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 ヴェルエナの甘い匂いに包まれていた。昔のヨーロッパでは、基本的に数日間同じ服を昼夜問わず着まわすと聞いていたが、この一家はそういう事はしないみたいだった。金はあまりないが客商売。常に清潔で居るというのが拘りみたいだった。

 つまりヴェルエナと俺は今、結構薄手の寝巻を着てる。ネグリジェっていうのかな。

 ヴェルエナは俺を完全に抱き枕にしていた。頭もしっかりホールドされているし、背中も手が回されている。両足もばっちり絡んでいる。

 アリシアが感じた安心感が消えた後はちょっときつかった。この姉、伊達にシスコンではない。容姿で言うならばアリシアが黙っていれば寡黙な深窓のお嬢様に見えるのに対し、ヴェルエナはそれを成長させて、更に胸も膨らませて、活発さを追加した感じだ。でかすぎず小さすぎず。程よい大きさ柔らかさ。実に素晴らしい胸の持ち主だ。

 思わず胸を揉みたくなったよ。色々セクハラまがいな事も、今なら堂々と甘えるふりしてやれる。反撃でこっちもやられるかもしれないけど、そこはお互いだ。見方を変えればご褒美だ。美少女姉妹が乳繰り合っている。客観的に見れば最高の素材でもある。



 男としての主観でみれば、完璧なシチュエーションなんだ。今は。ただネックなのはやはり罪悪感。他人は騙せても自分の良心は騙せやしないのさ。アリシアにとっては色々とうざったらしいかもしれないが、大切な家族で大好きな姉だ。それに手を出すのは不味かろう。近親で、しかも同性だ。


 俺が男で、弟を可愛がっていたと考えてみる。ヴェルエナレベルではないにしろ、遊びに連れて行ったり、小さい時には一緒に風呂に入ったりもするはずだ。一緒の布団に寝て……駄目だ。この段階で吐きそうになる。俺は弟が居たのかもしれないな。多分仲は悪かった。

 ああ、だめだ。吐き気がする。もう止めよう。この想像は誰も得しない。


 結局何が言いたいかというと、ヴェルエナは母性と言うのか、そういうのがかなりヤバい。ヤバいとしか表現できない程ヤバい。昼間は気絶し、俺という存在について、アリシアやガソッド一家への罪悪感を感じている現状。そう簡単に寝れないだろうと思っていた。思っていたが、背中をトントンと叩かれているうちに寝た。

 即座に陥落だった。俺とアリシア、どっちが幼稚なのか判断に困る。隠されたマザコンの素質が俺にあるのかと、かなり悩む。アリシアの性質だと信じたい。信じたいが確証がない。




 窓の外から鐘の音が聞こえる。二回だけ鳴って消えた。体感では三十分経っていた。多分実際は十分かそこらだろう。今のは教会の、時刻を知らせる鐘だとアリシアの記憶が教えてくれる。深夜二時。草木も眠る丑三つ時……か。

 夜中も夜中の真夜中に、ヴェルエナにがっちりとホールドされて動けない、そんな真夜中。俺は悲しんでいた。何を? 近い未来をだよ。多分これから一時間以内の未来。姉の胸の柔らかさや安心する匂い。体の感触を楽しむ余裕なんてちっともない。

 ああ神様。俺を救い給えと真剣に祈った。どこの神でもいい。俺を助けてくれ。


 尿意と脂汗が止まらないんだ!


 思えば俺はなぜ寝る前にトイレに行かなかったのだろう。激動の一日で、トイレに行く事を完全に忘れていたのかもしれない。膀胱では括約筋が暴行されていた。内側から、早く出させろとゲシゲシ蹴られたり、隙間をこじ開けようと突っつかれたりと大惨事だった。液体だから、ちょっとでも隙間があるとすぐ体をねじ込んでくる。

 ヴェルエナに回した手をちょっと動かして。本当に慎重にそっと静かに動かして、姉さんの腕を浮かせてその隙間から部屋を見る。真っ暗だった。きょろきょろと目だけ動かして、脇の間の世界を眺める。なにか黒い影が見えた。ぱたんと隙間を閉じる。

 心臓がドキドキしていた。落ち着け、よく見てみるんだ。アリシアの方はお化けを信じているかもしれないけど、俺は違う。あんな物非科学的だ。どうせ何かの影に違いない。そうだろ?

 もう一度脇の間の世界を見てみる。なにかがうずくまっている様な黒い影。瞳孔が大きくなる感覚。目を瞑りたいのを堪えて、じっと眺めてみる。あそこには確か……。思い返してみる。

 ああそうだそうだ。ははん、あれは鞄だ。着替えとか、本当に大事なものや遊び道具が入った鞄だ。それを見間違えたんだろう。幽霊の、正体見たり、枯れ尾花。大したことないでやんの。

 ギシリと床が軋んだ。


「きゅぴ!?」


 思わず変な声を出してしまった。心臓が飛び出るかと思った。誰も起きてやしないだろうな。蘇る記憶。前に一緒アリシアがヴェルエナに夜付き添ってもらって、トイレに行った記憶。からかわれたり、優しい目で見られたりと、大変恥ずかしかった思い出だ。くそ、いらんことを思い出しやがって。余計トイレに行きずらいじゃないか。


「ぴっ!?」


 たたたっと天井裏を走る足音。だからなんで驚いた時の声が変な泣き声みたいなんだよ。うわっ、とか、うおっ、とかだろ普通。

 人間の一生で心臓は二十億回くらい鼓動するってどこかの誰かが言ってた気がする。だったら俺は今、すさまじい勢いでそれを消費している事になる。落ち着け心臓。早死にはごめんだろう。

 どうせ今のはネズミだ。寝る前にも聞いたじゃないか。ネズミの声と足音を。この宿はぼろいんだ。ネズミの一匹や二匹。腐るほどいるさ。

 でも俺が鞄だと思った物が、本当に鞄であるかなんて分からなくないか? ネズミだってそう思ってるだけかも……。

 要らんことを考えるな俺。あれはネズミで、床のは鞄だ。くそ、尿意がきつい。少しずつ、すぐに蒸発するくらいの量をちょっとずつちびちび出せば、いや駄目だ。それは人として駄目だ。そんな直ぐ乾かないし、どうせ決壊して姉と仲良く水浸しだ。

 まだ余裕は少しある。まだ耐えられる。日の出までは遠い。なら決意を固めて、勇気出していくしかない。

 それかプライド捨ててヴェルエナを起すかだ。


『そういえばさ、ここ……出るらしいよ?』


 幻聴か空耳か。それとも思い出の声を聞いたと錯覚したか。なんで数日前の事を思い出すんだ。しかも


『昔ね、ここでならず者が泊ってる人と宿屋の人を全員殺してね、捕まらずに逃げ切ったらしいんだって。今の御主人がここを買って、また宿屋開いたらしいけど。だからね、時々出るんだって。昔殺された人が、お前か? お前か? って探してるらしいよ。犯人を』


 怖くもないつまらん怪談話だ。ヴェルエナの作り話さ。その後、嘘だよって笑っていたもん。


『まあ、嘘って言ったのが嘘かも知れないけど……ね?』


 バカ姉め。なんで意味深で思わせぶりな事を言うんだ。あれ、もしかして本当なのかも、って思っちゃうじゃないか。


 脂汗が止まらない。服がぐっしょり濡れているのは、きっと汗だと信じたい。もう一度脇の間の世界を見る。大丈夫だ。あれは鞄。あれは鞄。脇に立ってるように見える、一本足のちょっと大きい影はテーブル。

 さあ覚悟を決めろ俺。

 深呼吸をする。急いでいかねば手遅れになる。もう自分の歩く速さじゃかなりきついレベルだけどもまだ間にあう。頑張れ俺、動けよアリシア。ガソッド家次女の意地を見せろ。

 もぞもぞ動いてヴェルエナの拘束をとく。


「ん」


 ヴェルエナが寂しそうな呻き声を上げた。よし解けた。薄い毛布をそっと捲り、ベッドから降りる。砂やらでざらざらする床。足先で靴を探す。あった。少し硬い靴だ。


「ぴぎゃっ!?」


 あ、ちょっと漏れたかも。ヴェル姉……じゃなかった。ヴェルエナの背中に縋りつく。

 靴に半ばまで足を入れたところで、階段から物音。ぴしっと何かが弾ける音だ。ただ家鳴りだ。乾いた木材がなんちゃらとか、そういうあれだ。決してラップ音じゃない筈だ。

 ヴェルエナを叩き起こせば恐怖感も解消で明かり問題も解決。


「ねえお姉ちゃん。ヴェル姉起きて」

「ううん……。アリシア……!?」

「え?」


 耳元でささやき揺り起こす。起きたヴェルエナは俺の方を見て、眠そうな目を見開いた。なぜ焦ったような声を出している。

 俺が不安な表情を浮かべたのが分かったのだろう。ヴェルエナは笑った。


「ごめんごめん。ちょっと目がぼんやりしてて、天井の染みが……ね?」


 だから思わせぶりな事を言うなって。


「それでなに? トイレ?」


 ヴェルエナは優しい声で囁いた。俺はコクンと頷く。


「ねえヴェル姉」

「なに?」

「我慢してたんだけど、漏れそう」

「え?」


 俺は笑顔で言った。絶望的な乾いた笑顔で、目が笑ってないんだろうなあと思った。


「多分もうだめだと思う」

「ちょっと、もう少し早く言ってよ。おぶっていくよ。そっちのが早いでしょ?」


 そういうや否や、ヴェルエナは俺を抱えると駆けた。明かりの為に魔法で奇石を光らせる。は? 魔法?

 おいアリシア。これ、普通なのか。本当に。え、マジか……。魔法あったかあ、有っちゃうか……。

 俺が衝撃を受けている事も知らず、ヴェルエナは階段を駆け下りる。廊下の奥にある小さい小部屋の前で止まり、俺を降ろす。


「ほら、早く入って入って。ここで待ってるから」

「約束だよ!」


 トイレに駆け込み扉を閉める。ボットン便所の様で臭かったが、便座は比較的清潔だった。ワンピースみたいな形状で裾は長い。それを捲りあげる。扉の隙間から入る光に照らされ、つるつるの下腹部が見える。肌が白いもんだから薄明りでも浮かび上がって見える。

 ふと気になった。ヴェルエナは何を見たんだろう。部屋には明かりなんて無かった。寝起きの眼でそんなはっきり見える物かね?

 こういうのお約束だよなあ、と天井を見上げる。ばっちりと目が合った。眼玉が無い女と。


「あぎゃあああ!」


 ふっと女は消える。ああ。足が温かいのか冷たいのかよく分からないや。というか普通の悲鳴も上げられたのね。わたしびっくり。


「アリシア! どうしたの?」


 俺の悲鳴を聞きつけた客たちが、何事かと部屋から出てくる。ヴェルエナはトイレに入ると扉を閉めた。潤んで歪んだ視界で見上げる。


「お姉ちゃん……」

「あー、やっちゃたかあ……」


 目が熱い。大粒の涙がぽろぽろと流れる。ヴェルエナはポケットからハンカチを取り出し、俺の濡れた部位を拭いていった。酷く優しい感触でかなりくすぐったかったが、笑えなかった。ただただひたすらに涙がしょっぱかった。

 初めてのトイレが大失敗。手がまたほのかな桜色に染まっていた。

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