1 ミズガルズの片隅で
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1 ミズガルズの片隅で
「あなた……ねえ? 聞こえてる?」
(ああ、聞こえてるって)
「一緒に早く行きましょう……あなたを『連れ去る者』が、すぐそこまできてるのよ」
(なに言ってるのかよくわらない)
「その前に、私と一緒にきてほしいの」
俺はいつもの時間に
いつもの電車に乗り
いつもの定位置で
いつもの流れていく景色を眺めていた――
そう――そこまでは、何もかもが変わらない朝だった。
ただ唯一つ違っていたのは、俺のシャツを掴み話しかけてくる、この少女の存在だけだ――
「ねえ……あなた、やっぱり聞いてないでしょう?」
少し怒ったのか、シャツを掴む力が強くなった。
「あのね……俺、学校とかあるから、キミと遊んでる場合じゃないんだよ」
少女と同じ目線になるまでに腰を下ろした。
「だから、その……『連れ去る者』だっけ? それって何? どこかに、俺が連れてかれるってこと? 俺には一緒に来てと言ってるキミの方がよっぽど『連れ去る者』に見えるんだけど」
「それなら大丈夫。だって私はあなたを連れ去ったりしないもの」
「そうですか〜そうですか。じゃあさ、俺を少し放っておいてくれないかな?」
なだめる様に、少女の頭を撫でた。
電車に乗った直後から、この人形みたいな格好をした銀髪の少女に絡まれている。しきりに話しかけてくる少女を、こうして何度も諭しているが、会話が全く噛み合わない。
最初こそ無視をしていたが、周囲の乗客の『君が保護者だろ?』という視線に耐えられなくなり、少女の相手をすることにした。そんな軽い気持ちで、この少女の相手を始めたら、どこかに一緒に来いとシャツを掴んで離さない。
(今日は最悪だな……)
自分のこんな状況に、溜息しかでなかった。
「そういえば、キミは学校とかないの? それとも通学中? ……バッグとか何も持ってないようだけど、もしかして私立とか?」
見た目の歳から学校には行ってるだろうとはわかったが、こんな時間にバッグすら持たず、一人で電車に乗ってるのが、俺には少し不思議に思えた。公立ならば、電車に乗らなくても行ける範囲の学校を選択するはずだろうし、こうやって電車に乗っているということは、私立の学校に通っている可能性が高い。
「学校ってなに?」
無表情な顔で少女が答えた。
私立以前の答えが返ってきた。
「ああ……キミが毎日行っている場所のことだよ」
「そうね……それならば、今は行ってないけど『ヘルヘイム』なら毎日行っていたわ」
(ヘルヘイム?)
容姿からは少女が日本人には見えなかったが、普通に日本語で話しかけてきたので、普通に日本語で受け答えてをしていたが……『学校』が通じないのは、もしかして帰国子女だからか?
(ヘルヘイム……)
どことなく西洋の雰囲気がする言葉。アメリカンスクールならば、この手の名前があっても不思議ではない、きっとこれは、この子の学校の名前だろう。今は行っていないってことは……もしかして不登校だってことか?
そうなると『一緒にきて』は、『学校へ一緒にきてほしいの』っていうことか――
まてまて、なんで俺と一緒に行きたいのだろう?
『あなたを連れ去る者が、すぐそこまできてるのよ』
(あ――そうか!)
「もしかして、君は学校に『ヘルヘイム』への行き方を忘れちゃったの?」
「いいえ。でも、あなたが一緒に来てくれないと、帰るにも帰れないわ」
シャツを掴む力が強くなり、少女が暗い表情を浮かべた。
(道に迷ったわけじゃないのか……)
俺は、てっきり『あなたを連れ去る者が』という嘘をつき、助けて求めていたとおもったが……いや、少女は俺に助けを求めている。今も懸命に俺のシャツから、手を離そうとしない。
きっと一人では不安で登校できないのだろう。ひさしぶりの登校ともなれば、不安な気持ちになるのは仕方がない。
「困ったな〜俺も学校があるしな」
こんな事を誰かに頼みたくても、この電車内で少女を学校まで連れて行ってくれるような、暇でお人好しな人間がいるわけがなかった。
――少女が俺の顔を見つめている。
(痛っ!)
鈍い痛みが背中に走った――ゆっくり後ろを振り返ると、そこには今度は違う少女が拳を握って立っていた。
「君! オレと『ヴァルハラ』へ来い!」
「いや、え……はい? あの〜意味が全然わからないのですが?」
本日、二人目の「一緒に」少女が登場した。
「いいから来いって!」
黒髪の少女は躊躇なく拳を、無防備になっていたみぞおちに埋めてきた。
(うう……)正直、泣きそうだ。
――俺は堪らずその場に膝をついた。
「あなた、大丈夫?」
駆け寄ってきた銀髪の少女が、俺を心配そうに背中をやさしく擦ってくれた。
「う、うん……なんとか」
(大丈夫じゃないかも)
気を抜いていたのもあるが、かなり的確な位置に拳が入ったようで、息をするのも苦しい。
「このくらいで、実に女々しいな君は! さぁ〜立て!」
少女は容赦なく俺に命じた。
うつむき、腹を抱えた俺の目に、黒髪の少女の黒いブーツが飛び込んできた。ゆっくりと上を見上げると、黒髪の少女がなんとも悪意に満ちた笑みを浮かべていた『確実にこの子は危ない!』という、身体に危険信号が駆け巡った。
「な、なんで! こんなことをする――うぅ」
口を開いた瞬間、ブーツの底が俺の顔面を覆った。
「なに下から覗いてるんだ? この変態が!」
そんな短いスカートでは、この位置から見えなくもない。だが俺はそんな場合ではなく、それにそもそも膝をついてるのは誰のせいなのか……
それで見えてしまったとしても――
「キミのせいじゃないか!」
「君、ウルサイ! この変態が!」
顔に置かれたブーツがグリグリと音を立てた。
「やめ、やめて……ください」
「じゃあ、オレと早くヴァルハラへ来い!」
「その前に俺の顔に押し付けている、この足をどけて頂けないでしょうか……行くにも行けません」
「ちっ……しょうがないな」
黒髪の少女は足をどけてくれた。
「ありがとうございます! ヴァルハラですか? それって遊園地か何か?……ひっ!」
黒髪の少女が、にやりと拳を再び握ったので、おもわず身構えてしまった。
「なんでオレが、君みたいな変態と遊園……遊園地? で、それってなんだ?」
「そんなことも知らないのかよ……うっ」
俺のわき腹に拳がめり込んだ。
「ま、間違えました……ご存知ないのでしょうか!」
「知らないな〜なんだそれ?」
わき腹にめり込んでいる拳を、さらに少女は深くへと押し込んできた。
「や、やめ、説明しますから! 説明しますから! やめて! ふう〜あのですね……家族とか友達とか恋人とか、親しい人と遊びに行く場所です……はい」
「へえ〜楽しいそうだな〜……よし、決めた! オレをそこに連れていけ!」
「え? ヴァルハラは、いいのですか?」
「うんなもん、遊園地ってやつの後で行けばいいさね〜」
「いや、でも俺は学校とかあるんで遠慮し……い、痛っ痛い! とりあえず、無言でグリグリやめてください! ほんと痛っ……止めてください!」
黒髪の少女がニヤニヤしながら、わき腹にめり込ませた拳を回転させてきた。
(だめだ早くこの子から逃げないと)
「そ、そうそう! 俺、先約があるんです! この子を学校に連れて行かないといけないんですよ!」
後ろにいた銀髪の少女を、黒髪の少女の前へと押し出した。
「学……校? なにそれ。私、わからない」
銀髪の少女が無表情に淡々と答えた。
「え……ええぇーー?!」
「おい君……嘘かよ?」
拳の再発射の準備を整えたようだ。
「ち、ちが、違うんですよ! 聞いてく……う――」
再び拳は腹にめり込んできてた。
――俺はうつ伏せに倒れた。
「な〜連れてけよ〜連・れ・て・け・よ〜な〜な〜〜〜」
横たわった俺の身体を、黒髪の少女が激しく揺さぶってきた。
「いや……もう勘弁してください……ほんと許してください」
「じゃあ、連れてけよ〜そうしたら……悪いようにはしないからさ」
少女は甘い口調で、俺の頭を撫でてきた。
「でも、この子がいるんで」銀髪の少女の方向を指差す。
「この子も行かなくちゃいけない場所があって……すごく困ってて……」
「私も遊園地へ行くわ」銀髪の少女がシャツを掴んできた。
「……え?! なんで?」
「だって、楽しいそうじゃない」
「で、でも、君はヘルヘイムに!」
「そんなもの……遊園地の後でいいわ」少女が初めて微笑んだ。
その初めてみせた笑顔を見た俺は、少女から目を逸らすことができなかった。それはまるで、心を完全に奪われたかのようだった――
「――お〜い、オレを無視すんなよ!」
背中に今日何回目かの拳がめり込んできた。
「ほんと……すいませんでした」
この黒髪の少女に、俺の全ての主導権を奪われてしまった気がする。
「――あ! いまどこの駅だ?!」
ドアの上の液晶画面をみると、本来降りるべき駅から既にかなり過ぎていることがわかった。
「お……終わった」
「ねえ、遊園地はどこにあるの?」
銀髪の少女がシャツを引っ張りながら聞いてくる。
「はやく〜はやく〜つれてけよ〜〜な〜はやく〜〜」
黒髪の少女は拳をグリグリと背中に押し付け回転させてきた。
――この少女達のせいで
今日の正常で平穏なる学生生活は無理そうだった。