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普通男子と天才少女の物語  作者: 鈴懸 嶺
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尊い風景

 競技における武道・格闘技はメンタルが重要なキーを握る場面は多くある。


 2R開始早々に未惟奈の三日月蹴りを受けてから、伊波の作戦はガラガラと音を立てて崩壊した。その崩壊の原因は張り詰めていた緊張の糸が、未惟奈の三日月蹴り一発でぷプツリと切れてしまったからだろう。伊波にしたら1Rは自身の命を懸けての作戦だった故に、精神的な疲弊は相当なものだったはずだ。


 だからその反動は大きかった。


 それを腹部に受けた未惟奈の蹴りで伊波のメンタルはついに限界値を超えた。これは1Rに感じた肉体的なダメージよりも大きかったのかもしれない。


 下がり続ける未惟奈という異例の1Rとは、打って変わり未惟奈は伊波を追い詰めた。


「未惟奈の勝ちで、試合あったな」


 会場の誰もがそう感じたに違いない。


 確かに、ここから伊波盛り返す姿が思い浮かばなかった。


 伊波はコーナーに詰められて、まさに俺の眼の前でついに膝をついた。これは特定の技が効いた訳ではく、ただただ肉体的、そして精神的疲労がピークとなったためだと思われた。


 俺は、膝をついた伊波の表情を咄嗟に見た。


 すると俺の視線に気づいたかのように伊波は顔を俺に向けた。


 そして何故か苦しそうにしていたその表情に笑みを浮かべ、まるで俺に何かを語り掛けるかのうように唇が動いた。


 俺はその言葉を聞き取れなかったが、どうやら至近距離の未惟奈には、聞こえたらしい。


 未惟奈が口角を吊り上げて、未惟奈は未惟奈で伊波に何かを語り掛けていた。


 伊波はライトコンタクトルールだから、膝を着いてもダウンをとられる訳ではない。主審の「待て」の合図で彼女はゆっくり立ち上がった。


 それから、少しリングのロープ際をゆっくり移動してり時間稼ぎをし、意図的に呼吸を整えているのが見て取れた。


 そして伊波を一度、天を仰ぎ「ふーっ」と息を吐いた。それから両腕を大きく3回ほどグルグルと回し、ファイティングポーズを取り直す。


 その仕草は「まだまだ、終わってないからね!これから反撃よ!」とでもいってるかのように、強くポジティブな動作に見えた。


 既に勝負があったように見えたがこんな強気な表情を見見せる伊波。


「もしかしてここから」盛り返すことができるのか?彼女の表情はそれを思わせるに十分だった。


 それからの伊波は「いつもの伊波」だった。


 ある時、急に俺に前に伊波が現れて、最初に未惟奈と対戦要求した時に見せた「あの伊波」だった。


 いやむしろその頃よりも動きはよく力強く洗練されてはいるが。


 あの時は、珍しく未惟奈のメンタルが不安定になり伊波が押し切った。


 しかし、ここではもうそうはならない。


 思えば伊波はかつてのように1Rから心理戦を仕掛けてきた。もしかすると「俺のことが好きだ」という話も未惟奈を揺さぶる「嘘」である可能性もある。


 1Rの「命を懸けた」伊波の覚悟は、未惟奈から動揺を引き出した。あの未惟奈を動揺させる伊波はやはり凄いと思う。


 身体能力では確かに未惟奈にアドヴァンテージはあるが、同じ高校生だ。もしかするとムエタイに掛けた物理的な時間と心の時間が勝る伊波は戦いの精神力では現時点で未惟奈に勝っていたのかもしれない。


 身体能力だけでもない、精神力だけでもない、トータルの人間力の勝負。


 今、目の前で繰り広げられる未惟奈と伊波の技の応酬を見るにつけ、それを強く感じた。最強に見えた未惟奈にも「穴」があったといことだ。


 落ち着きを取り戻した未惟奈は、ライトコンタクトルールを忠実に踏襲しながら、相手を倒さない配慮をしつつ、しかし目にも止まらず連続攻撃を伊波に放ち続けた。


 片や伊波は「どうせ未惟奈には当たらない」と開き直ったのか、ライトコンタクトルールらしからぬフルスイングで攻撃を出し続けた。


 そして……


 ゴングが高々となった。


 試合終了だ。


 選手両者が、主審を挟んでリング中央に集まった。


 これからジャッジだ。


 結果。


 主審を含めた4人が未惟奈の勝ちを主張した。つまりフルマークで未惟奈の圧勝。


「強打」という反則点を奪う捨て身な、それも相手が未惟奈だけに命がけの作戦にでた伊波。その伊波の覚悟が未惟奈を下がらせるというところまで追い込んだ1R。


 2Rは技の応酬。手数で言ったら五分だっただろう。


 しかし、未惟奈は『強打にならない』確実にコントロールされた攻撃を急所に的確に当て、反して伊波の攻撃は全てがフルスイングで力強いものだったが、未惟奈にはその攻撃はことごとくディフェンスされてしまった。2R、伊波は強い選手であるのは間違いがないが、やはり未惟奈には及ぼなかった。


 主審によって未惟奈の手が高々と上げられると、会場からはうねりの様な歓声と拍手が沸き起こった。未惟奈の顔には珍しく汗がしたたっている。いつもの試合では数秒決着だからこんな未惟奈の姿はおそらく会場の誰もが見たことがないはずだ。まあ俺は練習中しょっちゅう見ているだが。


 ポイントルールの試合の多くはエンターテイメントとしては勝敗が分かりにくい側面があって、プロの興行では敬遠される。この試合に関しては全くそんなことはなかった。


 そもそも未惟奈が2Rでもフルで戦う姿を見れること自体が、大げさではなく世界初であった。


 ジャッジの後、未惟奈と伊波はお互いを湛えあう様に両手で握手をした。そこで未惟奈と伊波に一言二言会話をしているように見えた。そしてお互いの顔から笑顔が見て取れた。


 そんな二人の様子こそ俺には凄く尊い風景に見えた。


 それを会場でも感じたらしい。


 その光景を見て会場が騒いだ。


 俺はセコンドからリングに上がって、未惟奈を迎えた。


 未惟奈は一目散に俺に向かって走ってくる。


「勝ったよ」


 未惟奈は、珍しく表情を崩して嬉しそうにそう言った。


「ああ、いい試合だったな」


 俺は、今までしてきたような未惟奈が一方的に圧倒する試合ではなかったからこそ、そう答えた。


「うん。そうだね」


 未惟奈もきっと同じ感想なのだろう。笑顔を崩さずそう言った。


 未惟奈が試合に勝って笑顔を見せるのはおそらくこれがはじめたなのだろうと思った。


 それだけ伊波紗弥子は未惟奈にとって好敵手になり得ていた。


 そんな素晴らしい試合に会場の歓声はいつまでも、いつまでもなりやまなかった。

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