天才のDNA
目の前には制服姿の少女が俺を睨みつけ、立っている。
妙なことになってしまった。
俺は今、全校生徒が集まる体育館の壇上いた。そして俺を睨みつける少女も同じ壇上にいてまさに俺の視界の中にいる。
しかも俺はそこで『空手着』を身に纏っていた。空手着を着ていること自体は良いのだ。
物心ついた頃から空手を習っている俺だから、体育館の壇上ということを除けばまあ、あってもよい光景だ。
しかし、その光景に”少女と向き合っている”事がプラるされれば、どう考えても”異常”な光景なのだ。
なんと俺はこれからこの少女と「空手」の対戦をする事になってしまった。
体育館に集まった全生徒はものすごい熱気で俺と少女に熱い視線を向けていた。興奮してヤジを飛ばしているヤツらまでいる。
「はぁぁぁっ〜」
俺は最大限に顔を顰めながら、心底ウンザリして、その気持ちを吐きだした。
ただ、そう思っているのはどうやら目の前にいる少女も同じらしい。
まあ、それはそうだろう。
恐らくは、感じている「ウンザリ度」は俺以上に違いない。さっきから俺を睨みつけつつ、その眉間に皺を寄せ……仁王立で禍々しいオーラを放っている姿を見れば分る。
目の前にいる少女……
異様なほどに美しい。身長はそれほど高くはない。160cmあるかないかだろうか?
遠目には制服を着ている普通の女子高生なのだが、ただの高校生と言うにはあまりに異風を放っていた。
サファイアのようにブルーに光る瞳は、彼女が「純粋な日本人ではない」ことが一目で分る。髪はショートにカットされてボーイッシュなのだが、瞳の色とは裏腹に真っ黒な髪。
その黒髪と明瞭なコントラストをなしている日本人離れした透き通るような真っ白い肌。誰がみても「超美少女」と形容される程の美しさであることは間違いない。
しかし、彼女を普通の女子高生とは全く違ったものにしている理由が別にあった。
引き締まったプロポーションは「ただ痩せている」のではなくて、本格的なスポーツを長年取り組んてきたアスリートのもであった。
そしてなによりもその圧倒的な存在感だ。
彼女からほんの数メートルしか離れていない俺は彼女のその「威圧感」を全身に受け、不覚にも足が震えるほど身体が反応してしまっている。
この異様に強い圧の正体はなんなんだ?
その威圧感は、目の前にいる俺だけではなく体育館にいる全生徒までが感じていたに違いない。
俺と対峙するために、彼女が壇上に上がった瞬間、一瞬で体育館全体がシンと静まりかえった。全校生徒が集まる普段の館は各々が勝手にスマホをいじり、そして友だちと雑談をし、ザワザワとまとまりのない空間になるはずなのに……その空気感を一瞬で、彼女は変えてしまった。
壇上に彼女が上がるなり、全生徒が固唾をのんだ。そしてその直後には、その反動でなのか「異様な雰囲気」を感じ取った生徒達が興奮のあまり大騒ぎになってしまった。
俺はこの少女”のことをもちろん知っている。いや、今体育館に集まっている全員がこの少女のことを知っているはずだ。
「部活動説明会」
これが今、俺が体育館の壇上に立たされている「表向き」の理由だ。つまり『空手部紹介のため』ということが俺のミッションということになる。
しかし俺は空手部に所属している訳ではない。そもそもこれから入部を考える立場にある新入生なんだから当たり前だ。
「神沼翔!一生のお願いだ!俺らの代わりに説明会の壇上に立ってくれ!」
俺が通う空手道場の先輩であり、北辰高校空手部主将である吉野竜馬からそう依頼されたのが昨日の夜。
「は?何言ってんですか先輩?俺、新入生なんだけど?そもそも空手部入る気もないし」
「そ、そう言うなよ、翔!先輩を助けると思って、な?頼むよ?」
聞くところによると、部活説明会の『空手部枠』で、学校側からの強い要請があり空手部メンバーと「ある少女」が対戦するということが決まっているらしいのだ。
「え?なんですかそれ?少女と対戦?なんの茶番ですか?」
「茶番ならわざわざ翔に頼まずとも俺ら空手部メンバーでどうとでもなるんだよ」
「どういうことですか?」
「知ってるだろ?ウィリス未惟奈」
「ウィリス未惟奈って、あの有名人の?」
「他にいないだろ?」
「彼女がなんだってんですか?」
「だから!彼女と俺らメンバーが対戦することになったんだよ」
「なに寝言言ってんですか?ウィリス未惟奈と対戦?意味分かんないんだけど?」
「まあ信じろと言う方が無理だろうが、事実なんだよ。ウィリス未惟奈が来月、北辰高校に転入してくる」
「え?な、なんで?」
「それは俺も知らねえよ。でも週刊誌でも情報をすっぱ抜かれているから間違いないらしい。そして明日の部活動説明会に彼女が来る。TV局も入るらしい。だから学校サイドがマスコミと結託して部活動説明会を盛り上げるためにこんな馬鹿げた企画をゴリ押しで通してしまったらしいんだ」
俺は開いた口を塞ぐまでに、どれぐらの時間が掛かっただろうか?
ウィリス未惟奈だと?……この名前を知らない空手家はいない。いや、この名前を知らない日本人すらいないだろう。
いやいや、もっと言えば世界のスポーツに携わる人間全てが知っている名前と言っても過言ではない。
陸上短距離100m、200mの世界記録保持者「エドワード・ウィリス」と新体操五輪2連覇「保科聡美」の一人娘、ウィリス未惟奈。
スポーツ界のサラブレッド中のサラブレッドだ。しかも”超”がつく程に美しい容姿を兼ね備えた彼女は今やマスコミから追いかけまわされる国民的アイドルだ。世界、特にスポーツ界では彼女の動向を追い続けている。
それがなんで、こんな東北のど田舎の高校にやってくるのだ?
全く意味がわからん。
ただ、もしそれが事実であるなら空手部主将である吉野竜馬がこんなにも慌てる理由は思い当たる。空手部メンバーが彼女との対戦を絶対に回避しなければならない理由だ。
むろん部活動説明会の場で公式なガチンコの試合をする訳ではないし、提案されたのはおそらくTV企画の”お遊び”なのだろう。期待されているのは適当に空手部員が「負け役」を”演じて”盛り上がればそれでいいというショーなのは分る。
武道、格闘技の世界では中学生ジュニア世代までは肉体的成長が早い女子が男子より上位に行くこともめずらしくない。
ただ、高校生となれば全く話しは別だ。武道・格闘技というフィールドにおいては高校生男女の肉体的なハンデは決定的になる。つまり男子の肉体的優位から男女が真剣に勝負することはありえなくなる。
「男女の真剣勝負は絶対ない」という皆の共通認識があるからこそ、男子空手部員が「ワザと負け役」をやるという分りやすい茶番劇がショーして成立するのだか……
相手がウィリス未惟奈となるとその論法は全く通用しなくなる。
彼女は中学時代、既に日本女子の100m記録を塗り替えていることを筆頭に、球技、水泳、全てのスポーツにおいてダントツの強さを見せ世界のスポーツ界の注目の的になった。誰もが父親の後を継いで本格的に陸上への道を進むと思っていたのに、なぜか彼女はマイナースポーツである空手を始めてしまったのだ。
なんで彼女が空手に興味を持ったのかは知る由もない。ただ空手界では思いもよらないスーパースターの到来に沸きに沸いた。
当然だろう。ようやく東京五輪から正式種目になったとはいえ全体のスポーツ人口からすればまだまだマイナースポーツだ。
そこにスポーツ界の至宝「ウィリス未惟奈」が来てしまったのだから空手界全体が浮足立つのも無理はない。
ただその大騒ぎもつかの間、いまや空手界の誰もが未惟奈の存在に困惑することになってしまったのだ。
事件は未惟奈が空手を始めて僅か一ヵ月後に起きた。
まだ無級で白帯をつけた未惟奈が「全日本空手道選手権大会」にゲスト出演をした時のことだ。
それは大会を盛り上げるための「たんなる企画」だった。当時、男子高校生の間ではぶっちぎりの才能と実績で「神童」とまで呼ばれていた「有栖天牙」とウィリス未惟奈のエキシビジョンマッチが「お客様を喜ばせるための企画」として組まれたのだ。
男子高校生のチャンピオンと未経験に限りなく近い初心者中学生女子とのエキシビジョンマッチ。真剣勝負では考えられないカードだ。ただこの試合はもちろん大会を盛り上がるための「ショー」にすぎない「はず」だった。第一、有栖天牙が本気になれば例え天才アスリートの血を引く未惟奈をしても数秒だって地に立つことは許されない「はず」だった。
誰もが予想した展開はこうだろう。
それは有栖が上手く試合を盛り上げるべくリードして未惟奈を上手く動かせてあげて、時に未惟奈の攻撃を「わざと」受けてあげる。
誰もがそんなストーリーを想像した。
しかし、開始早々に会場全体が凍りつくことになる。
「始め!」
の合図が聞こえてから僅か数秒。未惟奈の放った、たった一発の蹴りで無敗を誇る神童「有栖天牙」が地を這った。そう、ありえないことに有栖が一撃で失神KOされてしまったのだ。有栖はそのまま動けずタンカで運ばれるという事態にまでなった。
有栖天牙程の才能ある選手が「油断していた」といういい訳は通用しない。いや実際には油断していだろう。女子中学生の素人相手なんだから油断して当たり前だ。でもいくら有栖が油断したところで一撃KOされるなんてことは万が一つにも起こり得ないはずだった。
しかしこんなあり得ないことが現実に起こってしまった。
俺はその試合の映像を動画サイトで見てその理由がはっきりと理解出来た。
信じられないことだが……
ウィリス未惟奈はたった一ヵ月ですでに有栖天牙の実力を凌駕していたのだ。
ウィリス未惟奈というDNAはとんでもないモンスターだと心の底から震えがきた。
そして空手を長らく修業する者として寂しくこうも思った。
「結局、どんなに長い時間をかけて技の習得をしても、スーパーアスリートの身体能力を前にしたらここまで空手の技は無力なのか?」
この事件で空手界の権威は地に落ちた。
マイナースポーツ界で天才と持ち上げられていた有栖天牙にしてもメジャー級の天才が来れば、それが経験のない年下の少女ですら相手にならない。それが空手という競技だと。
さて、困ったものだ。
俺はそんなモンスターとこれから対戦しなければならないのだ。