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「水、冷たいから、あまり長く入ると風邪ひくわよ」

「はーい」

「大丈夫だよ。私が居るんだから」


 二人そろって母親に返事をする。ヴェルエナがランタンとバケツを手に取った。大き目の奇石とやらが入っている。火を使わないみたいだ。俺は二人分の着替えとタオルを両手にしっかりと抱きかかえ、歩き出したヴェルエナの後をとたとたついていく。

 ちょっとした森の中の小川に行くみたいだった。虫やフクロウだろうか。色んな動物の声が真っ暗な森から聞こえてくる。襲われないか心配になる。不安をどうにかしたくて、ヴェルエナに寄って裾をぎゅっと握った。

眼を凝らしても木や茂みの影しか見えない。幽霊を思い出してぶるっと震える。

そんな俺を見て、ヴェルエナは自分のポケットをポンっと叩いた。金属っぽい音がした。武器が入っているらしい。


「ヴェ、ヴェル姉?」


 ヴェルエナがいきなり立ち止まる。直ぐ後ろをぴたりとついて行っていたから、背中にぽすっと当たる。


「どうしたの? いきなり止まって?」

「ここの森ね、奥は立ち入り禁止らしいよ?」

「え?」


 ヴェルエナが低い声でそんな事を言い出した。おいやめろ。今両手が塞がってて耳が塞げないんだぞ。昨日の夜の惨劇(おもらし)を忘れたのかこのバカ。

 後ずさろうにも、灯りから離れると怖い。ちょっと走れは直ぐに野営地だ。でもその間が怖い。動くにも動けず、俺は怯えてヴェルエナを見上げるだけ。


「奥には……山の方には大きな穴があちこち開いてるみたいでね? 昔から奥を見てやろう。穴に入ってやろうって人が、大勢いたらしいよ」

「オ、オチ読めたからもういいよ。そんな事……」


 だからなんでそう怖い話始めるかな。内容がチープでも状況のせいで最悪のホラーなんだよ。しかも現在地がネタだから余計にたちが悪い。茂みがすぐ隣の茂みがガサガサっと揺れる。肩が跳ねた。俺は凍り付く。


「でもね、ちょっと奥まで行った人は帰ってこなかったらしいんだ。なんでちょっと奥まで行ったって分かるかって?」

「聞いてないから。聞いていないからやめて……」


 ヴェルエナはゆっくりと振り返る。下から照らされて、不気味な影になっていた。涼しくて気持ちのいい爽やかな風が、今じゃもう寒風だ。寒気しかしない。体の芯から冷える。光が届かないところや、木の陰が気になって仕方がない。


「聞いてた人が居るんだって。証人って感じかな? 穴の淵で、迷ったときに手繰る為の縄を持って待ってた人が。凄い悲鳴が聞こえて、慌てて手繰ったらぷちーんって切れてたみたいだけど。血に染まってたらしいよ。さきっちょ」


 ヴェルエナはふふふふっと笑う。俺はガタガタ震える。

 よくある話だ。そうさ、よくある話だ。宿のと同じくよくある内容だ。いや、あれはある意味本物だった。え、これも本当なのか? いや、きっとあれだ。直ぐになんちゃってとか言うに決まっている。


「つ、作り話だよね?」

「さあ?」

「さあって……」


 ヴェルエナは意味深な顔で笑う。心臓がドキドキと早鐘を打つ。また寿命が縮まった。このバカ姉は俺を早死にさせようとするのが趣味なのか?


「だって、酒場で聞いた話だもん。ここら辺の村の人から」


 だから本当か嘘か知らないのよん、と冗談っぽく肩をすくめる。生まれたての小鹿みたいに足がガタガタ震えていた。昨日の夜見た幽霊の女っていう前例が有る。え、ガチなの、このネタってガチなの? という具合。


「あーもう。ごめん。本当に立ち入り禁止で穴が有るらしいけど、入った人なんて居ないよ。多分怪我したり動物に襲われりするから、森の奥には入るなって話だと思う」

「お、お姉ちゃんこの前もそう言って……昨日なんて……」


 涙がつーっと頬を伝う。着替えに顔を押し付ける。偶然ヴェルエナのが上だった。深呼吸。肺一杯に匂いが満ちる。


「あ、ああ……。アリシアごめん。そんなに怖がるとは……」


 ヴェルエナが珍しく狼狽える。俺は鼻をグスグス鳴らしながら見上げる。


「アリシア、その顔は卑怯……」


 涙目で着替えをぎゅっと抱きしめて上目遣い。涙声でたどたどしく言った。


「だっこ。おんぶでも良いよ」

「え?」


 ヴェルエナがきょとんとした。俺もきょとんとした。あれ、おかしいな。手を繋いで行こうって言うつもりだったのに。あれえ?


「え、えと。お姉ちゃん今のは、そのええっと。言葉のあやと申しますか。単語を間違えたと言いますか……。そのお」

「だっこね。勿論良いわ。そうよね。肌寒くて怖いわよね。実は私も怖かったの。ああ良かったアリシアも同じ気持ちで。さあ私の胸に飛び込んできて!」


 ヴェルエナがは口でまくし立て、手をばっと広げた。俺は小学校低学年くらいの身長。ヴェルエナは小柄な中学生くらいの身長。ぎりぎりいけるくらいかな。俺がじっと見ていると、手をぱちーんと一回打ち鳴らして、さあカモンとまた広げる。

 もう仕方ないか。おずおずと近寄って抱き着いた。着替えを落とさないよう、ヴェルエナと俺の間に挟み込む。


「もう最高。アリシア大好き。愛してる」


 ヴェルエナは俺をぎゅっと抱きしめると、片手で支えた。腰のあたりに足を絡める。でないと足がぷらぷらする。それにしても、華奢な体つきなのにしっかりと俺を支えられている。やっぱり身体能力凄いなあこの姉は。

 万が一にも見えちゃいけない物が見えない様に、ぎゅっと目を瞑る。ヴェルエナも腕にぐっと力を入れた。




「はいとうちゃーく」


 ヴェルエナがしゃがんだ。そっと足を降ろす。石の感触。流れる水音から河原だろうと思った。


「もう良いの? 目を開けても良いの?」

「え、目瞑ってたの? うん、良いよ」


 目を開ければ小川のすぐそばだった。月明かりで川底まで見える程度の深さ。綺麗な透き通った水だった。大きな山脈が奥に黒い影になって広がっている。昼間に来たら多分かなり気持ちいい場所だろう。

 アリシアにとってはよく見る光景の一つでも、日本人の俺にとってはあまり見ない。多分俺はあまりこういった場所には行った事が無いんだろう。もしくは、単純にここまで綺麗な場所があまり残ってないかだ。


「おおー」


 口を半開きにしてぼんやりと眺める。釣りしたら楽しそうだ。ニジマスの塩焼きが食べたい。居るかは知らないけど食べたい。あれ美味しいんだよね。釣ったばかりの奴を焼いて食うの。

大口開けて焼いた魚に食いつく自分を想像した。

…………魚。大きな口。海からぱっくんちょ。腰まで。生臭い。暗い。


ゾッとした。この想像はやめよう。



「はい手を上げてー」

「あーい」


 素直に手を上げる。視界が布で覆われた。え、何が起きたと困惑する事一瞬。直ぐに下半身がスースーする。下を見る。白い足が見えた。下着代わりの色気の欠片もないシャツで、上半身は見えない。ただ、シャツが若干大きくて、履いてない様に見える。

 あー服を脱がされたんだなあ。


「くちゅん」


 自覚すると同時にくしゃみを一つ。脱がされることに関しては、もう何も言わない。だって目覚めた直後に体の隅々まで洗われて、着替えさせられて、しかも漏らした後始末までやって貰っている。

 もうプライドはずたずた。ぽきぽきと小枝みたいにへし折れている。


 万歳の姿勢のまま待機すれば、手際よく真っ裸にされた。夜風は冷えるなあと腕を擦る。ぷにぷにすべすべ。癖になる感触だ。成長してもこのままだったら嬉しい。


「うう……さむさむ」

「風邪ひく前にちゃっちゃと終わらせちゃおうか。まあ看病っていうのも乙な物だけどね。私の指をこう……火照ったアリシアが朝から晩までちゅぱちゅぱと――」

「やめて。恥ずかしい」

「恥ずかしがらなくてもいいのに……」


 衣擦れの音。あれ? と思い振り返る。ヴェルエナが豪快に脱ぎ散らしていた。そりゃそうだもんな。水浴びだもん。そりゃ脱ぐよね。うんうん。なんで忘れていたんだろう俺。

 上着を脱ぎ、下着になり。そして上半身裸に。形の良い胸をついつい見てしまう。色気の欠片もない野暮ったい下着でも、ヴェルエナが着ていると妙にエロく見えた。下半身のに手を掛けたところで、はっと我に返る。


 俺は家族じゃないんだ。見ちゃいけないだろう。そう思い目を逸らす。でも目線を逸らすのはかなり苦労した。超強力な磁石に引かれたみたいな感覚だった。


「それじゃ浴びようか」


 ランタンを大きな石の上に置くと、ヴェルエナは手を差し出した。体を見ないよう、必死でよそ見しながら手を取る。細くて華奢なのにしっかりと柔らかい。どんな骨格してるんだって思った。


「どうしたの? 手汗凄いよ」

「さあ。分からないや」

「ふうん」


 お前のせいだよって言いたかったが言えなかった。言葉を濁して誤魔化す。にしても若いのにちゃんと腰はくびれていて羨ましい。尻も小さいし。

 羨ましい? いやいや。

 凝視したい。思いっきり見たい。とんでもない美少女の体を前に、なんで俺はこんな精神的拷問を受けているんだ。


 分かっているさ。俺は家族じゃない。もしかしたら単純に多重人格で、家族なのかもしれないが、少なくとも一家は俺を知らない。つまり俺はイレギュラーだ。そんな奴が無防備な娘の体を、下心たっぷりな視線で見ちゃいけないことくらい分かる。向こうが何とも思っていなくても俺が思う。

 人は騙せても自分は騙せない。良心が咎める。


 でも隣を歩く全裸の美少女。見たくて見たくて仕方ない。一瞬だけ見ても良いんじゃないか。こう、ちらっと一瞬だけ。


「冷たっ」

「おおー、これはよく冷えておりますなあ」


 そんな事を考えながらだったもんで、無防備に小川に足を突っ込む。予想以上の冷たさに驚いた。鳥肌が立つ。震える。


「つ、冷たすぎない?」

「そうだね。ちゃっちゃと終わらせようか」


 ヴェルエナも少し震えながら深いところへと進んでいく。当然手を繋いでいる俺も、半強制的に連れて行かれる。

 小川の真ん中。丁度俺の膝より少し上程度の深さで止まる。ヴェルエナが突然手を離し、バケツで水をすくい始めた。


「滑って転ばない様に気を付けてね。はい目を瞑るー」

「ちょ、待ってお姉ちゃん。それだめ――」


 ざばーっと勢いよく水を頭からぶっ掛けられる。膝まで浸かっていても寒すぎるのに、それを頭から豪快にだ。


「ひ、ひえ……」


 最悪のタイミングで、少し弱い風がぴゅーっと吹く。極寒だった。一人南極旅行だ。がたがた震え、悶絶する俺をヴェルエナはざらついた物でこすっていく。これが結構痛い。文句を言いたいけど言えない。だって寒いんだもん。歯がガチガチ鳴る。


 首筋の敏感な所をざりざりやられ、悶えていると今度は背中。腕を広げさせられて指の先っちょまで。

 一部分が終わると冷水で流される。


「アリシアが寒がってる……。風邪になったら大変だなあ……看病してあげなくちゃ」


ヴェルエナはうっとりと言う。こいつ、俺が震えているのを楽しんでやがる……。


「おおお、お姉ちゃん。そこは私があん」

「遠慮しない遠慮しない」


 足の付け根を優しい手つきでこすられる。擦りやすいように添えている手の指で撫でまわすのがこしょばゆい。肌が敏感なアリシアの体。こういう優しい感触にはとことん弱い。

ざりざりしている筈なのに、それがまたいい具合の刺激。川の中の足。その指まで擦られたる。


「お、おねえちゃあん、くす、すぐったいよ」

くすぐったくて、屈んだヴェルエナの肩に体重をかけてしまう。すごい体幹だ。びくともしない。

あらかた擦ったところで前へと。あ、ヤバい。

 真っ裸の少女のどあっぷが。


「ひい。前はわたしがやるから……お?」

「あ」


 咄嗟に突き出した両手。ふにっと柔らかくも、固い小さい突起物。自分の両手の先をじっくりと眺めてみる。

 心臓の辺り。胸だ。おお素晴らしい感触。本能的にふにふにと揉んでみる。


 ――くそお、わたしもこれくらいあれば……


 自分の胸を見て見る。悲しい程にぺったんこだった。腹が見えるぜ。悔しい。何とも言えない怒りが湧いてくる。


「ちょ、ちょっとアリシア……。積極的なのは嬉しいけど、これはちょっと恥ずかしい……」

「ひっ。ごめん」


 手をパッと放す。ヴェルエナは頬を赤くして、なにも無かったみたいに俺の前を擦る。恥ずかしいやら、やっちまったって後悔。何とも言えない悔しさにこれで良いんだっていう解放感。色んな感情がぐちゃぐちゃになって、俺は抵抗できなかった。

 安心感というか、世話されている時特有の心地よさもあった。


「実はね、ちょっと心配してたんだ」

「え?」


 ヴェルエナはぽつりぽつりと話し始めた。心配、なにをだろう。


「アリシア、この前気絶してから、なんだか様子おかしいなあって思ってたんだ」

「そ、そりゃあ……ねえ」


 ギクッとした。もしかしてバレているのか。そうじゃなくても全部ぶちまけるか? でもそれをやったら俺の立場はどうなる。俺は貴方の愛しい妹じゃありません。得体のしれない何かですって、そう言ったらどうなる。

 どんな目で見られる? 気が狂ったとでも思われるのがオチだ。万が一信じたとしても、確実に地獄の様な日々が待っているに違いない。


「でもまあ、元気で安心した。なんか積極的なのも嬉しいし」

「ええっと、その……」


 どう返事しようかと悩んでいると、ヴェルエナはふっと微笑む。よく見せる面白いから笑うっていう笑いじゃない。姉とか、保護者が見せる笑いだ。相手を安心させる様な。


「なにか隠してるのは知ってるよ。ステファニーたちもちょっと様子変だったし」

「ステファニーじゃないよ。ヘンリーとユーリだよ」

「ええー。絶対ステファニーとローランの方が可愛いと思うよ」

「二頭ともオスだよ。メス違う」


 ヴェルエナは声を上げて笑った。そしてさっきの微笑みに戻る。


「まあ、相談したくなったら相談に乗るよ。可愛い妹の為だからね。お姉ちゃん頑張っちゃう」

「お姉ちゃん……」


 ごめんなさい。俺は妹じゃないんです。思わず涙ぐんでしまった。ヴェルエナが近寄る。そっと頭を撫でられる。顔を上げる。ヴェルエナが俺を抱きしめようとしていた。


「昔からすぐ泣くんだもん。ほら、お姉ちゃんの胸で思う存分……風邪ひくか……」

「お姉ちゃん、ごめん」

「え?」


 止めてくれって言いたかった。貴方達の妹を訳の分からない状態にしてしまった俺に、そんなに優しくしないでくれと言いたかった。でも言えない。溢れ出る罪悪感に耐えられなくて。


 だから距離を取りたくて、衝動的に突き飛ばして、反対側に走った。


「ちょっとアリシアどうしたの!? そっちは危ないから戻ってきゃあ!?」


 大きな水音。ヴェルエナが転んだみたいだった。川を渡り、茂みに飛び込む。やたらめったらに走って走って走って。

 ヴェル姉の声が小さくなるくらい離れて、正気に返った時には浮遊感に包まれていた。


「あ、え?」


 強い衝撃。背中が石やら土やらが当たる。滑り落ちているみたいだった。目の前は真っ暗。手を伸ばすが弾かれる。土だ。穴だと直感した。ヴェルエナの話に出てきた奴だ。


 なんで姉さんが言う事は大抵本当になるんだ!

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