珍客
久しくエタっておりました。ラストに向けてがんばります!
俺と未惟奈は、リングチェックのためにアリーナにおもむいた。
開演前の会場は、メディアで見るきらびやかな雰囲気とは全く違っていた。薄暗く、ただただ広々とした異様な空間は不気味にすら感じた。
開演前だからむろん観客はいない。会場には選手と、その選手の関係者と思しき人たちがちらほらといて、シャドーボクシングをする人、ミットを打つ人、対人で技の確認をする人、なんとなく手持ち無沙汰げにうろうろしている人。
俺は空手家だから、「リング」というものとは縁遠かった。だから今回が初めてのリングインだ。
故に「リングチェック」と言われても要領が分からない。
とりあえず未惟奈と一緒にリングに入った。リングでの試合経験のある美惟奈は慣れた感じで動き回っている。
華麗なステップを踏み、高く飛び上がってはドンッ」とリングのマットを踏みつけるように着地する。そんな動作ですら未惟奈がやると会場にいる皆が注目した。やはり未惟奈の華麗な動き、またその存在感はこの会場においても圧倒的だった。俺もすっかり慣れて忘れていたが、その所作は世界レベルのアスリートだけがなせる特別なものなのだ。
格闘家なら誰もが憧れるという埼玉スペシャルアリーナのリング。ただ俺にとっては「ここ」に立つこと自体に、なんの感慨もない。
はじめは春崎須美に、そして高野CEOに背中を押され……ただ最後は未惟奈の思いを受けて「ここ」に立つことを決めた。だから、幸いにも俺の中に本来であればどの選手でも感じる「大舞台で」という「プレッシャー」という名の雑音は皆無だった。
俺は試しに自分がいつもやるように広いスタンスで立ち前後左右にステップを踏んでみた。
なるほど、体育館とは足から受け取る弾性は随分と違うことにすぐに気づいだ。「これは少し慣れておく必要があるな」と思い、俺はあらためてリングの隅から中央に至るすべての箇所をくまなく自分のやり方で探ってみた。
「翔、ずいぶん慎重じゃない?」
そんな俺の姿を見た未惟奈が声を揶揄顔でかけできた。
「ああ、俺の場合、ステップが重要だからな。少しだけ慣れる必要があると思って」
自分の実力を誇示するわけではないが、俺の技はきっとコンマ数ミリ単位で身体の形を瞬間、瞬間に作り込んでいる。未惟奈の場合、ずば抜けたセンスでその時その時の「最善」を「無意識に」作り出せるからきっとこんな細かい調整なんて必要ないのだろうが、俺の場合は違う。
長い時間をかけて作り込んだものだからこそ、それを未惟奈のように「無意識に」ではなく「有意識」で修正してあげる必要があるのだ。
「ふ〜ん、なるほどね」
鋭い未惟奈は俺がそう思っていることを理解したようで目を細めて嬉しそうにそういった。
相変わらず鋭すぎる怖い女だ。
さて、一通り「リングチェック」が終わったころ、関係者しかいないはずの会場に一人、よく知る意外な人物がいるのに気付いて驚いた。
「おいおい、ここで何やってんだよ?」
俺はその男に近づいてそう問うた。
かなりの驚きをもってそう俺は尋ねたはずだが、その男は顔色を全く変えず、俺の問いかけを華麗すぎるほどにスルーしつつ口を開いた。
「神沼の対戦相手は、ただのムエタイ選手とは違うんだな」
なぜこの男がこの会場にきているのか?という最大の謎が気にならなくもない。だってここは埼玉県だぞ?岩手からわざわざ来た理由はなんなんだよ?
ただ……確かに「こいつ」がチャンプアを「ただのムエタイ選手とは違う」と見抜いたことはこころあたりがありすぎる。
この男は、初めて未惟奈と対戦した「体育館」で未惟奈が放ったであろう異様な「圧」に気付いていたのだ。何故かこのオカルトマニアの美影壮一には、それがわかるらしい。
また意外なほどに物知りなこの男は「ムエタイ」がどのような格闘技だということもおそらくは知っていているようだった。
「まあ、そうだな。確かにチャンプアはただのムエタイ戦士ではない」
なぜ美影がここにいるのか??という最大の謎をさらにスルーした俺は、素直に美影の質問にそう答えた。
「楽しみだな」
美影が珍しく表情を崩して「嬉しそうに」そんなことを言った。
「美影が格闘技の試合を楽しみにしてるとは意外だな?」
「興味がないならわざわざこの会場に来てはいない。ただ格闘技を楽しみにというよりは、神沼の試合が楽しみだという意味だ」
美影は大まじめに「サラッ」とそんなこと言う。……ってことは美影がここにいる理由は俺の試合を「楽しみにして」来たというのか?
「翔?よかったじゃない?数少ないお友達が応援に来てくれて」
俺が美影といるに気付いた美惟奈はつかつかと小走りで近づきながら、嬉しそうにそんなことを言う。
これが女子生徒が応援に来ていたら、独占欲の強い未惟奈はきっと同じ反応ではないなんて想像したらなんとも渋い苦笑いになってしまった。
視線を未惟奈に移した美影は、彼女を見たまま口を開いた
「あのタイ人は神沼に似てるな」
無論、俺とチャンプアのルックスが似てるなんてことを言っているのではない。
美影という男は武道・格闘技は素人だが「気を読む能力」はなぜか高い。もしかすると「気の扱い」にしては達人の域にいる芹沢薫子に肉薄しているようにも感じることすらある。それも独学というのだらかなんともこの男の底が知れない。
となれば。この言動も素人発言とあしざまに無視できない。
「どうしてそう感じた?」
純粋にファイトスタイルを比較すれば、専門家ですらムエタイと俺の伝統的とも言えるカラテスタイルとの共通点を見つけるのは難しい。
だから格闘技の「技術」においては全くの素人であるはずの美影が「似ている」と指摘することが格闘技の「技術」のことであるはずがない。
「美影、詳しく話してもらおうか」
俺はニヤリと笑いながらそう美影を促した。




