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「それじゃあ出発よ!」

「おー!」


 母親は明るい声で言った。ヴェルエナも合わせて元気な雄たけび。俺はただ馬車の隅。積み荷の商品の隙間に潜り込んでは小さくうずくまっていた。思い出すのは昨日の出来事。

 最後に見た謎の女。居るじゃないか幽霊。何が嘘だ。漏らしたのは俺にとってもかなり屈辱だが、アリシアは更にショックを受けているみたいだった。優しく接してくる姉の対応が、逆につらかった。


 馬車が進み始めた。振動に任せてゆらゆらと左右に揺れる。周りの積み荷の箱だとかに、体のあちこちをごちごちぶつける。ちょっと痛い。そういえば何が入っているんだろう。近くにあるご飯と書かれた箱を開ける。


「ひい」


 魚の干物が入っていた。ぞっと鳥肌が立つ。見なかったことにしてさっさと閉じ、私物が入った鞄を重石代わりに乗せた。適当な隙間に押し込んで視界から消す。これで忘れれば完璧だ。魚なんて最初からなかった。魚なんて最初からなかった。

 こんなので忘れられたらどんなに楽か。完全にトラウマだ。トラウマと言えばトイレで見たあの幽霊。尋常じゃない程怖かったなあ。眼玉がないんだよ眼玉が。

 思い出したせいで天井が気になった。そっと見れば、幌しか見えなかった。幽霊なんて居ない。でも一度気になってしまったら、隙間や暗がり。あと真後ろが妙に気になる。気になって後ろをみれば前が。前を見れば後ろ。そしてその間に左右上下が気になる。


「アリシア、何してるの?」


 くるくる回る俺を見て、馬車の後ろ側で風に当たっていたヴェルエナがニコニコしながら話しかけてきた。昨日漏らしたのを思い出して、かあっと顔が熱くなる。逃げ場は、あった。あの隙間だ。慌てて飛び込むけどそこまで奥行きが無い。なので、頭隠して尻隠さず状態になる。それでもまだ顔を合わせるよりはマシだ。


「あらー。可愛いお尻が……撫でてって事かな?」

「んなわけないでしょバカ姉! 御者台にでも行って風に当たったらどうなの!? 酔っても知らないよ」


 クスクス笑う声がくぐもって聞こえる。俺も負けじとどっか行けと叫ぶ。ヴェルエナは馬車酔い、というか乗り物全般に弱かった。普段は風に当たるところや、後ろ側で遠くの景色を眺めているか、もしくは寝るかしていた。

 アリシアは馬車からふらふらと降りると、草むらでげーげー吐いているヴェルエナの姿を何度も見たことがあった。


「今日は調子がいいみたいでね。まだ大丈夫だと思う。あーでも多分長くはもたないかなあ」

「だったらさっさと行けばいいでしょ」


 ヴェルエナが俺の足を弄る感触。こいつ、靴を脱がそうとしている。足をばたつかせて抵抗するが、そもそもの身体能力が違いすぎる。なんでこれ程スペックに差があるんだと愕然した。その理由を、多分アリシアは知っている。ただ思い出したくないのだろう。そんな感覚がする。


「こーら暴れない、暴れない。私はアリシアと一緒に居たんだけどなあ。アリシアにねーもたれかかって遠くの景色見たり風に当たったりしたら、多分今日は酔わないと思うんだよね」

「嫌だよ。私は一人のうひいっ!? お、お尻とか脚撫でないでよ! 動きがなんか嫌らしいから! 気持ち悪いからそれ!」

「素直じゃない子はねえ。お仕置きよお仕置き」

「いははははああ! 止めて止めて! くすぐったいから!」


 尻や脚を撫でまわしていた手は、そのまま俺の足の裏をくすぐり始めた。すべすべした指の腹で表面を軽くスーッと撫でたり、足の指の付け根辺りを軽くこすったり。かと思えば爪の先っちょでさっとひっかく。特に爪が駄目だった。それ以外のはくすぐったいのもあるが、ある意味気持ち良かったりする。でも爪はひたすらにこそばゆい。かゆみに近い。


「爪は止めて爪は! それきついから本当にきついから!」

「んじゃ出る?」

「う、それは……」


 また爪でくすぐられる。俺は身を固くして耐えた。息が荒く、熱くなる。まさに息も絶え絶えだった。


「この柔らかくてぷにぷにーってしたアリシアの足が、これから先どうなっても知らないよ?」

「あ、それ止めて……もう無理だから……」


 ヴェルエナは俺をじらす様にくすぐり始めた。爪は立てずに指の腹で撫でる。スカートをぎゅっと掴んで耐える。手汗が凄い事になっているのを自覚した。


「もう…降参だから。出るからあ。それいやなの。もういやあっがっ!? いってえ……」

「きゃ!?」


 ヴェルエナの驚いた声。俺の痛む顎。馬車が石にでも乗り上げたみたいだった。どんっと跳ねた拍子に顎を床に思いっきりぶつけた。ジンジンと痛む。熱を持っている。涙目で隙間から這い出る。ヴェルエナはなんだか申し訳なさそうに俺の靴を握りしめていた。


「顎、痛い……」

「ちょっと見せて」

「ん」


 頭を上に反らしてヴェルエナに顎を見せる。顔が近づく気配。吐息を感じる。


「赤くなってるね。ちょっと擦ってるみたいだし、血がにじんでるよ。痛いでしょ」

「痛い」

「そっかそっか、なら」


 ぺろりと顎を舐められた。肩が跳ねる。何してるんだこの姉。舐めて治そうとかいう奴じゃないだろうな。でもいきなり舐めるなんて。

 “俺が”そう思ったところで、気が付いた。アリシアが全く動揺していない。それにむず痒い感覚が痛んでいた部分に広がって、やがて消えた。痛みも熱もない。なんだこれは。なにをしたんだヴェルエナは。


「はい治った」


 なんなんだこれは、と眺める俺にヴェルエナは冗談っぽく舌を見せながら言った。アリシアの体は、これを当然の事のように感じて全く動揺していない。つまり今の現象は、この姉妹にとっては日常という事だ。顎をそっと撫でてみる。すべすべで撫で心地が良い。いやそうじゃない。涎が付いているだけで、血もなにも無かった。擦った後の感触もない。


「ね? 治ってるでしょ?」

「う、うん」


 これはあれか。昨夜見た魔法とやらの一種なのか? ということはもしかしたら、俺にも似たようなことが出来るのかもしれない。

 一瞬だけ期待したけど、なぜか失望感を感じる。その感情から、アリシア自分が多分魔法を使えないタイプの人間だと知っているんだと分かった。

 まあいい。どいつもこいつも、そんな気軽にホイホイと超常現象をおこされたらたまったもんじゃない。今のところ、有ると結構便利くらいの魔法しか見ていないが、日本の創作物の中にはあるじゃないか。海割ったり山ふっとばしたり。魔法なんて物が有る世界なんだから、文字通り天空の城なんてあるかもしれない。

 いや、さすがにそのレベルのは無いかもしれないけど、まあ魔法は魔法だ。

 魔法なんておとぎ話にしかないと思っていた技術への興奮と、遅れて実感する舐められた感覚。二つの理由でドキドキしながら、俺は言った。


「いいなあ。わたしも魔法使いたいなあ」


 自分でも驚くくらい実感がこもっている声だった。きっとアリシアの望みでもあるんだろうなあと思った。劣等感を感じ、真剣に使いたがっている奴の声だった。

 俺の声に、ヴェルエナは表情を凍り付かせた。俺の頭を優しくひと撫でする。


「それじゃあ、久しぶりに寝る前に練習しよっか」

「うん!」


 元気よく俺は返事をした。多分、俺が俺じゃ無くてアリシアだったら黙っていたんじゃないかと思う。それともちょっと微笑んで首を縦に振ったじゃないかな。




 馬車の後ろ側。開いた幌から外を見ていた。俺たちは緩やかな坂を上っていた。港町が遠くに見える。潮風が気持ちよかった。海は魚に食われたのを思い出すから極力見ないようにした。

 がたがた揺れる馬車。ゆらゆら揺れているのも疲れるし、荷物に寄りかかると体をぶつけて痛い。どうしたもんかとヴェルエナの方を見た。


「ん?」


 俺の視線を感じたのか、こっちを向くと小首を傾げた。潮風が効いてるのか、それとも遠くを見ているからか、本人が言う様に妹と並んでいるのが良いのか。はたまた全部か。酔う様子は無く、元気そのものというか、上機嫌そのものだった。

 俺は少し悩んで決意した。

 身体の力を抜くとそのままコトンとヴェルエナにもたれかかった。柔らかくて良い匂いがするし、温かい。背中に腕を回され、そのままグイっと引き寄せられる。プルプルと震えていた。

 実は、美少女でしかも姉というのにもの凄い価値を感じている俺が居る。しかも姉は甘えるともうこれ以上ないって程喜ぶ。

 言い訳を一つ。アリシアはかなりの甘ったれで若干我儘な末っ子タイプ。泣き虫で、かなり楽観的な性格。つまり、反抗期を気取っているけど実際は姉が好きでたまらないタイプだ。

 俺とアリシアの利害が一致した結果がこれだ。凄まじい安心感に多幸感。もうずっとこのままで居たい。

 ヴェルエナがプルプルと震えていた。なんだなんだと見て見れば、目を見開き口をパクパクさせていた。顔が真っ赤になっている。始めて見る顔だ。ちょっと面白いぞこれ。


「ア、アリ、アリシアがいつもより……いつもより積極的に……!」


 これ、追撃したらもっと面白いんじゃなかろうか。良い事を思いついた。

 俺はにこっと微笑むとちょっと背伸びして、ヴェルエナの耳に口を寄せる。内緒話の体勢だ。


「ねえお姉ちゃん」


 呼気を耳に吹きかける様にして、そっとささやく。さぞこそばゆかろう。俺を抑えるヴェルエナの腕がびくっとした。


「な、なに?」


 何かを言いたいんだろうと、ヴェルエナは耳を俺に近づけた。丁度口元に来るように。俺は口をあーっと開けると、カプリと耳たぶに噛みついた。歯は立てない。甘噛みだ。唇で挟むといった方が近いか。


「……え?」


 困惑の声一つ。ヴェルエナはしばらくの間固まっていた。徐々に耳が熱くなっていく。困惑の表情から、理解した顔になり、最後にはすっぽりと表情が抜け落ちていた。

 やり過ぎたかな、そう思ったがとりあえずトドメで、ぺろっと耳たぶを舐めて放した。俺の袖口で付いた涎を拭きとる。


「アリシア」

「なあにお姉ちゃん?」


 甘えた声で言ってやる。さあ、どう来るシスコン。客観的に見た気持ち悪さでは俺も負けてないぞ。

 ヴェルエナはギギギっと音がしそうな程不自然な動きで俺を見た。真顔。これは引かれたかな。ちょっと不安になる。


「ねえアリシア」

「きゃっ!?」


 いきなり両脇を持ち上げられるが、すぐに柔らかい物の上に降ろされる。膝の上みたいだ。背中に当たる幸せな感触。がっちり抱きかかえられ、抜け出せそうにない。

 ヴェルエナの荒い息が首筋に当たる。サラサラの髪の毛と吐息がくすぐったい。俺の首元に顔をうずめているみたいだった。これはやばい。何が起きるか分からないがやばい事が起きるのは分かる。


「アリシア、アリシア! ああ最高の妹。今ここで死んでもいい!」


 大興奮したヴェルエナがすさまじい勢いで頭を撫で始めた。今の俺はワンピースタイプではなく、ヴェルエナと同じく上下別れた服を着ている。旅装束って感じの丈夫で厚手の服装だ。色気の欠片もない。つまり、


「アリシアの髪の毛良い匂い……。これはもう何しても良いって事よね?」

「ヴェル姉? 落ち着きゃいん!?」


 裾から手を突っ込めるという事だ。


「あはははは! やめてえお姉ちゃん!」


 ヴェルエナは俺の腹を撫でまわす。くすぐったくて笑いが止まらなかった。徐々に手が上へ上がっていく。



 ああ、やっちまった。完全に自爆した。

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