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普通男子と天才少女の物語  作者: 鈴懸 嶺
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 未惟奈に勝てることはないと分かっていた。

 でも試合を諦めていたという訳ではない。私はこの試合、勝敗とは全く違ったところにモチベーションがあったから。言い訳とかではない。


 そのモチベーションが間違っているとは知りつつも、その間違いに、私は抗うことが出来なかった


「彼」に見てほしかった。そんな間違ったモチベーション。


 彼とは……言うまでもない、この大会ではチャンプア・プラムックと対戦する高校生にして空手の達人。そしてウィリス未惟奈の恋人、神沼翔。


「この高校って、ウィリス未惟奈さんが通ってるんですよね?」


 かつて、私は突然未惟奈が通う高校を尋ねた。その時、たまたま校門前にいた彼にそう尋ねたのがはじめての出会いであった。


 初対面は、どこにでもいる目立たない男子高校生にしか見えなかった。

 しかし、驚いたことにそんな普通の男子高校生をウィリス未惟奈がなぜか執心していた。


 スパースターのウィリス未惟奈と普通すぎる男子高校生。あまりのミスマッチは気味が悪いほどだった。


 でも、ことの成り行きで彼と手合わせした瞬間に未惟奈が彼に執着する理由が分かった。神沼翔という普通すぎる外見の男子は、こと武道・格闘技においては未惟奈を凌ぐ異次元の存在であった。


 だから私の当初の目標はあっけなく変わってしまった。


 ウィリス未惟惟奈に勝つ……ではなく、神沼翔に認められたい。


 なぜ私はそんなにも神沼翔に惹かれてしまったのか?


 考えるまでもない、大げさではなく武道・格闘技経験者で彼程の才能に出会ってしまえば彼に尊敬の念を抱かない人はいない。また、異性である私は尊敬にとどまらずその先感情に突き進んでしまった。


 天才ムエタイ少女!!かつての私はそう囃し立てられた。

 ムエタイというのは日本ではごくごくマイナーなスポーツ。その狭い世界で私は実力よりもマスコット的に「天才少女」としてメディアに扱われた。

 それでも中学生で本場タイでプロの試合に出場し、ジュニアの年齢にも関わらず「シニア女子」で「世界最年少」でムエタイ世界チャンピオンになったことで「マスコット」から「実力そのもの」が本格的に評価されるようになった。


「世界に私より強い女子の選手はいるのだろうか?」


 私はこの時、勘違いを起こしていた。この言葉には「いるはずがない」と言う慢心を含んでいた。


 ただ、そんな伸び切った鼻はウィリス未惟奈という天才の前にあっさりと折られることになる。


 同じ「天才」でも彼女が「天才」として語られるレベルは、私とは全く次元が違っていた。


 一時は、未惟奈とのマッチメイクが実現する寸前にまでなった。しかし未惟奈と対戦するにはあまりに危険するぎるという「私の肉体的な危険を回避する」という理由で見送られた。経験したことのない屈辱だった。しかもこの時、私は無名の中国武術家である芹沢薫子と対戦することになるが、その試合で初の土をつけられた。これで私の「天才」という称号は地に落ちた。

 ただ今にして思えば、当時の私が未惟奈と対戦すれば瞬殺されてただろうし、また芹沢薫子にしても神沼翔に中国武術の手ほどきをする程の実力者であったならは、その敗戦は必然だったのだと思う。つまり結局当時の私は自分の未熟さを全く分かっていない井の中の蛙だったのだ。


 ただムエタイは私にとっては自身のアイデンティティの全てであることは確固たる事実だ。それを否定されることは自分を否定されることと同義だった。


 だからみじめにも足掻くしかなかった。そんな自分を納得させるために衝動的に未惟奈を尋ることになる。しかし事態は想像とは少し違う方向に動いた。私はこの日、自分が「天才である」という想い込みを完膚なきまでに否定された。そして、それをしたのは未惟奈ではなく、神沼翔だった。


 …… …… ……


「あなたがライバルって認めるわ」


 未惟奈の勝利が告げられた後、リングの中央で握手したときに彼女はそう言った。彼女らしい上からの物言いに苦笑もしたが、嬉しくもあった。


 そして彼女は続けた。


「翔のことが好きって話、私を揺さぶる為じゃなくて本当でしょ?」


 やっぱりバレていた。


「フフ、どうしてわかったの?」


「あなたの1Rの必死の表情かな。あなたは試合中、試合に勝ちたいだけであんな顔しない」


 はは、冷静によく見てるな。だったらその想いが未惟奈だけじゃなくて彼にも伝わったのだろうか……なんて都合の良い想像をした。


 …… …… ……


「よう、お疲れさん」


「ちょ、ちょっと!なんで敵方の控室を普通に訪ねてくるのよ?しかもあなた、、試合前でしょ?」


 彼はあまりにいつも通りに、まるで学校の友達のようなノリで試合後の私を訪ねてきた。でも悔しいけど少し嬉しくてドキッとした。


「身体は大丈夫なのか?」


「大丈夫じゃないわよ、誰のせいだと思っているの?」


 わざとらしくむくれてみせた。


「そりゃ自分から未惟奈の攻撃を貰いに行った自分の責任だろ?」


「あら?負けた選手を励ますために来たんじゃなくて、傷口に塩でも塗りに来たの?」


 無論彼の言うことが正しいが、そこまでの作戦を取らざるを得なかった私の心を分かってほしい気もした。


そうよ、あなたのせいなのよ。


「そんな卑屈になるなよ。全く。でも正直、伊波のこと少し見くびっていた。だって大げさでなく命がけだろ?あれは」


「そうよ。でもそれをするだけの価値があると思ったの。あなたに認められるために」


「また、そんな冗談。試合終わったんだからもう、そんな駆け引きやめろ?」


「だから未惟奈さんから鈍いっていわれるのよ?未惟奈さんは、私が翔さんを本当に好きだってこと、見抜いていたわよ」


「は!?……というかやっぱ未惟奈を揺さぶる作戦でしょ?」


「がっかりよ、まったく」


 ほんとがっかり。この鈍さ。


「おいおい、でも……」


「ええ、本気よ。だからって未惟奈さんからあなたを奪えるとは思っていないから安心して。今日、あなたが私の試合をちゃんと見てくれただけで私は満足。」


「……」


 彼は少し苦しそうに顔を歪めた。


「私の勝手な想いなんたから、そんな顔しなくていいのよ。……それより大丈夫なの?大事な試合前にこんなところに来て」


 私は沈んでしまった空気を変えるべく、話題を変えた。


「ああ、それについては……まあ、問題ないでしょう」


 彼はまるで期末テストの話をしているかのように軽々とそう返事をする。


「そんな適当な、判ってるの?相手はチャンプア・プラムックよ?」


「ああ、それについては、嫌と言うほど判ってるから……大丈夫だって」


「彼は、ほら……私のこと好きだから、その……私が好きな貴方を倒すモチベーションは相当なものなのよ。だから、気を付けてってこと」


 言いたくないことまで口から出てきてしまった。


「わかった、わかった、ちゃんと注意してるから安心しろ……ってか、伊波はムエタイチームなんだから俺の心配しちゃだめだろ?」


「まだ、そんな事をいうの?いい加減わかってよ。勝ってよ、絶対」


「はい?」


「私は翔を応援する。だから勝ってよねってことよ」


「あ、ああ、判った。」


「判ってない!私はムエタイは命の次に大事。でも翔は命よりも大事ってこと」


 興奮してそんなことまで口をついた。


「命よりって……大げさな」


「大げさじゃないんだよ」


「そ、そっか。有難う。その気持ち、受け取ったけど……その、返すことはできない」


「バカ!今更振って追い打ちかけんな!」


「ああ、悪い。でもそうだなでも、試合中伊波のことも想って戦うから」


 彼はそう言って控室を出ていった。


 私は彼の背中を見て涙がこぼれた。


 それは、今更感じる試合に負けた悔しさと、彼が私の思いを受け止めてくれた嬉しさと、でも彼が決して振り向いてくれない寂しさとが入り混じった涙だったに違いない。

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