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一部グロテスクな描写がございます。

 風の吹いてくる方に向かって歩く。こういう時、チビは便利なのか不便なのかよく分からなくなる。歩幅が小さいから、あまり早く動けない。スタミナもない、ってこれはアリシアの問題か。でも狭いところにぐいぐいと入っていける。一長一短だ。

 肌寒い、少し湿気があるじっとりと肌に纏わりつくような、そんな空気。


「けほ! こほ。うう……寒い」


 このままじゃ風邪をひいてしまう。着るものか、せめて泥を拭う物が欲しかった。


 ああ、ヴェルエナと食べたスープが懐かしい。あれは温かくて美味しい良い物だった。

 泥まみれで傷だらけの全裸。これじゃあ可愛い体も台無し。ヴェルエナが見たら失神するんだろうなぁ……。金切り声で悲鳴上げて。

「頼むから虫居ないでくれよ……。ああ、やっぱり居るぅ」


 壊れた扉の隙間に体をねじ込む。ミニマムな体の利点。


 ガサガサっと大量の虫の影が見えた。泣きそう。

 虫が肌にかすった感触で、髪の毛がぞわっとした。


 ここは大分古い施設みたいだった。つまり無事な照明もあれば、壊れている物もあるわけで、何が言いたいかと言うと、暗い。ひたすらに暗い。さっきのはまだ、明るい場所だったみたいだ。照明の明かりが弱すぎる場所もあれば、壊れてる場所もある。

「ひっ。また骨か……」


 所々骨があった。大抵角を曲がると密集して転がっている。穴だらけの作業着。虫にでも食われたんだろう。とことこ歩いていると、突然にゅっと骨と遭遇。心臓に悪い。寿命が凄い勢いでガリガリと削れていくのが良くわかる。


「疲れた……」


 壁に寄りかかってへたり込む。動いたせいで汗が出ていた。額を拭ってみれば、土が泥になっていてげんなりする。

 薄暗い中、正体不明の化け物に怯えながら歩くのはとても疲れる。

 第一に、骸骨があちこちに転がっていると言うのがよろしくない。動かないとは分かっていても、不気味な物は不気味。

 ……動かないよな? そっと廊下の先を見れば、ひときわ明るい照明の下にやっぱり骸骨があった。少しギョッとする。壁に黒い汚れがついていたんだ。急いで周りを見回す。薄暗くて気が付かなかったけど、あちこちに黒い汚れがある。骸骨が転がっている場所には大抵。


 考えてみれば当然だ、死人が山ほどいるんだもの。




「そりゃあ、あるよねえ。血痕」


 自分でも驚く位げんなりする声だった。またかって感じ。

 死体に化け物の噂話、明らかに古いけど世界観を間違えた近代施設。そこに血が追加された位で、何だってんだ。ああ、またホラー要素が追加されたのね。ふーん。

 ……めっちゃ怖いな。

 そっと背もたれ代わりの壁を見る。汚ない壁だ。埃まみれの土汚れ塗れ。でも血みたいなのはなさそう。ほっと息をついてまた、もたれる。

 背中の打った所が痛い。じんじんと熱を持っているみたい。多分、そこだけ体温結構高いんだろうなあ。




「皆心配してるだろうな……」


 きっとヴェルエナはすぐに両親の所に帰ったんだろう。色々と要領がいいから、こういう時は信頼できる。そしてきっと、野営地と水浴びした川の近くを探すんだろう。でも見つからない。

 そして父さんは言うんだ。


「日が昇ったら探そう」

 母さんは少し悩んで賛成し、ヴェル姉は反対する。でも説得されて、悔しそうに。悔しそうに……どうするんだろう。こういう事になったのは初めてだ。




「死んでないって事は動けるって事さ。動けるなら、死んでないって事さ。なら動き続ければ死なないって事」


 自分を勇気づけようと呟く。このバカみたいな言葉に懐かしくなる。どこで聞いたんだろう。

 朧げな照明にくっつくコガネムシをぼんやり眺める。最初は気持ち悪かったけど、動く生き物がこいつらだけしか居ないこの状況。ねぇねぇ、コガネムシっぽい変な気持ち悪い虫君たちや、ここの出口はどこかしら?

 なんて聞いたら教えてくれるかなあ、とかアホな妄想をする。意思疎通出来たら、それはそれで、たまげて腰を抜かす自信があるけど。 うぞうぞと気持ち悪く群がる虫たちの群れから、一匹だけ離れた所に居るのを見つけた。おお、はぐれ物か。いいねえ。私も一人ぼっちだ。君と一緒だね。ちょっと親近感を……抱く訳ないだろ。やっぱり気持ち悪いな。虫は虫だ、無視無視。虫だけに。


「へっくちっ」


 ……寒い。

 というか俺はなんでこんな虫を観察してるんだよ、誰が得するんだよ。誰も得しないよ。観察するなら、ヴェルエナという銀髪美少女を観察していた方が、ずっと建設的で有益だ。目の保養に最適。

 さて、少し休んだら少し回復した。長く休んだらすごく回復するんだろうか。息を吸って、履いて。深呼吸して、お腹に力を込めて。

「むん!」

 気合を入れて立ち上がる。おお、全身の骨が気持ちよく鳴った。




 それにしても、喉が渇いてしかたがない。湧き水でも無いかしらん、って思う。湿気ってるんだから、近くに水源があるだろう。空腹には耐えられるけど、水分不足は本当に危ない。倒れたらそれこそ終わりだ。

 まあ、水場を見つけても、そこが飲めるかは話が別。毒が入っているかもしれないし、虫に汚染されているかもしれない。

 それでも、見つからないよりはずっと良いと、俺は壁からにじみ出てる場所が無いかキョロキョロ探しながら歩く。

 壁からにじみ出ていたら……多分へばりついてぺろぺろ舐めるんだろうな。我ながら女捨てている。メンタルは女じゃなくて男だけど。想像すればするほど嫌な絵。

 そんな風にとてとてキョロキョロ歩いていた物だから、足元への注意はおろそかだった。ぬるっとしてずるっときた。

「お?」

 ふわっとしたと思ったら、尻もちをついていた。尻もちをついたら、ぷちっと潰してしまった。

 お尻が痛い。お尻で感じる、この硬くてぬちゃっとした感触はなんだろう? 大きくてつぶらで、まつげが長い目をぱちくりとする。ええー、アリシア分かんなーいと小首を傾げる。 ……ああ、ただの現実逃避だ。くそっ。これはきつい、生の感触はきつい。ズボンを履いていれば……いや、せめてパンツがあれば。布一枚でも間には挟まってくれていたらどんなに良かったか。パンツ履きたい。清潔な奴を要求する。女物は嫌だ。男物をくれ。

 これは……大の大人の男でもきつい。精神的に来る。


「う、うわあああん」


 おいおい泣きながら四つん這いで行く。この死骸を払い落としたいが、触りたくない。とても触りたくない。水源で洗いたい。


「へぶっ!?」


 またずるっと滑った。今度は肘を床に強打して、暫く悶える。喰らっちゃいけない所に一撃喰らっちゃった。体重乗った良い一撃だ。お前ならチャンプ狙えるぜアリシア。電気が流れたみたいに腕が痺れる。

 涙流しながら手を確認してみる。足の裏と同じく、ぬるぬるした液体がついていた。指で弄ってみれば、見事に糸を引いていた。


「ウナギの粘液?。いや、まさかそんな筈……」


 ウナギは水棲動物だ。陸地に居るわけがない。なら何だこれ。嫌な予感がする。

 知ってるぞ、こういうのはフラグって言うんだ。アリシア賢いから分かるんだ。大抵この後、ヤバい奴が出てくるんだ。

 例えばボスとか。ホラーゲームのあるあるだと、倒せない敵と追いかけっことか。どちらにせよ、危ない奴が先に居るというのは、ほぼ一緒。頼むからそういうベタな展開は止めてくれよ。

 何か居るかな? と耳を澄ましてみる。




「ん?」


 遠くの方から音が聞こえた。ガサガサと、すさまじい足音に互いがこすれる音。密集しているのか、凄い数の虫がいるのか。ゾッとする音。近寄りたくない。

 でも道は一本道……進むしかない。いや、引き返すべきか?

 どうにでも動けるよう、すっと立つ。考えてみるんだ俺。今俺はとても引き返したい。悪寒が止まらないし、鳥肌も凄い。

 この先に危ないのが居るってのは、今のでほぼ確定した。

 でも引き返したとして、そいつが後ろから来たらどうする。そのまま不意打ち喰らうかもしれない。それだったら、そっと隠れながら進んで、そいつの正体をみれば良いんじゃないか。


「よし……!」


 小さな気合の一声。我ながら小さな手を、薄っぺらいけどちゃんと柔らかい胸に手を当てて深呼吸。

 決めたぞ俺は。ナニカが居るのなら、それを確認してからどうするか考えよう。望み薄だけど、殺れそうなら殺る。無理そうだったら逃げる。

 そうと決まれば行動だ。俺は出来る限り慎重に、ゆっくりと進む。進めば進むごとに音は大きくなっていった。ガチガチと、うるさい音が聞こえて、地面がグラグラと揺れる。


 ……なんだ? なんなんだ。はっとした。ああそうか。


「俺か……」


 小さく呟く声は震えていた。音は俺の歯が鳴っているからで、揺れは俺が震えているからだ。

 身体が全力で警告しているんだろう。ここから進むなって。俺はその警告を理性で押さえつけて進む。勇気か蛮勇か。どう呼ぶかはちょっと分からない。多分、蛮勇寄りか。

 ガサガサガサと音は大きくなる。曲がり角に着く。ここからちょっと覗けば、照明が壊れていない限りは正体が分かる。

 この音の正体を。一体なにが起きているかを、俺はあらかた察していた。

 その嫌な想像は確証がないし、そんな事があっていい筈がない。

 曲がり角に着く。べちゃりと何かが落ちる音。鉄の臭いがしたと同時に、生臭い、糞尿みたいな臭い。他にも色んな悪臭が混じっている……これだけで吐きそうだ。 そっと、角から見る。




「え?」

 予想はある意味外れていた。

 叫ばなかったのが奇跡だと思う。だって、肉が転がっていた。ミンチを固めただけみたいな、そんなモノが重なり合って山になっている。悲鳴なんて出てこない。代わりに出るのは、か細い声と吐息だけ。

 俺は意味が分からなかった。眼を見開いて見てしまった。

 人を虫が食っていると思っていたんだ。もしかしたら、俺を探しに来たヴェルエナが落ちてしまって、そして食われている。そんな想像をしていた。

 でも、なんだこれは……肉団子に、コガネムシみたいな足が生えて一か所に群がっている? 意味不明な光景だ。ハンバーグどころか、ひき肉料理が食えなくなる光景だぞ、これは。 ぬちゃあと粘液の塊をぼとりと落とした。手が震え、咄嗟に壁に擦り付けた。俺が触ったぬるぬるは、こいつの出した物なのか。


 いやだ。気持ち悪い。

 後ずさりして逃げようとした。殺るか殺らないかの問題じゃない。関わりたくないんだ。ひたすらに関わりたくない。こんな、生物を馬鹿にしたような、気持ち悪い生き物。

 俺は、こいつを生き物と呼んだのか?


 愕然としてしまう程に、こいつを生物と呼ぶことに嫌悪感を抱く。


 このグロテスクでスプラッタな場所から逃げるんだ、早く。そう思っていても、根が生えたみたいに足が動いてくれなかった。

 見開いた目が乾燥する。でも、瞬きは出来なかった。虫と虫の隙間から見えたモノ。眼が有ったんだ。いや、正確には目じゃなくて眼窩だ。眼の入っていたはずの穴だ。 一旦押さえていた歯が、さっきよりも大きくガチガチ鳴り始める。

 眼窩から虫が一匹ころりと飛び出してきた。小さな肉の虫。巻き添えを喰った虫が何匹か落ちた。そこで俺はようやく、喰われているのがヴェルエナじゃなくて、見ず知らずの青年だと知る。


 それと同時に、俺が襲われなかった理由も。 ヴェルエナの話では、入った奴はすぐに襲われる内容だった。でも俺が襲われなったのは何故か。それはきっと、俺より食いでのある、デカイ獲物が居るからだ。この人が食われたおかげで、今まで生きてこれた。

 青年は齧られて、所々骨が見えていた。なぜか溶けたみたいに爛れている所もある。唇は食い尽くされていて、歯茎が丸見えだった。ちょっと歯並びが悪い。その歯茎に穴が出来た。小さい肉虫が、その穴からぽとりと落ちる。一緒に何本か歯も落ちる。

 大きく開いた喉の奥から少し大きな一匹が出てくる。へばりついた灰色のぶよぶよした物は、あれは脳か?


 酸っぱい物が腹の奥からせり上がって来る。まて、堪えるんだ。ぐっと飲み下すと、お腹が痛んだ。


 青年の頭がぐっと膨らんだ。皮膚の切れ間から飛び出してくる大量の肉。

 全部がスローモーションに見えた。瞬きすらできなかった。足に生暖かくて、気持ちの悪い水が流れる感覚。

 あぁ、また漏らしちゃった。ヴェル姉に相談しないと。そんな風な、甘ったれた事を思った。

 恥ずかしい音を聞きつけたのか、虫の一匹が俺の方を向いた。目が合ったと直感した。



 いや、ただの勘だ。すっと退いて視界から消える。数秒待って、様子を見ようとちらっと覗いた。

 カタツムリの寄生虫をテレビのバラエティで見たことが有ったのを思い出す。触覚に収まって、前後に動いて寄生された可哀想なカタツムリを操るやつ。気持ち悪くてショッキングで、時々テレビで放送されてはお茶の間が凍り付くあれだ。

 それとそっくりの触覚。いや、目か。それがにゅっと生えてきた。肉虫の背中の盛り上がった肉の中から、不規則に何本も。

 その瞬間、全ての虫の動きが止まった。静かだった。


 汗がすうっとひいていく。

 死にたくないなら直ぐに逃げるんだと思った。でも体はポンコツだ。俺の命令に従ってくれない。

 喉が震える。まさか、おい。なんでだよ、止めてくれ。ショックなのは俺もだ。でもここは理性的に振る舞わなきゃいけない場面だ。そうだろう?

 今の気持ちは俺が良く知っている。だから頼むよ。

 喉に力がこもる。

 全て反射だ。反射的な行動だ。

 息を吸う。

 俺は理性でもって体を宥めすかしてやる必要が有った。

 腹に力がこもる。

 俺は失敗した。こうやって実況する余裕が有るか普通? 全ては一瞬の出来事だ。俺は自分が何をしようとしているのかを自覚しながら、無自覚に。

 多分全部の肉虫が、一斉に目を生やした。


「あああああああああああ!」


 絶叫した。できた。

 身を翻してもと来た道を駆ける。骨を蹴散らしコガネムシを踏みつぶす。後ろからはにちゃにちゃと粘つく音。振り返れば、俺より若干遅いくらいの速さで追いかけてきていた。


「来るなああああああ! 来るなって言ってるんだよ化け物おおおお!」


 俺はあんな風に食われて死にたくない。

 骸骨を蹴散らかす。乾いた音がした。足の裏が痛い。多分、骨とか小石とか。あとコガネムシの破片とかが刺さっているんだと思う。でも足を止めたら死ぬ。奥歯をかみしめて走る。

 壊れた扉の隙間を通り、崩れた通路に潜り込む。コガネムシ達も俺と同じ方向に逃げていた。虫にとってもあいつらはやばいみたい。


 最初に落ちてきた場所まで戻って来る。涙が頬を伝う。無性にヴェル姉に会いたかった。


「はあっ……はあっ。くそぉ」


 体力が持ちそうにない。俺の全力疾走よりちょっと遅い位が肉虫の速さ。スタミナ切れで速度が落ちれば、敵の方が早い。息が熱くて肺が焼けそうに苦しい。膝に力が入らなくて崩れ落ちそう。


「ひっ……。誰かわたしを助けてよぉ」


 振り返ってみれば、肉虫は距離を縮めていた。あいつらの体力は底なしなのか?

 もう悲鳴を上げている体でよたよた走る。肩に衝撃、少し重い。


「いぎっ!?」


 焼けたような痛みを感じて、咄嗟に振り払う。柔らかくて、生暖かくて滑り気があった。

 びちゃりと落ちた肉虫は、自力じゃ起き上がれないみたいだった。右肩に触れると皮がちょっと剥げた。やけどしたみたいだった。

 あんまり痛くないのは、重度だからか、それともアドレナリンのお陰か。


 上を見れば、小さい穴が開いていた。そこから落ちてきたのか、上に気を付けながら走る。運が良い事に上から降って来るのはその一匹だけだった。


 走って走って、そして立ち止まる。

 大量の骨があった。さっきまでさんざん見た骨みたいなのじゃない。ちゃんと時代にあった服装をしている骸骨たちだ。皆ここで死んでいったんだ。壁があった。正確にはシャッターみたいだけど、それは開かなかったらしい。

 俺はここでお終いなのかと、崩れ落ちそうになる。走馬灯が走ると思いきや、思い浮かぶのはヴェルエナの驚いた顔だ。


 俺が突き飛ばしてしまった時の、あの顔が脳裏を過ぎる。



 今はただ、ひたすらにヴェルエナに会いたかった。

申し訳ありません。大学の開始など様々な要因が重なりまして、現在の投稿速度を維持できません。

ですので、毎週金曜日の週一更新に変更させていただきます。

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