神獣の執刀医 Case2 消化器内科医トモマサ・ウジハラ「ヤマタノオロチに対する経食道内視鏡止血術」2
「ヤマタノオロチさーん? 聞こえますかー? 上を向いて口を大きく広げてください。そうそうその調子です。」
懸垂降下しつつ患者に向かって声をかける。
なんかすごくシュールな図だけどやらないことには始まらない。
なんといってもまずは口の中に飛び込まなければならないのだから。
ここで、人間での上部消化管内視鏡について簡単に説明しよう。
細いカメラを口から胃にぶち込む。以上。
で、人間サイズの内視鏡だったら直径2cm程度の太さのカメラを通すのがやっとだが……
ここまで大きいと話は変わってくる。
数代前の消化器内科幻獣医が何をトチ狂ったのか、
(あれ? これカメラわざわざ通す必要なくね? 自分が入ればいいじゃん)と考えたらしい。
その爺のせいで防護服越しに臭気が漂ってくるような環境に俺は今放り込まれているわけだ。
いやはやあの爺様には頭を向けて眠れない。俺の師匠の師匠だけど。
「便宜上、患者左側から順に首をA~Hと呼称する。まずはAから。患者の口腔内到達。」
「患者のバイタル及び術者のバイタルよし。内視鏡投下ヘリの操縦権を譲渡します。」
「アイハブコントロール。降下再開」
クローディアからヘリコプターの操縦権を受け取る。
人間相手の内視鏡は基本的には一人で操作する。幻獣相手であってもそれは変わらない。
自分を吊り下げるヘリの上下で食道を進み、ヘリの回転で自分の体の向きを変える。
ただ胃の中にもぐるなら、上の操縦士に任せればいい。
しかし詳細に観察したい時や、止血をしたい場合など、細かい操作が必要な場合には自分で操作する方が確実だ。
「あーあーあー。また静脈瘤できとる……。写真とって、後でレーザー凝固だわ……。
しかも8倍か……死にたい……。」
肝硬変を持つ患者は肝臓を血液が流れることができず、肝臓を通るはずだった血が食道の壁を伝って心臓に戻ることがある。
結果本来は太い血管のないはずの食道に血管が形成され、ちょっとしたはずみで大出血するのだ。
極端な話、普通に飯を食っていても出血して死にかねない。
そして体の表面の出血とは違い、腹の中の出血は押さえて止血することができない。
一昔前は自然に止まらなければ腹を切るか死ぬかの2択だった。
だから、内視鏡が開発され、腹を開けずに止血ができるようになったのはちょっとした革命だ。
その分俺らの仕事は増えたが……。
「ウジハラさーん大丈夫ですかー? 生きてますかー?」
「バイタル見ろよ。生きてるに決まってんだろ。」
ヘリコプターには画像、音声、そして執刀医の全身状態がモニターされている。
それを眺めているであろうクローディアがけだるげな様子で声をかけてくる。
やることが無くて暇なんだろう。
健康な男性と出血しているとはいえ、アホみたいに頑丈なヤマタノオロチ。
通常であれば全身状態が急変することなどまずないのだが……。
ピコンピコンという警報を告げるアラームがなった。
「む、これは……酸素の値が点滅してる……? まさか窒息……?」
「窒息中にこんなに喋られるかっての。これでどーだ?」
「ちっ、生きてやがった。」
「お前……」
体内の酸素はサチュレーションモニターと呼ばれる機械で計測されるが、これが結構な頻度でずれて、信号を拾えなくなる。
指に着けたサチュレーションの計測器具の位置を調節したせいかモニターが復活したようだ。
「後で覚えてろよ……、っと、C目標到達。……悪いなクローディア、賭けは俺の勝ちだ。」
「というと?」
「出血源を視認した。止血器具をおろしてくれ。」
「あーあ、終わったらラーメンだっけ? 好きだねウジハラ。
吸引器回収開始。ゴムバンド付き吸引器スタンバイ。」
C目標で出血していれば術後にラーメン屋に、そのほかで出血していればファミレスで食事をという約束を事前にしていた。
緊急で内視鏡を終えた日には必ずラーメン屋かファミレスに行くのを日課にしている。
なぜかって? 理由は簡単。
そもそも日付を超えても営業しているのはラーメン屋かファミレスくらいだから。
消化管出血は時と場所を選ばない。早朝に呼び出されることもあれば、深夜に呼び出されることもある。
しかもすぐに止血しないと患者が死ぬ。
よって時間を選ばずある程度の味が保証されているラーメン屋の常連と化してしまったわけだ。
「吸引器投下。口腔内到達……中咽頭……下咽頭……食道……そろそろ見えるよ。」
「吸引機確認……確保。」
「送りストップ。」
消防隊のホースのごときサイズの吸引ケーブルが落ちてくる。
それを右手で保持し、左手のコントローラーでヘリの位置を精確に調整する。
噴水のように血を吐き出す傷口に吸引機を押し当てて吸引を開始すると出血はぴたりと止まった。
「吸引開始……止まったっぽいな……。」
続いて吸引器を引く。
すると掃除機に頬を吸い込まれた要領で、食道の壁が盛り上がる。
そこに元々吸引機に巻き付けてあったゴムバンドを分離し、てるてる坊主のように縛り上げた。
これが内視鏡的止血術の概要だ。
「ゴムバンド分離。吸引停止。止血……成功。」
運がいいことに一撃で止血に成功した。
この手の患者は食道粘膜が分厚くなっていたりしてゴムを巻き付けても滑ってしまうことが多い。
上空の幸運の女神さまのおかげらしい。俺単独でやると毎回3回はやり直す。
それを話したら下部消化管グループの幻獣医にすごく納得された。
曰く俺は、祝い事の席に行けば台風を呼び込むような不幸体質らしい。
張り詰めていた緊張が弛緩する。
上部消化管出血の1番の怖さは血が止められないことにある。
止血が決まれば8割片付いたといってもいい。
修羅場は越えたしもう少し片づけたら経験を積ませるためにもクローディアと交代しよう。
表面上すごく嫌そうな顔をしてはいたが、不要なはずの防護服を最初から着ているあたり詰めが甘いというか……可愛いらしいというか……。
「よし、一度上げてくれ。一応D以降の食道と胃も確認したい。」
「レーザー凝固はどうする?」
「ついでにやっとく。装備切り替えるから一度ヘリに戻りたい。」
「了解。巻き上げ開始。」
レーザー凝固とは異常に増殖した食道の血管を、レーザーで固めてしまう処置である。
それを今から8回行う。
例えばオーバーワークで足を痛めたとして、反対側の足も果たして無事だろうか?
今は無事であるにせよ、同じくらいのダメージを負っていると考えるのは当然だ。
今のヤマタノオロチはまさしくそういう状態だ。
次の瞬間、別の首から出血してもおかしくない。
ならば今のうちに止血しないように潰しておく。
そして俺は安眠を確保できるという算段だ。
最も一時的なもので、いつの間に新しい血管ができてしまうのだが……
「点滴の速度は落としといてくれ。カルバゾクロムスルホン酸ナトリウム水和物、トラネキサム酸を……」
そこにアラームが響く。
モニターの波形異常が生じたようだ。
「……またサチュレーションか?」
「いや、心電図も切れたよ……これってもしかして……」
次の瞬間バツンという音と共にクローディアの声が途切れた。
そして唐突に重力から開放され、俺の体は食道という身体の機能に忠実に従い。
下へと……、すなわち胃へと落ちていった。
俺の記憶はそこで途切れている。
同時刻ヘリコプター機内
突然カメラとマイクが途切れ、ヘリコプターが5mほど跳ねた。
今まで心拍数や心電図を表示していたモニターには今は何も映っていない。
ヘリコプターとウジハラをつなぐたった一本の命綱が切れた。
まずい、このままだと酸欠で術者が死ぬ!!
「コードブルー!!」
クローディアの絶叫がヘリコプターの爆音を切り裂いた。
2026 コードブルー発令
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