5 ミズガルズの少女
5 ミズガルズの少女
夕日の赤々とした光の中に、銀髪の少女は立っていた。
「その方を解放なさい」
少女はもう一度口を開いた。
「んだ? いま忙しいんだけど?」
「いいから、解放なさい」
「ったく、しょうがねーな〜〜黒髪ガキじゃねぇーけど…… こいつは、もうダメそうだから、かわりお前で遊んでやるよ」
大男は、俺から腕を放し銀髪の少女の方へと歩き出した。
俺は、その場に力なく倒れこんだ――
「や……やめろ……!」
大男の足を掴もうとしたが手が届かなかった。
「そこでガキが泣いて喚くのを、見てろよ! ははは!」大男が下品に笑った。
少女はその大男の言葉に臆すことなく毅然とし立っていた。
「それは……とても嫌だ。でもね」
そこにいたはずの少女の姿が消えていた。
「あなた、私と遊んで……最後までもつかしらね?」
次の瞬間、少女の小さな身体が大男の懐へと潜り込んでいた。
「この身体だと、私は長くはもたないの……ごめんなさいね?」
何か大きな衝撃を受けたように仰け反った後、大男はその場に崩れ落ちた。
――それは一瞬の出来事だった。
「あなた大丈夫?」
銀髪の少女が優しく呼びかけてきた。
「な……なんとか……」
「少し、つらそうね」
「少しじゃないけど……ね」
「こうやって、寝てる場合じゃないよな。早くキミ達と逃げな……おい、うそだろ……」
――俺は悪い夢を見ているようだった。
俺が立ち上がろうとした瞬間、目の前のさっき倒れたはずの大男が、突然起き上がったのだ。
「くそ!!!! もう許さねぇぞ!!!!」大男が地面を素手で叩きつけている。
かなり頭にきてる様子だ。
無理も無い、こんな少女に倒されたのだから……
「やはり、この身体にまだ馴染んでないみたい……ちゃんと仕留めれなかった」
冷静に少女は自己分析をしているが、それ所ではない。
「ど、どうすれば……とりあえず、キミだけでも逃げて!」
「それはできないわ」
「なぜ?」
「わたしもまだ少し、ここを動くには時間が必要なの」
少女は小刻みに震えて、立つのもやっとのようだ。
この状況は、かなりまずいのではないだろうか……
――少女が口を開いた。
「わたしは、今日の分の解放は、これで終わってしまったの……だから今度はあなたがやって」
「俺がやる? でも、俺は非力な男の子ですよ?」
「問題ないわ。肉体的な強さ、年齢、性別は現世のモノ。魂の強さは別よ……私の動きを見ていたでしょう?」
(たしかに……見た目は普通の少女なのに、動きは大人以上だった)
「肉体の呪縛から解放されれば、どんな状況にも抗い制す力があなたに備わり、どんな動き方も、戦い方も、およそ全てが実行可能になるわ」
「あなたなら、きっとやれる」
少女が俺の手をとった。
「でも……俺に、キミのマネなんかできないよ」
「条件さえ整えばできるわ。まず必要なのは、英雄の資質…… 身を挺して私たちを守ってくれたのは、既に英雄の資質に十分な証……あとは」
銀髪の少女が手を放し、俺に向けてかざした。
「そう、あとはそれを導く者がいれば……」
――かざした手が一瞬光り手を離れ、真っ直ぐと俺へとのびてきた。
「こ、これは?」
「導きの光よ。さあ受け入れて」
「そ、そんなことを言われても……ち、ちょっとなんか入ってきた、入いって――うわっ!」
――光りが俺の身体へとゆっくり飲み込まれていく。
(身体が……熱い……)
「その光りで、肉体からの魂の解放が一時的にだけどされるわ。それで、今までのあなたではない力が発揮できる……もう既に身体の痛みが消えたはず」
少女の言葉どおり、身体から痛みという感覚が消えていった。代わりに、身体の奥から湧き上がってくる何かを感じた――
「湧き上がりを感じたならば、それが解放の合図。さあ、その束縛から放たれなさい」
――いままでの自分では、できなかったことが……
――それができる……力
(……!)
「おい! なにじゃれあってんだよ!」 大男が俺に向かって殴りかかってきた。
――大男の拳が俺へと伸びてきた。
「え?」
大男は何もない空間に拳を切っていた。
「俺は、首絞めて悦に浸るサディストじゃないからさ……」
――驚くほど身体が軽かった。俺は大男の背後にいた。
一歩の感覚で、目の前いた大男の背後に回りこめたのだ。
「これで……お仕舞い」
手刀で大男の首筋を打ちつけてた。
声も無く大男は崩れ落ちた。
(すごいな……)
いまも身体の底から際限なく、力が湧いてくるような感覚が消えない。
「それが肉体から解放された、魂の力。あなた本来の力よ」
銀髪の少女がこちらに歩いてきた。
「そのあなたの力を、神々が必要としてるのよ」
「そ、そんなこと言われても……全然わからないよ」
「じゃあ説明――」
そう銀髪の少女が言いかけた時、別の少女の声がした。
「お〜い、大丈夫か〜! 銀髪がさ〜急に走っていったから追って走ってきたよ……いや〜おっとりしてるクセに足が速いのなんのって……」
黒髪の少女が息を切らせ走ってきた。
「お、おい……君、一人でやったのか?」
倒れて大男を黒髪の少女が指差した。
「いや、一人ではないけど……でもやっぱ俺なのかな?」
「ふ〜ん……トドメだ!」
黒髪の少女が掛け声とともに、倒れた大男を踏みつけた。
大男は「うっ」と声を上げた後、完全に動かなくなった。
「って、あんた! な、何してんっすか?!」
「え? トドメだけど?」
踏みつけた足をグリグリと、さらに身体へねじ込んでいる。
「や、やめて! やめてあげてください! ほんとやめて!」
「え〜つまんないの〜〜」
黒髪の少女は渋々と足を大男からどけた。
(こいつは本当に……悪魔だ)
「ん……」
黒髪の少女が俺に近付いてきた。
「な、なんだよ……」
「君……魂の解放したろ?」
「なんでわかるの?」
「魂の軋みが聞こえるんだよ」
「なんだそれ?」
「ヴァルキューレは、その軋みの音で、魂の肉体からの解離を感じとって ……そいつを狩りにいくのさ」
黒髪の少女が首筋に手を水平に動かした。
「その狩った魂を、ヴァルハラに持ち帰るのが、オレの仕事さ」
「あのさ、ヴァルハラとかヘルヘイムって……それっていったいなんなの?」
銀髪の少女が俺の前に立った。
「アース神族の国アースガルズ、そこにある英雄の魂が集う館……その場所がヴァルハラ ……そこは魂の監獄で、いつ始まるとも終わるとも知れぬ戦のために幽閉されるの」
「そこに行かずに済んだ、死した魂の全てが集う死の国がヘルヘイム……
そこで魂は、やがてくる次の転生を待つの。私はそこを管理する者よ」
「あの〜なんでそんな方々が俺なんかに?」
今度は黒髪の少女が話し出す。
「君は英雄だからだよ」
「英雄って?」
「正確には、英雄の資質ってこと。君ね〜普通は魂の解放をやったら死んじゃうんだよ?」
「でも生きてるってことは、かなりの上物……ヴァルハラがオレを直接送った理由が、いまわかったよ……」
黒髪の少女が、妙に納得したかのようにうなづいている。
「死んでたら、即、君を連れて帰るんだけどな〜」
「それは、私が許さないわ」
銀髪の少女が話しに入ってきた。
「英雄でも、そうでなくても、魂は均しくヘルヘイムに帰り眠り、そしてまた、このミズガルズに再び転生すべきなの ……だから、彼を貴女みたいな『連れ去る者』には渡さない!」
(この子が言ってた『連れ去る者』は黒髪の子だったのか……)
「はいはい、頑張ってよヘルの銀髪! でもまあ〜まだ死んでないし、オレはお前が気に入ったから……連れ帰るのは、少しまってやるよ!」
「……そうか」
――全身の力が一気に抜け、俺はその場に倒れた。
倒れた俺に二人の少女が駆け寄ってきた。
「お、おい! 大丈夫か!」黒髪の少女が叫ぶ。
「お願い、起きて!」
心配そうな表情を浮かべた銀髪の少女が、膝をつき俺の手をとり顔を覗きこんできた。
「だ、大丈夫。ちょっと力が……抜けた」
「んだよ〜……し、心配させんなよ!」
黒髪の少女が軽く顔を殴ってきた。
「痛っ」
「あ……ご、ごめんよ。ちょっと強かったか?」
顔を大袈裟に横に仰け反った俺に驚いたのか、黒髪の少女が本当に申し訳ないという表情をしている。
「……な〜んってね! 冗談冗談!」
「死んでろ!」再度の拳が飛んできた。今度は本当に痛かった。
赤い夕日の中、二人の少女が倒れた俺に手を伸ばしてきた。
「寝てないで立てよ! 一緒に観覧車に乗ろうぜ!」
「さあ立って、赤い輪へ一緒にいきましょう」
「おいおい、怪我人だぞ俺は!」
「でも、あなた笑ってるわ」
「へらへらする元気があんならいけるだろ! さあ立って行こうぜ!」
神だの、魂だの、英雄だの、飼うだの言っていた少女たちが俺が倒れただけで、慌てて心配そうに駆け寄ってきたのを見て、いつの間にか笑っていたみたいだ。
「はあ〜しょうがない……いきますか!」
俺は二人の少女の手へと、自分の腕をゆっくり伸ばしていった。