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普通男子と天才少女の物語  作者: 鈴懸 嶺
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伝えたかったこと

「翔、ちょっとそこへ立ってみろ」


 祖父は立ち上がるなり唐突にそう言った。


 俺は言われた通りにテーブルとテーブルの間の小さなスペースに立った。


「そこでいつも通り構えてみろ」


 言うと祖父は、俺と距離をとる為に少し後ずさりした。


 距離にして3メートルはあろうか。空手の組手をするには遠すぎる間合いだ。俺はいつものように少し広めの後屈立ちで構えたが、祖父は足を肩幅に立ったままことさら構えようとはしなかった。


 俺の視線は祖父に向けられていたが、緊張の面持ちの芹沢といつになく真剣な面持ちで鋭い視線を俺に向けている未惟奈がその視界の端に見て取れた。


 俺は久しぶりに祖父から感じるプレッシャーに全身がヒリヒリした。俺はかつては、何度となく祖父と対峙してきたが一度たりともその対戦で俺が優位になることはなかった。


 だからその「負けの記憶」も相まって、俺の身体は一瞬で極度の緊張状態に追い込まれる。ただそれでも決して弱気にはならない。これがいつものことだったから、むしろ久々でただただ懐かしかった。


 ……だらりと下ろしていて祖父の右腕がふわりと軽く浮いたように見えた。ただその動きを俺が捉えた直後には俺の「みぞおち」に「熱い火箸」で刺されたような熱くてそして鋭い痛みが襲った。俺は全くその”攻撃?”に反応できずに後ろの片膝をついて呻いた。


 みぞおちに痛みがはしる直前に芹沢の「ひっ!」という短い悲鳴が聞こえたが、別にその声で俺の集中力が途切れた訳でもない。もっと言えば芹沢の悲鳴と俺が感じた衝撃は同時だったと言ってもいい。


「ほう、少しは成長したな」


 一瞬で俺のことを沈めておいて、笑ながら嫌味ともとれるそんなセリフを祖父は吐いた。


「この状況で成長したもないだろう?」


 確かにそんな祖父の嫌味にイラっともしたが、それよりも全く反応できなかった自分の実力のなさを改めて突き付けられて自分自身に苛立ったのが本心かもしれない。


「以前何度も同じことをしたが翔は全く気付きもしなかったからな。まあ受けきれなくともそれを威力として感じることができただけでも今回は成長したということじゃ」


 はあ?過去にも同じことをされた!?


 さすがに俺はあんぐりと口を開けたまま、絶句してしまった。


 鋭い眼光でずっと様子を見つめていた未惟奈の視線がさらに鋭さを増し、口を開いた。


「おじいさん?それどういうこと?」


 祖父に対してすでにため口なのが未惟奈らしい。


「おそらく気の攻撃は、気のトレーニングをした人間にしか効果がないこともあるようじゃ。きっとその辺は芹沢さんの方が詳しかろう」


 祖父はそう言いながら視線を芹沢に移した。


 祖父のご指名を受けた芹沢は、また驚愕した様子に戻っており顔が引きつっていた。それでもすぐに「ほう」と小さく息を吐いてから祖父の言を繋いだ。


「未惟奈さん、よくTV番組で気功師と呼ばれる人が登場すると、弟子が大げさに飛ばされる映像ってみたことない?」


 聞いた未惟奈の顔が曇り眉間にまで皺が寄る。


「ああ、あのやらせの茶番でしょ?」


 未惟奈は、そのTVに登場する気功師のことを一刀両断した。これについては俺も概ね未惟奈と同じ感想を持っていた。どうみても弟子がわざと飛んでいるようにしか見えない。


「それがそうでもないのよ」


 そう言った芹沢はつかつかと俺に近づいてきた。


 今しがた体制を崩された俺は、警戒して芹沢の動きに集中した。彼女が「何かを仕掛ける」つもりということは話の流れから理解できたからだ。


 俺の前に立った芹沢は祖父とは違い、大きく腕を振り上げてから極めてゆっくり「ふわり」と掌を振り下ろした。


 芹沢の掌が俺の目の前を上下に通過した時、軽く「風圧」を感じたが、その物理的な風圧とは明らかに違う「圧」がその後に俺の身体を襲った。俺はその圧に押されて大袈裟に後方に飛ばされた。


 俺は何とか後ろ足で踏みとどまり、転倒することはなかったが明らかに体制を崩されてしまった。


「翔?それはワザと?」


 未惟奈からするとTVの気功師と同じように映ったのだろうか?顔を訝しめてそう尋ねた。


「ここで俺がワザとこんなことする意味ないだろう?」


「それはそうよね」


 未惟奈は俺にそのことを確認すると、視線を芹沢に移して、目でコメントを促していた。


「芹沢さんはやさしいな」


 今の様子をニコニコと笑顔で見守っていた祖父が芹沢より早くそうコメントした。


「いや、それは芹沢さんがやさしいんじゃなくてじいさんが乱暴すぎるということじゃないのか?」


 俺はいきなり膝を着かせるほどの攻撃を容赦なくする祖父に皮肉交じりでそう言った。


 芹沢は未惟奈の視線を受けて、少し微笑むとまた俺の方を向いた。まだ続ける気だ。


 俺は警戒して今度はしっかり構え直した。


「翔くん?今度は前に教えた『気を抑える』状態で構えてみて」


「え?あのテコンドーの黄厳勇師範がやってみせた、あの圧を全く感じない状態?」


「そうよ。もうできるでしょ?」


 芹沢は整った唇の端を少し上げながら、魅惑的にほほ笑んで見せた。その表情は”前に私がちゃんと教えたわよね”と挑発的に言っているようにも見えた。


 俺は以前、未惟奈と共に芹沢に教わったよう、身体から気の放出を抑えるべく気を身体の”中に中に”凝縮させた。そして、おおよそ気の体外への放出が治まったところでもう一度芹沢に向かって構え直した。


 それを見た芹沢は小さく”フフフ”と笑って見せた。それから彼女はさっきと全く同じように右腕を振り上げてから掌を下に振った。


 さっきと同じように芹沢の掌から軽い風圧を感じたが、その後に襲ってきたのはさっきのような強力な圧ではなく、不思議なことに芹沢の右腕による攻撃としてとらえることができた。だから俺はその芹沢の攻撃を避けるべく身体捌きで凌ぐことができた。


「へえ、そうなんだ」


 その様子をじっと見つめていた未惟奈は何かを掴んだようで、感心したように呟いた。


「……翔、そのまま構えていろ」


 祖父がまた立ち上がり、芹沢と入れ替わるように祖父が俺の前に再び立った。


 俺はさっきの強烈な衝撃を思い出してにわかに緊張したが、精神を落ち着けて気の放出を外に向けることを抑え込んだ。


 間髪おかず祖父の右腕は、さっき見せたのと同じように少しだけ動いた。


 しかしだ。


 今回は祖父の容赦ない正拳付きが俺のみぞおち向けて放たれている「攻撃」を感じることができて俺はギリギリその祖父の攻撃を避けることができた。


 なるほど。


 そういうことなのか。


「ちなみに芹沢さんもじいさんもさっきとやったことは同じなんだよな」


「その通りよ」


 芹沢は勝ち誇ったような笑みでそう答えた。祖父も小さくフフと笑いながらと首肯して見せた。


つまり同じ技でも俺が「気のコントロール」が出来ている状態ならば、その気の攻撃ははっきりと輪郭を持ち、俺が攻防技術で対応することことができたということになる。


「今度の試合はそんなことも意識して戦う必要がある」


 祖父は嬉しそうに“ぼそり”とそんなことを言った。


 おそらく芹沢はこの店に入った瞬間に、きっと俺が今受けたような祖父の気の玉という衝撃をギリギリ捌いたに違いない。つまり芹沢は祖父の攻撃を「攻防技術」としてとらえることができるほどに体制が常に気のコントロールができていることになる。


 改めて芹沢薫子という大成拳の継承者としての底知れぬ凄さを目の当たりにしてゾッとした。


「つまり俺も芹沢さんがやったように、常に気の放出を抑えて日常を過ごす訓練をしておけってこと?」


 俺は呆れるように言った。そんなことは一朝一夕で無理なことは流石に分かる。


「今はそこまでは要求せんよ。ただ少なくとも試合の最中くらいはそれを意識することはできるじゃろうて」


 祖父は俺の実力を誰よりも理解している。だから祖父は俺にそれができるはずだと読んでここまでの「仕掛け」をしたはずだ。


 でも俺はまだ納得できないことがあった。


「そもそも対戦相手のチャンプアはムエタイの選手だぞ?気を扱うことができるとは到底思えないんだけど」


 言うと、この問いかけには芹沢が答えた。


「それを言ったらテコンドーの黄厳勇師範だってそうでしょ。彼は気のトレーニグはしていないはずよ。でも往々にしてどの道でも頂点にいる人は、独学でその域に達してしまう人がいる」


 芹沢は神妙な顔つきで俺に語った。それを聞いていた祖父もダメ押しに口を開いた。


「わしも現役時代にそんな天才たちに何度も遭遇した。だから翔の対戦相手もそれぐらいのことができると想定したほうがいいはずだ」


俺はぐうの音も出なかった。まだまだ祖父との実力差に大きな開きがあることを痛感せざるを得なかった。


「翔?今日来てよかったね」


 未惟奈がやけに嬉しそうに言う。理解の早い未惟奈のことだ、今回の祖父の意図は確実に理解したと見える。そして未惟奈のこんな表情は、未惟奈なりにこのことが大いに俺のプラスになることを確信したに違いない。


「翔にはもったいない彼女だな」


 祖父がまた嬉しそうにそんなことを言う。祖父もまた未惟奈のそんなずば抜けた分析力に既に気付ているのだろう。


「だって、翔」


 それを聞いた未惟奈はことさら上機嫌で、俺の腕をとって肩を寄せてきた。


 俺は色々な事が起きすぎてそんな未惟奈のデレに対応できる余裕ももなくただただ苦笑いをするしかなかった。


 そして芹沢は生暖かい目でそんな俺と未惟奈の姿を見てはニヤニヤと笑っていた。


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