怖くない
「大方、ノコノコと伊波紗弥子を訪ねて、彼女から告白されたってところかしら?」
俺が控室に戻るやいなや、そういったのは、眼光鋭く俺を睨みつける未惟奈だった。バイプ椅子に座った彼女は身体を入り口向けて腕組みをし、さらに足も投げ出すように高々と組んだいた。
わかり易いご機嫌斜めの図だ。
また、俺は場違いに自然に目に入った透き通るような白い大腿に目がくぎ付けになった。そこは健全な男子高校生!
未惟奈は舐めるように俺の顔色を伺うので未惟奈の足に釘付けだった俺の目は泳いでしまった。
「な、何だよ急に!」
「図星のようね」
未惟奈は呆れるような表情をしつつも、射るような視線を外さない。
「このタイミングで伊波紗弥子に会うなんて何考えてるの?」
未惟奈の語気は荒い。
まあそれについては、概ね未惟奈の言うことが正しいだろう。
ただ俺としてはチャンプアから感じた「気」の正体を知っておく必要があったので、決して対戦相手の女子に会いに行くことが主目的ではないのだ。
俺は未惟奈の前で、極力何事もなかったかのように、わざとらしく鼻歌もまじえそこにあったパイプ椅子に座わったのだが、未惟奈の眼はごまかせなかった。
いや、むしろそんな無理に誤魔化そうとしたからこそ、違和感を察知されに違いない。
それにしても、何で伊波紗弥子が俺に告白したことまで分かったの?こういうこところが恐ろしいんだよな、未惟奈は。もしかして覗き見してたのか?
「覗いてたわけじゃないからね」
未惟奈は俺の心の声を読んでいたかのように間髪入れれて言う。ほらほら、それだよ!
「まあ、それはそうだろう。未惟奈がコソコソ覗き見するタイプじゃないのは解ってるが……」
そうか、すでに伊波が、俺に好意があることを知ってたということなのか……
「私は翔のことは何でもお見通しなの」
未惟奈は俺の思考を先読みして、苛立ちながら、少し駄々っ子のように言った。
まあ、「彼氏の近くいる異性」となればむしろ関心のど真ん中。気付いて当然なのか?
そこまで考えて、納得した俺はなるほどな、とばかりに頭を数度縦に首肯し口を開いた。
「まあ、俺はそういうのに疎いからな」
自嘲気味に言った。
「はあ?翔は全てにおいて鈍いのよ」
電光石火のツッコミ。
苛立っていたのだから仕方ないのかもしれないが、酷い言われようだ。
まあ、そんな酷い言われようにはもう慣れたが、それにしてもツッコミが電光石火すぎるだろ?
…… …… …… …… …… ……
「別に返事が欲しくて言ってるわけじゃないからね?」
伊波は、俺に「好き」とカミングアウトしてから俺の言葉を遮るようにそういった。
俺も一瞬動揺したが、俺と未惟奈の関係を知る伊波がその間に入ってくるつもりはきっとないのは分かった。
それを敢えて伝えてきた伊波の本心は、残念ながら「鈍い」俺にはよく分からない。
ただチャンプアが俺に会うなり伊波の話をしてきた理由には、伊波の告白で合点がいった。
伊波に気があるチャンプアが、すでに「このこと」を知っていたか、もしかするとすでに伊波に振られたのか?!
チャンプアよ、ご愁傷さま。
「翔さんが、もう興味もなさそうだから言っても仕方ないかもしれないけど……」
伊波は少し寂しそうにそんな前振りをした。
「え?何の話?」
俺はこの話を引っ張られても困るのであえてとぼけてそう言った。
「今の話はしないから警戒しないでよ?」
「い、いや警戒してないけと」
俺は全力の作り笑顔をしたが、警戒してるのバレバレだ。
こういう時の、女性の洞察力って、ホント怖い……
「チャンプアは強いよ」
「知ってるよ。なんで今さら?」
伊波は鼻から息を吐きながら明らかに「呆れた」という顔。
「さっきも言ったけど、だってあなたを見てると、全然強敵を前にしてる感じがしないんだもの」
「いやいや、これでも強敵だと思ってるからこそメチャクチャ対策してきてるんだぜ?チャンプアの手に入る映像は全部チェックしたし、やりたくもないフィジカルトレーニングだってエドワード・ウィリス付きっきりやってきたわけだし」
俺はなぜか、責められてるようになって言い訳がましくまくし立てた。自分でも薄々伊波の「指摘」には思うことがあるのかもしれない。
「怖くないの?翔さんが想像するより、ずっと強いのよ?」
そう言われて、改めて考えてみる。
しかしどんなに「強い」と言われても困ったことに?怖くはないのだ。
その思いが顔にも出てしまったのだろう、伊波は続けた。
「まあ、聞くまでもないわよね。でもなんで怖くないの?周りの評判はともかく、今日直接チャンプアに会ってみて、あなたなら実際の彼の実力は肌で感じたでしょ?」
「ああ、実力を過小評価していることはたぶんないと思う。ただ俺の場合、こと武道、格闘技に関しては怖いと思った経験が過去に一度もないんだよな」
事実だからそう答えるしかない。
「まあ、平たく言えばさっき伊波に指摘されたように鈍いの一言で説明つくんじゃないか?」
「そんな訳ないでしょ」
伊波はついには少し怒った顔でで言い捨てた。
「物心ついたときからムエタイをやっている私でもチャンプアの実力に関しては底は見えない。得体がしれないの。ただただ怖い。でも底が見えなくて得体が知れないのは……翔さんも同じ」
「いやいや、俺はそういうキャラでじゃないから」
「キャラの話じゃないわよ」
伊波は苛立ちを見せながら、ついにはため息を「はぁ〜」と吐きながら諦めたように続けた。
「でもあなたは底は知れないけど、チャンプアのような怖さはない」
「はぁ」
伊波が、思い詰めたように言うもんだから、こんどは俺が何とリアクションいていいのか分からすまぬけな返事をした。
自分のことだから、客観的にはわからないが、少なくともそんなに難しく考える話ではないように思うのだ。
「怖さを周りに振りまくオーラはない自覚はあるけどな……でもそれって、格闘技の強さ云々よりも性格的な話とか、顔とか?そういった話じゃないの?」
「底が知れないほど強い。対峙したときに感じる絶望感は悪魔の前に立ってるかのよう。でも一度、戦いが終われば、ただの高校生。そんなギャップ見せられたら、格闘技してる女子は誰でも好きになるって話よ」
伊波はさっきよりも少しだけ熱を込めて、でも少しだけ寂しくそう言った。
え?またそっちの話!?
チャンプアが強いよ、という話だと思って油断したよ、全く……。
「もう!この話をするつもりじゃないんだから……」
伊波も言い訳がましく慌てた。
「でも、私はムエタイチームだけど、本音は翔さんに勝ってほしいの」
「おいおい、なんてこと言うんだよ?それはダメだろ?」
さすがの俺も、顔が火照って照れ隠しに視線を伊波から外して興味もない、控室にあるポスターに目をやる。
「だから」
だから?
「勝ってね」
俺のツッコミには反応せずに、そう言って伊波は俺費背を向けた。
結局、伊波は何が言いたかったんだ?その理由が分からぬまま……それでも
俺は伊波の所作から、もう控室を後にするべきだと察した。
俺は「じゃあ」とだけ言って部屋をあとにした。
「じゃあね」と返した伊波は最後まで振り返ることはなかった。
このタイミングで想像だにしないカミングアウト。
チャンプアが強いとかそんな話よりも、余程動揺させられてしまった。
案内、俺を動揺させるための功名な罠だったりするのか?なんてことが頭をよぎったが、伊波の寂しそうな顔を思い出して「流石にそれはないよな」とひとりごちた。




