"何か"が彼の空手に存在していた。そうでなければあの強さは到底ありえない」
「それは身体能力やパワーではない"技だった"と俺は理解してきましたけど?」
「もちろんそれもあると思う。でもそれだけではあの体格差を埋められないと私は思う。それはボクシングの世界を俯瞰すれば体重差がどれだけ過酷なんてことはよく分かることよ?……まあ、翔君は興味ないだろうけど」
「まあ、ボクシングのことは分りませんが。じゃあ、"技以外"に祖父には何があったと言うんですか?」
「鵜飼貞夫の強さは、空手の技術とはべつに"ベースとなるもの"があった」
「技術とは別にベースとなるもの?」
「ああ、アレね。"俺の空手は武道だから"ってヤツ」
未惟奈が俺のモノマネ付きで言ったものだがから俺も思わず苦笑せざるを得なかったが、それでもきっと春崎さんもそのことを言ってるのだろう。
確かに祖父、鵜飼貞夫の空手は試合に出場していたものの、そのスタイルは競技空手とは言い難い。確かに俺はその"違い"を未惟奈が揶揄したように"武道"の一言で納得してきた。
「でも春崎さんの理屈で言うと、そのベースとやらが気功ってことになりそうですけど?その飛躍は無理ありませんか?」
「翔君は鵜飼貞夫が"大気拳の鍛錬法を重視していた"と言うことはもちろん知ってるわよね?」
「もちろんですよ。でもあれはあくまで補助訓練で祖父の空手のベースになるということとは違うと思いますが?」
「鵜飼貞夫か直接指導を受けた翔君に反論するのもおかしな話だけど、でもこれに関しては翔君の認識違いだと思う」
「え?俺の認識不足?」
何を言い出すんだ?俺は鵜飼貞夫から直接指導を受けているんだぞ?その俺が認識不足とかありえないだろう?
俺は露骨に不満な顔をしてしまったのを春崎は目聡く見抜いて言を繋いだ。
「確かに部外者の格闘技ライターが言うのは筋違いかもしれないけど、でも部外者だからこそ分ってることだってあると思うの」
春崎さんは、言葉は謙虚でもその主張は頑なに譲らないという強い意志を感じた。
「翔君?大気拳の元になった中国武術ってどういうものか知ってる?」
「いや、実はあまり興味がないから、詳しくは知りませんけど……」
「そう。澤井健一が日本で創設した"大気拳"。つまりあなたの鵜飼貞夫が重視した鍛錬法の元になった中国武術は"大成拳"とか呼ばれてる流派」
その名前は無論知っているのだがその名前の響き以上の情報は俺は持っていない。
俺が黙っていると春崎さんは続けた。
「この太成拳ってね。中国武術の中でかなり"異質な"武術なんだよね」
「異質?」
「そう。攻防技術をほとんど排除して気功の鍛錬に特化してしまった流派なの」
「はあ……」
俺は春崎さんが言おうとしていることがイマイチ理解できずに気のない返事をしてしまった。
「翔?私は分ったよ?」
「え?そうなの?」
「だからさ。翔の攻防技術は確かに空手だよ。それは私も何度も組手をやったから分る。でも翔の動きは根本が違う」
「根本?」
「だからいままで翔が"武道だから"と曖昧に言っていた部分の秘密がまさにいま春崎さんいった……なに?その"大気拳?"ってことでしょ?」
俺もようやく春崎さんと未惟奈が言うことが見えてきた。しかし俺が言葉を発する前に未惟奈がさらに話を続けた。
「競技空手にはきっと翔が"武道"といってる部分がすっぽり抜け落ちてる。もしかするとその一部を筋トレなどのパワートレーニングが補っているのかもしれない」
「フフ、さすが未惟奈ちゃんだね」
なんか俺だけおいてけぼりを食らってしまったようで、情けない限りだが……
確かに俺は筋トレをやっていない。それは必要性を感じていないからだ。もっと言うと弊害としか感じていない。
俺はその理由を"武道だから"の一言で曖昧に片づけていた。いや考えることをさぼっていたのか?
でもそれが鵜飼貞夫の空手のベースであり、その本質は大気拳という気功中心の武術であると?
空手に幼いころからなじんできた俺に、"実は君の本質は気功だ"などといきなり言われてもにわかに信じることはできないが、確かに"つじつま"は合っている。
でもそうなると、春崎さん以外にも俺の動きだけでこれに気付いたヤツがいた。
そう、超能力マニアの美影惣一だ。
美影のトンデモ話と思っていたことが、まさか春崎さんが言うこととほぼ同じ結論であることに俺は少なからず衝撃を受けてしまった。
「翔君、どう思う?」
「まだ、全面的に受け入れることはできませんけど……全て否定する訳にもいかないって感じですね」
「そうだよね。今はそれで十分じゃないかな?」
前向きに考えれば、少なくとも「ヒントを得ることはできた」のだろう。
肝心なのは俺がこの後、どうやって結論まで辿り着いて未惟奈の攻撃が当たらない理由を見つけるかってことだ。
まだまだ道のりは長そうだな……




