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普通男子と天才少女の物語  作者: 鈴懸 嶺
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勝ち逃げ戦略

 照りつけると形容しても良いくらいに強烈な照明が二人のファイターを照りつけている。


 そこは、距離にすればほんの数メートルにすぎないのにこの場所とはまるで異世界に感じられた。


「薫子、どういうつもり?」


 有栖の構えを見て、春崎も驚いていた。むろん有栖が自分の意志でこのスタイルをとったとは思えない。


「有栖はボクシングジムにでも出稽古していたんですかね?」


 俺はボクシングのことはよく分からないが、パッと見る限りでは割と「ボクサースタイル」が様になっているように感じた。


「もしかして芹沢薫子がボクシング教えてたりして?」


「まさか!」


 春崎は速攻否定したが、少し未惟奈が違うことを言った。


「あれはボクシングじゃないでしょ?ちゃんと見なさいよ」


 有栖はサウスポーに構えて、確かにボクシングの右のジャブを小気味よく突いているように見えた。ただ、有栖の下半身に視線を移してそのステップを見て「あっ」と思った。


「……ったく、気付くの遅すぎでしょ?」


 俺的には「気付いた」ということ自体で「偉い」と思うのだが、未惟奈の察知スピードに勝てる訳がない。


 だって未惟奈は五感の入力があってから脳で結論を出すまでのスピード尋常ではないのだから。


 未惟奈の電光石火の攻撃もこの脳の高速処理も原因の一端を担っているのは間違いない。


 だから未惟奈に「鈍い」と言われること自体は全く不満はない。俺が鈍いのではなく未惟奈が速すぎるから。


 さてその有栖の構え。


 確かに前重心で一見ボクサーのように見えるが、その動きはボクサーのような軽快なフットワークではなく「低重心の送り足」で相手との距離をジリジリと測っていた。その動きは大成拳のそれであった。


「春崎さん、あれはやっぱ芹沢さんが仕込んだものだよ」


「ええ!?」


 春崎からみればボクシングにしかみえないはずだろうから、その驚きもさもありなんだ。


 また、それだけではない。有栖の動きは大筋大成拳だが、打ち出すパンチはボクシングの「パンチ」というよりは空手の「突き」に近かった。


 つまり、空手と太成拳のハイブリッド。


 有栖が右前のサウスポーに構えたのも、相手に一番近い前手を当てることを最優先とした作戦。前手は「ジャブ」で距離を測るというよりは最短の強い「突き」を顔面に叩き込むことを意図しているのは明白だった。


 観客の多くも有栖の動きに「度肝」を抜かれたと思う。いつものような華麗なステップを期待したマニアもいただろう。しかし、それを封印しての真逆のスタイル。


「翔くん、これだとローキックの餌食じゃない?」


 さすが春崎はボクサーがキックボクサーに負けてしまうパターンを知っている。


「それくらいは想定内よ」


 未惟奈は不機嫌そうに答えた。その不機嫌さの背景には、未惟奈をして半ば術中にはめられた芹沢との対戦を思い出しているのだろう。


 スタンスを広くとるボクサーが、ムエタイやキックボクサーにやられるのは概ね前足へのローキックを受けきれないパターンだ。


 有栖も前足重心である以上、まず「そこ」を狙われる。


 ワンロップは、アップライトに構えつつ近づきざま「予想通り」左右のローキックを放ってきた。


「おおーっ!!」


 と会場が湧いた。


 湧いた理由は、ワンロップのローキックがヒットしたのではなく、有栖がそのローキック「全て」にカウンターの右ストレートを返したのだ。


 その最後の一撃がタイミングよくワンロップの顎先に決まりワンロップがフラッシュダウンをして、みな驚いたのだ。ダメージはきっとないだろうが、ポイントは有栖に入る。


「へえ、やるもんだな」


 俺は正直な感想が漏れた。


 かつて有栖と対戦した時の戦い方とは別人だ。有栖の得意技はあくまでも多彩な蹴りだと思っていたが今回は右の突きだけで戦っている。


 芹沢が練りに練った「策」を準備していたのに対して、ワンロップは無策過ぎた。有栖が広いスタンスで構えて「この展開」になることは当然、未惟奈か言うように芹沢の想定内だった。


「さっき会ったときに芹沢さんはワンロップの打たれ強さしきりと気にしていた」


 そう言うと、春崎は眉間に皺を寄せて深刻に頷いた。


「ワンロップの打たれ強さは、私が過去に見たどの選手よりも凄いの。パンチならまだしも蹴りが顔に当たっても全く効いた素振りを見せない」


「え?蹴りも?」


 普通蹴りはパンチの三倍の威力と言われる。顔への攻撃、つまりハイキックは当たる確率は低いが当たれば倒れるか、垂れなくともふらつくぐらいのダメージは必ずある。


「芹沢さん、相手を倒して勝つという選択肢を捨てたのね。さっきのフラッシュダウンのような有効打を3R当て続けてポイントアウトして逃げ切るつもりじゃない?」


 未惟奈が言った。


 なるほど、きっとそうだろう。


「ってことは塩試合になるのか……こんなでかい大会で、それしたら会場からブーイングが出るんじゃないですか?」


 俺は春崎の顔を見て言った。そう言えば、今会場から感じる「ざわざわ」した空気は、それを予感して熱気がトーンダウンしているようにとも思える。


「確かに戦歴のプロ選手なら、観客が喜ぶ試合を目指す努力は必至でしょうね。簡単に言えばKO決着。この大会で観客に訴える試合が出来なければ次の試合のオファーに関わるでしょうからね。でも有栖くんはアマチュアの高校生。そこまでの荷を背負合わせる必要はないと思うの。きっと薫子もそう考えての作戦でしょう」


 春崎の言うことはもっともだ。そもそも高校生、しかもリスクのある成人ムエタイ選手との対戦だ。有栖が盛り上げ役を買って出る必要は全くない。


 だとすればワンロップはプロ選手としてそれに付き合わされることは嫌うのか……


「相変わらず芹沢さんって考えることがエゲつないわよね。ワンロップもこれじゃあ焦るでしょ」


 流石未惟奈もその結論に気付き苦笑いをしつつ言った。


 成る程、ワンロップには「勝つ」以外に「盛り上げる」という負荷がかかるのか。


 まあ、それでも……こんな単純攻撃が通用するの最初だけだ。


「次はお互いどうでるんでしょうね?」


 俺は芹沢がどう出るかが楽しみになってきた。


「これはこれで”玄人好み”の面白い試合になりそうね」


 春崎も俺と同じらしい。


 ニヤリと笑った春崎はとても魅力的な笑顔なのだが、その笑顔の理由が格闘技のマニアな話なのが、なんとも残念でもある。



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