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 気が付けば俺は寝ていたみたいだった。眼を開ければ夕方。赤く染まった空がきれいだった。丁度野営の準備をするみたいだった。


「おはよう。アリシア」


 ヴェルエナが俺を抱きしめながら言った。俺は何て返せば良いのか分からず黙りこくった。それでも幸せそうに笑い、頭をゆっくりと撫でられた。疲れた体。体重を完全にヴェルエナに預けてぐったりするのは気持ちよかった。


「目が覚めるおまじないしてあげるね」


 そういうと、ヴェルエナは俺の頬を両手で挟み、ぐりぐりと動かした。頬は火照っていたみたいで、ひんやりと冷えた感触が心地いい。思わず目を細め、何とも言えない声を出してしまった。されるがままって、案外良い物なんだなあ。

 涼しい風が吹く。空を見上げれば点々と星が見える。日本とは違って照明なんて無い。夜には満点の星空が見える筈だった。満点の星空。()は見た事あったかな。無かった筈だ。そんな気がした。


「目が覚めた?」

「んー。でももうちょっとやって」


 つい無意識でそんな事を言ってしまった。これには驚いた。自分から求めるとは思わなかったからだ。ヴェルエナはクスクス笑うとそっと俺の耳に口を寄せる。


「また今度ね」

「あ……」


 耳に触れる柔らかい感触。まさかと思い振り向いて見て見るが、もう離れていた。笑顔が近くで見えた。ほの顔が予想以上に可愛らしくてドキドキした。ヴェルエナの手が俺の胸の辺りにある。揉んでいる訳じゃない。落ちない様に支えているんだ。だから多分、分かっているんだと思う。


「おーい二人とも、手伝ってくれー!」

「はーい。今行くよお父さん! アリシアもいこっか」

「うん」


 俺は小さく返事をすると、こくりと頷く。




 俺の仕事というのはそう多くない。非力で力仕事が出来ないからだ。だからやる事と言えば、生まれた時から一緒に居る馬をそこら辺に繋いで、面倒を見てやることだけ。

 馬車から外し、近くの木に繋ぐ。小川も流れていて、涼し気で良い場所だった。キャンプ地に良いかも。ちょっと歩けば街道にも入れる。



「お待たせ―。今日はお前からだよヘンリ―」


 栗毛の眼が優しい馬。大人しい性格で、結構賢い。とうか、うちの馬二頭はどっちも賢い。俺が思うに、多分アリシアより賢いんじゃないかと思える時が有る。ヘンリーともう一頭のユーリは俺が近づくと、いつものようにしゃがむ事はしなかった。ただじっと俺の眼を見ていた。


「……こっちも驚いてるんだ。まあ、仲良くしようぜ?」


 動物は第六感が鋭いって聞くけど、本当みたいだ。やっぱり賢い。ちょっと誇らしくなる。

 二頭は俺を警戒しつつもゆっくりとしゃがんだ。丁度アリシアが手入れしやすい高さだ。アリシアがいつもやっている様にブラッシングしてやると、ちょっと居心地が悪そうに俺を見た。


 二頭目のユーリはかなり気が荒かった。いつもはアリシアに慣れているというか、妹分扱いでじっとしている。ただ中身が俺だと分かっているのだろう。ちょっとでももたつくと、すぐに警告する様に唸った。

 それでも何とかブラッシングを終わらせると、ヴェルエナがバケツを持ってやってきた。


「いまお湯用意してあげるからね」


 そういうと水をなみなみと汲んだバケツに手を突っ込んだ。手の平の入れ墨みたいな線がほのかに光り、暫くすると湯気が立つ。便利なものだなあと眺めた。あの線が光る。つまりあれが重要な役割を果たしているに違いないと考えて、自分の手を見た。

 真っ白ですべすべもちもちの、何の変哲もない手だった。


 バケツにタオルを突っ込み、力いっぱい絞る。腕力も握力も皆無だから水はまだ滴っている。ただまあ、多少は水気が多い方が馬も気持ちいいだろうさ。

 滴る水で自分を濡らさないよう気を付けながら馬の所へ戻る。目元、つまり急所を弄られるのはストレスが大きいのだろう。二頭ともさっきより落ち着きが無かった。




 この世界の保存食はあまり発達していないのだろう。まあ、日本のレトルト食品を基準に考えてしまえば、大抵の物は未発達になってしまう。ここでいきなりインスタントカレーを持ち出されても逆に困惑する。多分度肝抜かれるだろう。

 つまり、瓶ずめは貴重品。缶詰は軍用で一般にはあまりない。有っても高価。塩漬けや干した食品がメインになる。

 んで俺ら一家が立ち寄った場所は漁港。旅人は立ち寄った街から物資を補給すると相場が決まっている。というか補給しない方がおかしい。

 港町の名産品は、安くて大量に手には入る保存食とはなんだ。分かるだろう。魚だ。


 水っぽいスープに浮かぶ魚の塩漬けを見て、俺は鳥肌が立っていた。両親もヴェルエナも美味しそうに飲んでいる。ホカホカと湯気が立っていて、ああ美味しそうだなあと思う俺が居る。でもだ。こっちはトラウマ持ちだ。

 美味しいとか不味いとかそういう事じゃない。魚は魚だ。パサつき硬いパンを握りしめる。齧って食おうにも顎の力が足りない。唾でふやかそうにも水分が足りない。一切れ二切れで口の中がぱっさぱっさになるだろう。

 スープに浸して食べるしかないんだ。


「母さん。アリシアに――」

「駄目よ。好き嫌いで食べられなくて、もし飢えたらどうするの? 食べられる時に食べる。鉄則よ」


 父親の優しさが有り難かった。母親の言う事はもっともだと思った。そりゃそうだろう。地球でも食料が安定したのは緑の革命の後だ。それでも先進国以外は飢えている人も多い。

 食える時に食う。それしかないんだ。

 でも食う勇気がない。視界が歪み始める。


 え? 嘘だろ? この程度で泣くのか俺は。


 愕然とする。俺の予想以上にアリシアは甘ったれだった。これ現代日本にもまず居ないレベルだぞ。逆に凄いな。


「アリシア、貸して」

「あ!?」


 ヴェルエナは俺からスープが入ったお椀とパンを取ると、魚をほぐしてパンに乗せた。というかパンで包んだ。凄いな。結構硬いパンを簡単に千切ってる。見れば両親も普通にパンをちぎって食べていた。ヴェルエナが特別力持ちじゃない。俺が特別非力なんだと分かった。苦々しくなる。

 この感覚は、多分アリシアのコンプレックスの一つだ。


「はい目を瞑って」

「え?」


 ヴェルエナはスープに浸したパンをフォークで突き刺した。


「魚怖いんでしょ? 口に入れる勇気もない。ほら、あーんしてあげるから。入ったらすぐ噛んで飲み込む。ほら解決。ね?」

「ええ、いや。ちょっと待って」


 ヴェルエナはお椀とフォークを俺にずいっと近づけた。じわじわと口に持ってくる。多分この動きは、俺に当たるまで止まらないだろうと直感する。


「はいあーん」

「……あーん」


 舌に乗る感覚。ぱくりと食べる。塩気が丁度良くて美味い。いや、美味い筈が無いんだけど美味いと感じてしまった。随分と不思議な感覚だ。混乱している俺に、ヴェルエナはおずおずと聞く。


「もしかして、不味かった?」

「いや、美味しかったよ」


 ぱあっと笑った。たき火の光に照らされるその顔は、昼間とは違ったか雰囲気で妙な色気が有った。


「私の冷める前にじゃんじゃん食べちゃおう。はい、あーん」

「あーん」


 食べ進めていく間に気が付くことがあった。徐々に魚の比率がでかくなっている。これはあれか、徐々に慣らしていくためだろう。完全に幼児の扱いだが、何故だろうか。恥ずかしさは無い。それどころか、肩の力が抜けて気楽ですらあった。居心地が良い。


 両親はとっくに食い終わっており、片付けていた。

 もうほとんど魚の一切れを飲み下すと、、ヴェルエナはぱちぱちと拍手した。やっぱり嬉しそうに笑っている。本当によく笑う娘だと思った。喜怒哀楽の怒哀が抜けてるんじゃなかろうか。


「おめでとう。これで完食だよ!」

「いやあ、それほどでも」


 アホっぽさ全開な表情だと自覚する。バカっぽく、えへへと笑う。汁気と具の配分が完璧らしく、文字通り空っぽだった。デザートと言って渡されたクルミと干した果物を握りしめて、ヴェルエナを見る。


「どうしたの? 食べないの?」

「ヴェル姉が終わるの待つよ」


 そう言ってやると、ヴェルエナはすさまじい勢いでかっ喰らい始めた。緩んだ顔で、ちょっとラリってそうな表情だった。口にフォークを突っ込むとき、小さく何かを言っている。何だろうと耳を澄まして後悔する。


「アリシアが使ったフォーク……」


 間接キスだ。派手に間接キスしてた。やっちまったと顔が赤くなる。本当に態度に出やすいなこの体。ポーカーフェイスも作れんのか。



「甘いね」

「うん、甘い」

 食後のお茶は美味しかった。干したレーズンみたいな果物をかじりつつ飲む紅茶は格別だった。砂糖は入れていないから甘くないが、その前に果物をかじればちょうどいい。

 二人して顔を見合わせて、にへらっと笑う。なんだ、こいつこんなバカっぽい顔も出来たのか。

 年相応の顔に見えて、ちょっと安心した。


 食器の片付けも終え、満点の星空を眺める。星座にはあまり詳しくないが、北極星と大三角形くらいは知っている。この世界にも似たような星座が有るらしい。

 ヴェルエナは空を指さすと、あれやこれはこういう星座だと講釈を垂れ始めた。知っている星座は無かった。逸話を聞くのも面白かったが、やっぱり俺は見慣れた北極星と大三角形ばかり見ていた。


「さてと。ねえアリシア」

「なにヴェル姉」


 ヴェルエナはひときわ元気よく言う。いつの間にかどこかへ行っていた父親が戻って来る。髪が濡れていた。まさか。


「水浴び! しよう!」


 やばい。危機感を感じる。昼間のあれもある。確実に来ると分かっていた。反抗すべきか否か。

 俺が結論を出すよりも早く体が動いていた。頷いて、一言。


「うん」


 もうおしまいだと思った。

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