19
さて、俺はここに一つ告白をしなければならない。この絶体絶命の窮地に対し、何の打開策も浮かばない事を。俺が出来ること、いや違う。今現在やっていることと言えば、ただただ止まらぬ冷や汗を滝のように流しながら、定まらぬ視線でもってきょろきょろと周囲を見ている事だけだ。
なにか打開策は、と考える余裕もない。全くの思考停止状態と言える。
「ど、どこかに、で、でかけ、なに、え? でっか……はは」
声が段々と上ずる。ヴェルエナにがっしりと両頬を挟まれ、視界を強制的に固定される。ぐっと近寄った真面目腐った顔。目をどう動かそうがヴェルエナの顔しか入らない。これ前に倒れたらキスでもできるんじゃなかろうか。試して放心状態のヴェルエナの好きを、違う。隙をついて逃げようか。
それは良い考えの様に思われた。
「アリシア。何をしようとしてたの? こんな……あ、結構的確な荷物入れてるね。魔力使わない方式の照明とか、武器とか」
器用に片手で背嚢を開け、中身を改めるヴェルエナ。残った片手は二本の指で俺の顔を挟む。つまり、頬がぐにゅっとなっている状態だ。指と爪が食い込んで少し痛いが、緩めてくれる様子もない。
今気が付いたが、前にも横にも後ろにもびくともしない。指の力が強すぎて、完全に抑え込まれている。
手を外そうと両手で引っ張ったりぺちぺち叩いたりしてみるが、これまたびくともしない。悲しきはフィジカルの差だ。子供と大人じゃなく、蟻と象ほどの差がある。いや、これは言い過ぎか。
「離して。痛いから離して」
「だーめ。これはお仕……なにそれ。すごい顔」
ヴェルエナはこっちを向くとコロコロ笑った。唇を突き出し、頬も押しつぶされている。笑える顔だろう。
「それで、こんな重装備でどこに行こうとしてたのかな? 着替えの袋まで用意しちゃって……。あーあー。旅装じゃない。特に頑丈な奴」
ヴェルエナは俺の顔を離した。痛そうに白い二本の指の間を撫でている。限界まで指を開いていたのが原因だろう。
「ちょっとそこまで……」
「夜の散歩にしては重装備過ぎない?」
ついヴェルエナから視線を外すが、その度に顔を動かし入ってくる。アリシアと俺は嘘が苦手な性質のようだ。本当に何も浮かばない。
どう答えた物かと悩み、出来るのは黙秘すること。
「アリシア、正直に言ってほしいな。そうしないと私も何も出来ないよ」
ヴェルエナが優しい声で言った。俺は何事かを言おうと口を開いたが、自分でも何を言おうとしたのか分からなかった。息が喉を通る音が出ただけだ。
正直に言う? 到底信じられないような内容の事を?
そんな自己保身の感情が芽生える。
違う。芽生えたのではない。俺が動いている動機は最初からそれだった。寝覚めが悪い、罪悪感がある。それも大きな動機だ。しかし一番は保身だ。汚染個体と呼ばれる肉虫に俺が関わっていると、もしもばれた時、どんな目で見られるか。村が全滅したとき俺は俺を許すことが出来るのか。
それが怖くて、俺は自分が気持ちよく居られる為に動いている。高々数時間一緒にいただけの村人に情など芽生えるものでもない。芽生えたとして、命を張る程ではない。
だが、もう少しだけ考えてみよう。ヴェルエナはアリシアの身内だ。この村とは関係のない人間で、立場的には俺に近い。素直に打ち明けて、助けを乞うか見逃して貰うかしても良いのでは無いだろうか。
逃げ遅れば死ぬ。すぐに逃げるには大人は向いてない。なぜなら自分が長年かけて築き上げてきた基盤がある。しがらみがある。おそらくこの村は彼らの全てだ。
ヴェルエナは確かに聡い。聡すぎると言ってもいい。天才児だ。悪くても確実に秀才レベルだ。魔法とやらが達者で、身体能力もこちらに比べてはるかに高い。アリシアの記憶では、多少の戦闘もこなせるだけの能力もあるらしい。だが所詮は子供だ。
子供なら、説得すれば動く。大人には常識がある。それは人間として成長している証だ。だが場合によっては、致命的な事態になるまで対応が出来なくなる、という欠点にもなる。
最悪、囮にもなる。極上のデコイだ。
そう考え進め愕然とする。俺は一体何をしようとしていたのだろう。相手は心底こちらを心配している。だが俺は、彼女を良いように扱おうとしていた。
凄まじい罪悪感が襲う。
頭を撫でられる感触。はっとした。
「アリシア、大丈夫。私は絶対にアリシアの味方だよ? 言ってみて?」
「あ……あああ……」
気が付いた頃には今の状態を暴露していた。基地内部で見聞きした内容。今にも虫が溢れてきそうな現状。何故か機械が喋る言葉が理解できるという事。
とめどなく衝動のままに暴露している最中でさえ、保身のために小賢しくも嘘を混ぜる自分が本気で嫌いになりそうだった。
それでも、俺は忘れてはならない。ヴェルエナはアリシアの味方だが、俺の味方ではない。そこは履き違えてはならない。今は強力な味方だが、いざとなったら最悪の敵にもなりうる。
「むむむ……」
致命的な情報以外を暴露されたヴェルエナは、難しそうに唸っていた。両手を組んで眉間に皺をよせ。
「信じられないと思うけど、本当の事だよ。あの鉄のは人が作った物で、地下には絶対に外に出しちゃいけない肉の化け物が居るの」
「……大人に言うべきだと思うよ。こういうのは」
「大人に言っても、そんな一日二日で村は捨てられないよ。それに、退治しようにも数でやられちゃう。あれの中に入ってれば大丈夫かもしれないけど、それでも一人か二人程度」
俺がそういうと、ヴェルエナは黙り込みうつむいた。右手で眉間の皺をほぐしている。大きく息を吸う音が聞こえる。逆に俺は息をするのも忘れ、ヴェルエナの様子をじっと窺う。
「夜明けまで十刻程度……か。それ、一晩で終わりそうなんだよね」
「うまく行けばそれくらいだって、声は言ってた」
「それ、アリシア一人の計算だよね」
「多分」
俺が返事すると、ヴェルエナは大きくため息をついた。思わず身を固くする。
「少し待ってて。私も行く」
「え?」
意味を掴み兼ね、間抜けな声をあげてしまう。この小娘は一体何を言ったのだろうか。行くと言った。私も行くと。
つまり俺と一緒に基地に来るという意味なのだろうか。俺は再三説明したはずで、実際に彼女は虫を見ていないにしろ、その脅威は分かっている筈だった。
「ちょ、話聞いてたの? 危ないんだよ?」
「危ないのはアリシアの方でしょう? 走るのも遅い、力もない。たまに器用だけど、基本不器用。良いところと言えば良い匂いがするのと可愛いっていう、愛玩動物的な部分だけ。アリシア単体で見たら、生きて帰れる要因なんて一つもない……そうでしょ?」
「そんなきっぱり言わなくても良いじゃないのさあ……」
今のはアリシアの発言だと確信する。実の姉にこれほど断言されるとは思わなかった。哀れな小娘だ。同情を禁じ得ない。
「でもそんな身長も胸も、人としての器も小さいアリシアが頑張ろうってなってるんだったら、お姉ちゃんとしては手伝わないわけにはいかないじゃない?」
「お姉ちゃん……」
感心した。人の器が小さいとまで言い切るとは。身内に小物と断言されるアリシアの心中は如何ほどの事か。
「お願い……わたしを助け……。わたしと一緒に戦って」
「もちろん。私は可愛い妹の味方だよ」
断るべきだと思った。助けを求めてはいけないと、声高に叫ぶ自分が居た。あるいはアリシアなのかもしれない。
なんてことをしてくれたんだ。わたしの家族をよくも、と。
だが、それでも嬉しかった。嬉しさを感じてしまう自分が嫌だった。誰が子供を戦地に送って喜ぶ奴が居るだろう。生きて帰れる確率が高いと言えども、万が一はある。得体のしれない奴が体を乗っ取り。いや、混ざり主導権を握り、妹を装って姉を騙して危険地帯に送り込む。
それでも喜ぶ愚か者がここに、この俺が居る。生きて帰れる確率が上がったと喜ぶ男が一人。
村人が完全に寝静まる頃、ヴェルエナが少し出かけると言った。まさか一人で突撃するつもりかと思ったが、歩戦の見張りをどうにかするつもりだった様だ。
どうやって見張りを突破するのかと思ったら、一服盛るそうだ。
「私に任せて。万事完璧にやって見せるから」
頼りになるセリフと、ドヤ顔を俺に見せつけヴェルエナは意気揚々と出て行った。
治療院の窓から外を見ていると、何かを飲んだ見張りが突然倒れた。一人は飲まなかったらしく、何事だと身構えたようだが、ヴェルエナのボディーブローを食らって気絶した。一瞬の間に懐に潜り込む。実に良い動きだった。倒れた見張りにの口にヴェルエナが何かを流し込む。
見張りを茂みに隠し、意気揚々と戻ってきた彼女は言った。
「私がお茶渡したらすぐ飲んでくれたよ。楽勝だね」
何を盛ったのかと聞いてみれば、即効性の睡眠薬と直近の記憶が吹っ飛ぶ特性の薬らしい。なんでそんな物を持っているのか。というかなぜヴェルエナがそんな物を扱えるのか。後遺症は大丈夫なのか。言いたいことや聞きたい事は山ほどあるが、あえて何も言うまいと心に決める。
ただ、彼女と敵対だけはしないと固く誓う。
着替えたヴェルエナは見違えるようだった。日頃、履いているスカート姿から一転、頑丈そうなズボンに。上も丈夫そうなマントを羽織っている。いつもの令嬢の様な印象から一転、凛々しさを感じる。だがまだ残る幼さが、なんともアンバランスさを感じさせ、男心にクル物がある。
美少女は何を着ても似合うものだと納得する。軽く見惚れる事すらやった。
訂正する。口を半開きにして見惚れた。
「ヴェル姉、すっごく似合ってるよ……」
俺が褒めると、ヴェルエナはくるりと一回転した。マントが翻り、腰に下げたホルスターから古めかしい短銃が見える。カリブの海賊も使わなそうな古い型の物だ。一定以下の実力の奴が、ある程度の自衛力を保持するために使う護身具。
アリシアの記憶において、銃はそんな位置づけだった。素直に魔法で攻撃するか、身体能力に物を言わせて戦った方が強いらしい。まだあまり銃器は発展していない様だ。
「え、そう? 嬉しいなあ。ありがとうね。アリシアも似合ってるよ。かっこいい」
似合ってはいないだろう。可愛らしさはあるかもしれないが。
支度を終え、歩戦の元へ行く。治療院のリビングにあるテーブルには手紙を残した。これは姉妹が勝手にやったことで、治療院の婆さんは何も悪くない、という内容と両親への謝罪と感謝。そして俺たちが戻らなかったらすぐに逃げろ、という警告。
端的に言うと遺書だ。
歩戦のハッチを開け、中に入る。待機状態から稼働状態に移行させる。
「おはよう。気分はどう?」
『戦闘に問題はありません』
「そう、それは良かった。ところで」
『ヴェルエナ・ガソッドを友軍として基地内部に入れる事は許可できません』
まだ何も言っていない。その状態で発せられた言葉に、俺は眉を寄せる。
「なんでそれを知っている? あ、ヴェル姉。大丈夫。任せて」
心配そうに俺を見るヴェルエナに大丈夫だとジェスチャーをする。
『当機の収音性能は――』
なるほど。盗聴か。気分が言い訳ではない。だが、一から説明する手間が省けたと考えれば、そうそう悪いことでもない。
「作戦成功率を上げ、迅速に事体の――」
『規定により友軍として扱う事はできません。しかし、汚染、変異個体であったとしても有益な生物が居るのもまた事実。先刻、基地に対し汚染個体-042制圧のため生体兵器を試験導入する申請を行い、現時刻二十一時十六分をもって受理されました』
「要するに、兵器としてなら入って良いって事?」
『それが規定です』
姉を兵器扱いされるのは良い気分ではなかった。言いたいこともあるが、それも堪える。許可が降りた。扱いは何にせよ、入っても良いのなら文句はつけない。余計な時間が惜しい。
一旦操縦室から出る。ヴェルエナは不安そうに言う。
「大丈夫だった?」
「大丈夫。乗って良いって」
ヴェルエナを操縦室に入れる。少し躊躇う。ヴェルエナは動かない俺を見て、早くしろと言わんばかりに膝を手で叩いた。
男として思うところが無い訳ではないが、致し方ないと乗る。まるで小さい子供の様だと複雑な心境になる。意外と居心地が良いのもあるが、安心感を感じてしまうのは忸怩たる思いだ。
「おお……柔らかい」
腰を下ろした瞬間、思わず口から出た言葉だった。極上のクッションだった。人間というのは緊張すると思いもよらない言葉を口走るものだ。華奢だがちゃんと柔らかさを兼ね備える太ももと、背部に感じるクッション性の高い物。ちょっとした感動だった。何度味わっても飽きるものではない。
「……アリシアもね」
ヴェルエナは少し固まった後にそう言うと、俺の腹に手をまわした。子供が落ちないように親がやるあの体勢だ。暗闇で自分の顔がモニターに反射しないことを心から感謝した。今の俺は、かなりの渋面を作っているだろう。
この色々と滅茶苦茶な状況だが、他に選択肢はなかった。操縦室は一人席で、他に座る場所はない。立つのもやっとだ。物語の主人公ならば、ヒロインを膝の上に乗せて、というシチュエーションだと思われるが、現実は非情である。
「これ……意外に座り心地良いね」
「座り心地良いよね」
ヴェルエナの膝は、という一言は言わない。ハッチを閉め、ロックをする。これで外部からは簡単には開けられなくなった。
背中の柔らかい感触を極力意識しないよう、機能を完全にアクティブに持っていく。計器類で明るくなる。
「おお……なんかすごい。なんかすごい! 外映った! なにこれすごい!」
ヴェルエナが物珍し気にきょろきょろと操縦席を見回す。センサーやレーダー、モニターになにか表示されるたびに歓声が上がる。俺にとっては既知でも、ヴェルエナにとっては完全に未知な状況だ。おそらく、俺が初めて魔法とやらを見た時の心境だろう。興奮と好奇心だ。
ヴェルエナが子供の様にはしゃぐ光景が微笑ましいが、もしも俺と同じなら次の行動はある程度予想できる。
「勝手に触ったら大変なことになるかもよ?」
「うぇっ!?」
スイッチの一つ伸びていた手は、高速で引っ込められた。今のは機関の出力を調整する為の物だったはずだが、俺もよく知らないこの機体。不用意に弄られると何が起きるかわからない。
くっくと声を押し殺して笑う。驚いた声が完全にアリシアの物とそっくりだった。瓜二つだ。
「ちょっと笑わないでよ……」
「ごめん、ごめんってば」
腹の肉をつままれる。こそばゆさと若干の痛みが混じった感覚に身をよじるも笑って見せる。半分意識した笑いだ。
『戦闘態勢に移行』
「準備できたってさ。……朝までには帰ろう」
緊張も良い具合にほどけたと操縦桿を握りしめ、アクセルを踏みこんだ。